博士と彼女のセオリー


鍋つつきつつ、土曜の講演の打ち合わせ。
冬は鍋だよ断然に。
こたびの講演では明治の建築物から60年代スペースエイジの頃のアポロ宇宙船などなど、複数の模型を持ち出さなきゃいけない。
面倒といえばメンド〜だけど、話すテーマが模型そのものなんだからシカタない。
むしろ、何と何を持ち出し披露するかで悩むというアンバイで、当然に話す内容も多岐に渡るから… そこの交通整理が面倒かつ深刻だ。
ま〜、そのような事を鍋かこんで打ち合わせ。
講演のフライヤーはここ



毎年、お正月にはK夫妻と懇談するのが慣習となって久しいけど、そのK夫妻より新春に頂戴のDVDをば、観る。
博士と彼女のセオリー』。
2014年の英国映画。車椅子の学者ホーキングと妻の物語。



『ローグ・ワン』のヒロインが妻役なれど、この映画の事はまったく知らなかった。
講演が済んでから観ようと思ってたけど、ま〜、いいや… と眺めたら案外に、イイ。
ホーキング役の若い役者がダントツ素晴らしいと思ったら、あんのじょう、アカデミー主演男優賞だった。
妻ジェーンのフェリシティ・ジョーンズも良いし、エイレン嬢の役者もまた良い。
この介護士の登場でやがて夫妻に亀裂が生じ、離婚し、ホーキング博士はエイレンと再婚するワケだけど、3人ともどもに賞をあげたいくらい良かった。


調べるに、もう1本、ホーキングの伝記映画があるのを知って、これをば取り寄せ、これも観る。
というか、一昨日それが届いたんで観た次第。
BBCのテレビ映画で製作年は2004年。ベネディクト・カンバーバッチがホーキング役。
だいぶんと先輩だ、『博士と彼女のセオリー』はだからこのテレビ映画を当然に意識していたろう。
カンバーバッチの熱演は大いに参考にされたろう。
ホーキングがビッグバン理論を再構築して博士号を取るに至る経緯は、このテレビ映画の方がはるかにうまく描けてる。
ジェーンとの学生結婚はその経緯過程で生じ、一躍高名になっていく過程の中で介護士エイレンの存在が大きくなる次第ながら、テレビ版映画ではエイレンは出ない。まだ何とか自力で歩ける頃のみに焦点を合わせ、そのぶん、行間が濃い。



2本ともども、だから甲乙つけがたい。
ホーキングのカタチ、妻ジェーンのカタチとしては『博士と彼女のセオリー』に軍配があがるし、宇宙論に熱中する学生が博士号を取得するくだりはカンバーバッチの『ホーキング』に軍配があがる。それも圧倒的に。
ま〜、だから、両方を眺めるのが得策だろう。
どちらも、ジェーンさんが書いた伝記を元にしているようだから、似通うセリフもまた多く、どこでど〜使ったのかを見比べるというコトも出来るワケで、両方をあわせ見ることでホーキング理解が深まるような感もなくはない。


しかし、『博士と彼女のセオリー』という邦題はいただけない。
原題は、"The Theory of Everything"。
『すべての理論』というところか…、それをわざわざ博士と彼女に限定して平坦なラブ・ドラマ・タイトルにしなくともイイじゃないか。
理論物理学者のプライベートを扱い、その人がテーマとしている「統一理論」とを引っかけ合わせた原題タイトルなんだから、も少し、考えて欲しいなぁ。綿が詰まったフトンからわざわざ綿を抜いて客に出してるようでヨロシクない。
マット・ディモン主演の『MARTIAN』を安易にも「オデッセイ」と邦題した愚かさにこれは近似する。


写真左が「博士と彼女のセオリー」で右2枚はホントのホーキング夫妻。


で、もう1つ思ったのだけど、映画というのもまた、真実と嘘を混ぜ合わせた"表現"だというコトね。そうすることで、いっそう真実に近寄ろうとしてるワケなのだ。
実は模型も… そうなんだ。
そこのところを含めたお話をば、こたび土曜の昼にやろうとしているワケ。
ま〜、あんまり深く掘ったハナシはしないだろうけど。"模型表現"をそのカタチでなく音声でお伝えしてみたいとは… 思ってら。