一期一会集


昨年の手術いらい初めての、強い眼精疲労

眼の周辺に発熱をおぼえ、ボワワ〜ンと視界が澱む。

翌朝、眼科に出向いて診てもらうに、
「年齢の許容を越える酷使…」

と、ま〜、予想通りな回答。

模型の細かいパーツ組みが、このボワワ〜ンをもたらしてる。

けどもこたび、術後しばしはダメと云われ続けてたメガネの新造が許され、メガネ屋さん用の処方箋が出たので、ちょっと嬉しい。

受信後、ただちにメガネのミキに直行。

仕上がって来るのは、次ぎの講演日の直前というコトだから、真新しいメガネで話すという次第になるだろう。

老眼メガネを鼻先にずらして上目遣いに四方を見る、いかにもジジイっぽいカッコ悪さから解放されるのは嬉しいけれど、かかった費用が… チクチク痛い。


翌々の土曜夜。

3年連続で小学校同窓会に出席。

3年前に味わった「故きを温めて新しきを知る」の新鮮は、もうない。

懐かしみも薄れ、心躍るようなトコロもない。

けども馴染んだTシャツを着けるような、お気軽で気さくの、だから遠慮もないバカを云えるお愉しみもまた、ないではない。

ま〜、そんなもんだ。

21日の次土曜の講演を一応紹介し、オチャケて笑う。



そうこうする内、模型作業が概ね済んだのでチョットだけテーブル廻りを整理でき、気分も軽く、数日前から「茶湯一会集(ちゃのゆいちえしゅう」をひろい読んでいる。

一読、その徹底に… 苦笑した。

ごぞんじ、「一期一会」なる単語はこの本で初登場する造語。

元の大意は利休の高弟子・山上宗二が残した文にあるが、井伊が短縮した。

茶会での主人と客の心得をといた本ゆえ、笑うようなものではないのだけど、あまりの徹底に逆に口元がほころんだ。

数行おきに、
「○○○すべし」
「×××すべし」

作法心得所作がときにとかれる。

客を招く側の心得と同時に客側の心得もしっかり細部までが綴られる。



茶会の開催約束がまずオモシロイ。

5,6日前に日取りを決め、定日の前日、
『主客互いに参を以て挨拶に及ぶ事、これを前令という』

要は、わざわざに先方に出向いて、「いよいよ明日に」を再確認せよ… という次第。

その後に、もしも書状を使う場合は、こ〜すべし、あ〜すべし、実に事細かに指南が続く。


客人を迎えるための雪隠掃除のくだりもまたオモシロイ。

水洗トイレじゃないから、その御苦労もまた大きいだろうけど、描写が徹底しているから、ま〜るでホントに雪隠に接してるような感も生じる。

客として招かれ、もしもウンコをしたなら、懐の紙でそれを覆い、主人が用意してくれている新鮮な藁でさらに覆え… との記述もある。

茶会で生じる、ありとあらゆる事態と気配りを徹底して描き出し、この場合はア〜して、その場合はソ〜してと、実にまったく細かい。


なので当然に本番たる懐石と茶席の部分はいっそう拍車がかかる。


これだけの指南書を30代で書いた井伊直弼という人物は、しかし… ボクには不可解な人の筆頭だ。

桜田門外で暗殺された彼と、この「茶湯一会集」が、線で結べない。

画家を志した男がナチス帝國の君臨者になった大変貌と同様、井伊にも似通う空気を感じる。

幕府大老として吉田松陰ほかを刑死させる冷酷の中の大雑把さ、方針の先が見えないやはり大雑把としかいいようもない政治手法などなど… 繊細の極地たる「茶湯一会集」の作者とはとても思えないワケで。

人の内部には、両極端がすくっているという証しなんだろうけど、城主になるアテもなかった頃の部屋住み時代の井伊が、茶の世界に心酔し、そこに自分流の哲学をば見いだして一書にした、そのオタク的邁進の深度には、ひたすら感心をするがゆえ、逆に後半生の諸々に啞然とする。

偶然が重なって城主となり、幕府大老に指名されて、あげくに激烈な最後を彼は遂げるわけだけど、もし万が一、城主になれず、大老職など遠い夢物語のままの人であったなら、彼は澄んだ眼を保持した幕末期最大の茶人として文化系の諸々で常に紹介されてやまない人になったような気がして… ある種の悲運と悲哀をおもわないではない。

けど、ま〜、それはどうでもいい。


同書の末尾「独座観念」は、客が帰った後の気分の有りようを描いていて、そこはとてもいい。

"祭りの後"の満足と寂寥のバランスを、
「一期一会済みて、ふたたび帰らざるを観念し、或いは独服をもいたす事」

と、一人で茶を点てて呑むもよし、それを一会の極意と学べ… ととく。

ごくごくアタリマエのようなコトだけども、そこの気分を文字で顕わにした井伊直弼は、いっそ、この書をもって語りつがれるべきとも… 思わないでもない。



文中には数々の引用があって、彼が茶関連の数多の書物に親しんでいたというか、より濃くそれを血肉化している様相もわかる。

「南方録」、「茶経」、「喫茶養生記」などなどを踏まえた上でのこの一書…。

それゆえまた余計に、茶を呑んで抽象すべき人が時代の具象に呑まれたという感じの悪さが井伊直弼には、つきまとう。
惜しいなぁ。