ミニ… トラブル

数日前のすこぶる寒かった夕刻。
スーパーで買い物して、さぁ帰ろうとすると… エンジンがかからない。
ウンともスンともいわない。
慌てて、車の面倒をズ〜〜ッとみてくれてるガレージクラフトに連絡。
「すぐに行く」
とのことで、とてもアリガタかったけど、待機中の、寒かったの何の…。近場のスーパーへのちょっとな買い物。厚着で出ていなかった…。
スーパーに取っ帰し、ホッカイロ買って、あちゃこちゃ貼ってしのいでたら、40数分後に大型搬送車でやってきてくれた。
当然に、積まれ、お持ち帰りされる次第。
いささか珍事な作業に、若干のギャラリーあって、いささかカッコ悪い気がしないでもない。客の誰かがスーパーにご注進したんだろう、店員の1人が外に出てきて何事ぞと注視していたのはヤヤ可笑しい。
火急のことゆえ代車は、ない。



今や半年に1度の割りでほぼ確実に不具合が生じる我が車。
当然にメンテナンス費用、甚大。
けどもだ、いっこうに買い換える気は起きない。
なるほど確かに、メンテナンス時に代車に乗ると、なんとも軽快かつ快適かつ便利なイマドキ仕様に、笑ってしまうよ〜なラクチンなアンバイを味わうけども、でも、オモシロイかといえば、そうでない。
いっこうにオモシロミがない。ダイゴミもない。
それらに乗るたび、自分という存在が消えるような心持ちを味わう。誰が"運転"してるんだろう… と訝しみをおぼえる。
馬に乗り、調教し、彼と息あわせて進んでく… ような感触がないんだ。
なので、正直なところ、つまんない。
ベチャ〜っと云えば、愉悦がない。


それゆえ、ガタがきて古老の域に達した我が車に、まだ乗り続ける気力充分。
この車は、馬、あるいはロバに近似る。
ま〜当然に、かかる経費の甚大を含め、ある種の覚悟が要るワケなのだけど、自分が運転する以上は、修理可能である以上は、馬またはロバに乗る感覚を味わいたい次第。
面倒な性格ともチョットは思いもするけど、いいんだ、それで。
趣味悠々ということでなく、嗜好がそ〜させるワケだ。



しかし、馬かロバかどっち? と聞かれたら、迷わずにロバといわざるをえない。
当然に今どきの車スペックは、ない。
基本として60年代のままの車だもん、装備脆弱、加速もよろしくない。デジタルのデの字もありゃ〜しない…。
数年前だか車を買い換えた某Hasegawa嬢を乗っけてどっかに行ったさい、彼女いわく、
「この車、UVカットの窓でないのね」
一瞬、時代の進捗の明暗にクラクラさせられて大笑いしたことがあったけど、そのようなオシャレな施しが我が車にあろうワケはない。
エアバックなんて〜ものは附属しない。ハンドルは重い。窓はクルクル廻して開閉。キーでドアのロックなんて出来っこない。各メーターを照らす照明は豆球でことさらにこれが暗い。走行時にはアチャコチャでギシギシ音がする。わけてもマホガニーの一枚板で構成の(合板じゃ〜ないよ)パネル部分の音は、時に笑えるホドにギッシギッシと音たてる。サスペンションはバネでなくこの車特有の、ネコの肉球を大きくしたようなゴム球ゆえ振動軽減はたいしたコトがなく、長時間ドライブだと腰が痛くなる。雨天時には室内が曇って常態的に窓を拭かなきゃいけない… などと、あげるとキリがない。
けど、それらすべてが、アバタもエクボではないけど、この車ゆえの個性と思って久しい。
地震で倒壊したビルは新規が望まれるけど、熊本城は復興復旧が望まれると同じで、古いからも〜イイヤとはならないワケなのだ。


逆にヤヤ意地悪くいえば、イマドキの車はそんな耐用年数を持ってない。
とはいえ、とはいえ、もう30年近くになるんだよ、乗って。
数年前より、ガレージクラフトさんからも、
「実用に耐えられないレベルの故障時期が近寄っている」
とは、云われてもいるんだから、ま〜、そこを心配してもいる。
人間に寿命があるように、ロバ… 車にも寿命がある。



60年代に米国から国交を断絶されたキューバでは、以後、今年国交復活されるまで車を輸入できず、60年代の主たるはアメ車でもってコンニチまでしのいだワケだけど、キューバはカラッと晴れて年中とおして湿気が少ないから… しのげたワケで、この国はそうでない。
高温、多湿、冬場の冷暗… アジア最果ての地のウェットな季候は、金属やらゴムに密やかに浸透し、腐食させ、ゆっくりと傷める。
ここはキューバのカラッと乾燥の大気じゃないんで、劣化の進行は防ぎようがない。
実用に耐えられないレベルの故障
怖いコトバだ。
ボクはクラシックカーに乗りたいワケでない。毎日乗ってるワケではないけど、あくまで実用車として乗車したいワケで。
こたびが、その実用寿命時期でないコトを願う。


もう40年か50年も経った頃には、ほぼマチガイなく、自動車はエスカレーターやエレベーター同様の自動運転のものと化して、車を馬の進化形のものと考えてるようなのはノスタルジックな後退でしかなくなる… どころか、法的にも自動運転が整備されて人間は運転してはイケマセンとなるんだろうけど、ま〜、それも致し方ないでしょう。
時代はめぐるんだ。
しかしボクは時代にベッタリ添い寝はしたくはナイのだな。
かつて誰か、シェークスピアのような気がするし、写真家のマン・レイだったような気もするけど…、
「誰も読まない本を読め」
と云ってたよ。
これは色々な局面に適用出来ちゃって、名言だ。
当然に、これは、「自分らしくあれ」と云い換えるべくなものじゃあるけど、文字通りなら、謂わば、"変わり者"であれ… と勧めてもいるワケで、なかなか深いぞ、これは。
自分が変わり者だと思ってる人はボクを含め、ただの1人とていないんだから、可笑しみが込み上がるんだな、この言に。
けどもまた、変わり者への憧憬が自分の中にあるのもマチガイない事実だろうから、この1語をおぼえている次第。
ぅう〜ん、しかし誰だったかな〜、これを云った人。ダンセイーニのような気もしてきた…。
ま〜、こういうアンバイは… 車ならず、こちとらも相当に老いて劣化進行中というコトを物語っているワケで、やはり、嬉しくはない。