利休 -2

過日、ルネスホールでのライブ。
ゆるやかで穏やかな学習発表会みたいな感もあったけど、悪くなかった。
出演者の1人とは10数年ぶり。おひさしぶりな再会。
彼女の中の10数年とボクの中の10数年を思わずにいられない。
一期一会が明滅。



水曜の夜。
岡山市民文化ホール。坂手洋二の芝居『天使も嘘をつく』。
出演は竹下景子円城寺あやに鴨川てんし、などなどなど。
沖縄問題を核にして民主主義を問う近年の坂手…。
しんどい作業だろうけども立ち向かう坂手洋二に、拍手。
ただ… ボクが見たいのは…、ナマな現実を乾燥させ、もっと抽象化を進め、深化させた内容のような気が、しないでもない。



この数週、茶の湯関連の本をめくること多。
とてもファナティックだった頃の時代にさかのぼって、目映さをおぼえてる。
だからフッと、たとえば坂手洋二に、舞台上に茶席を設け、そこでの所作と談義でもって沖縄を"呑んで"くようなコトが出来ないかしら… などとも夢みる。
かつて彼はごく小さな箱(屋根裏)を舞台に置き、その狭きな空間で役者たちに芝居をさせたじゃないか…。そこを原点にも1度、「こうもり傘とミシン」的な展開を期待したいワケなのだ。



さて本題。
茶の湯
利休。
今の世に彼の名が伝わるのは、千家が踏ん張って茶道を広めたからではなく、賜死(しし)という劇的な結末ゆえだけども、煮詰めるなら、堺の自宅での蟄居命令から処刑までの、およそ2週間ばかりにエキスが凝縮されているからだろう。
キリストを永遠にしたのは、磔刑までの1週間を彼がどう過ごしたか… に集約されようが、利休もまた、そうなんだろう。
秀吉が激憤して蟄居を厳命した刹那の利休は、史実としては、かなり狼狽、慌てたようだ。
けども、そこから変革が起きる。
関係各位の嘆願請願が秀吉の元に山のように届き、秀吉もまたそう傾いたであろうに、当の利休に"深化"がおきる。死を受け入れ、嘆願を拒む。
自らの命を茶湯式の中に同化昇華させていく。


自ら死を選択することで何が残せるか、あるいは、残そうとしなかったのか… 突き付けるような命題を逆に提出したような感があって、そこが利休を利休たらしめ、永遠の存在に昇華させていると、いえなくはない。
おそらくは、最後の最後で利休が進んで死を選んだことにイチバン衝撃を受けたのは、死を命じた秀吉のはずだ…。



そも、利休という居士号(こじごう)は何だろ?
彼の死後すぐに、その息子たち千家の方々が、今さらに、それを知らなかったことに気づいて、大徳寺関連の縁ある坊さん複数に聞き廻ったという実話がある。
利得でもなければ、利益でもなく、利潤であろうハズもなく、むろんに利己でなく、利休… なる不可解な号。
禁中茶会に町人身分では参内(さんだい)不能なので、時の正親町(おおぎまち)天皇が与えたのがその雅号で、大徳寺関連の高僧が名付けたらしいが、どの僧侶が名付けたか今も不明のようだ。
近年は、
「利心を休せよ」
才能におぼれず、使い古されたキリの丸みのような境地を目指すといった中国の故事成句に着想をえた… というコトが云われてるらしいけど、どうかしら?
どこかミステリアスで核心の掴みようがないのを、
「おっ、それがいい」
宗易(利休)自身、ニヤリとほくそ笑んだような感を、ボクはおぼえる。



利休に関しては数多の本があるし、その数10倍、あるいは数100倍、茶の本がある。
いまさらにその生涯や茶道を学ぼうとは思わないけど、今にいたっても利休は、刺激大の巨大なアーチストけんプロデューサーなのだなぁ、とは感じ入る。
信長。秀吉。家康。ほか魑魅魍魎が跋扈した時代。
闘争が日常化し、あちゃこちゃに鮮血が滲んだ時代ながら、今よりはるかに、そのアートシーンは潤沢かつ沸騰していたよう思う。
その前衛、最前線にいたのが利休。
ま〜、そこに興味を持って、何冊か本をひろい読んでる次第。



やはり、『南方録』がオモシロイ。
ナンボウロク、と読む。
江戸時代中期、元禄の頃になって、突然出て来た千利休の秘伝の書。
利休の弟子・南坊宗啓が師匠の利休から聞いた話をまとめ、利休本人もその執筆を認めたというカタチの、茶の湯の"情報宝庫"たる本。
昭和半ばになって、この本は、
偽書じゃ〜ないか?」
の声があがり、アレコレ精査された。
そもそも南坊宗啓なる人物は実在したのか?


結果、現在は、これは江戸時代の創作との烙印が押されてる。
ま〜、ふつう、偽書となればたちまちにその価値はほぼゼロになるのが相場だ。
「ニセモノじゃ〜ん」
で、一笑され、見捨てられる。
が、『南方録』のみ、そうでない。
贋作なれども、そうでない扱いを受けて既に久しい。
なんと今、幾つかの茶道家元は本書を基板にして"道"を歩んでる。
これは世界の贋作史上に例がない。


大学のセンセ〜がたは偽書ゆえ価値なしと見限ったフシがあるけれど、一方の茶道界ではそうは取っていない。
なるほど、偽書偽書かもしれない。しかし、記述には、利休の茶の深い部分、その精神論的意味合い込みでの、これは最高峰の高みにある書かもしれない… との認識があったりする。 
センセ〜がたは、ともすれば、記述の過ちや矛盾点にのみ眼が向かい、また利休没後ちょうど100年めに彗星のように登場してきた本書をハナッから疑いのマナコでながめた。
一方、茶道を真摯に学ぼうとするかたがたは、これに茶の湯の真髄をみた。
古い伝承がしっかり書かれ、また利休精神が本書には散りばめられている… と読む。
陰陽五行の思想に基づく"カネワリ法"なる書院の飾り法の秘事を書いてあるのは、この本のみだったりも、する。
また、利休がとても大男だったという記述は本書にのみ登場する。
それはのち、彼の遺品と判明した甲冑が身長180cmほどの大きさで、サイズが記述に符合し、事実となったりもした。



ボクが『南方録』を知ったのは、かなり前、花田清輝の『日本のルネッサンス人』の1篇、「利休好み」だった。
1974年に出版されたこの文藝評論と小説が合体した不思議な本は、文庫化もされず絶版になって久しく、今や誰も読んだりはしないけど、42年前、花田は既に、『南方録』が偽書の可能性が高いと喝破しながらも、とても高く評価した。
花田は茶席に座るような人でない。駅の立ち喰い蕎麦で晩飯を済ませてしまうようなトコロの方が大きい人だった。
けども茶の湯の空間が、それが演劇的空間であり、演劇人そのものであり、美と醜の端境のエッジがたった、極上の総合アートであることに気づいていた人だった。
学術的価値、学問的検証よりも、彼は『南方録』の記述の高らかさを評価したのだった。そこに高度かつ硬度な"芸術"を見たのだった。
むろんさすがは花田清輝。手放しで賞賛なんぞはしない。


『南方録』は図版多数で飽きないが、ボクは古文に苦労する方なので、注釈本がありがたい。
熊倉功夫の『南方録を読む』は詳細な解説ありで、とても助かる。



読みたい本と読むべき本は… 違う。
違うんだけど、けっこ〜、その円周が重なるコトはあって、さてそ〜なると、複数の本を同時多発でめくるというよ〜な野蛮なコトになったりして、困る。
困るけど、困った自分を愉しめたりも、する。
『南方録』で、今、それを味わってる。


上記した花田清輝は今は忘れられた人だけど、実は演劇人でもあった。何本も脚本を書いて上演し、NHKドラマの脚本を書いたこともある。
演劇空間としての茶席に彼が興をもったのは当然かもしれない。

水曜の坂手洋二の芝居は、沖縄問題という政治的空気を演劇空間に嵌めこんだ力作なれど、はるか遠縁として、利休の茶の湯運動、南方録、それを評した花田… などなどが一期一会でなく、お数珠のようにボクには連なる。


余談的に付加しておくが、坂手は映画に造詣が深い。
水曜の芝居も、むしろ演劇でなく、映画にすれば…、政治問題を扱いつつもスリリングなエンターティメントの秀作となった『ペリカン文書』のように、より透明度が高くなるような気がしている。
花田清輝も実は芝居人でありつつ、映画評論家の顔をもち、かつ、時代の政治を辛辣に批評する人だった。
ボクのいうお数珠の連なりは、その共通性に加えて、はるか昔の利休にもまた、そういう批評性をアートに昇華しようとする"遠心運動"をみたからの… ようだ。