模型の修復 ~松平不昧のこと~


かまやつさんが亡くなったなァ…。あのニヤ〜っとした顔がよかったね。良い人生だったと思う。なんか感謝の気持ちが大きい。


さてと…。
1月のミュージアム講演で用立てたアポロ8号発射塔の模型。
築後すでに数年が経って、その間にはアチャコチャで展示され、部分に傷みが浮いてるもんだから、
「修復しなきゃ〜」
とはつねづねに想ってたけど、この手の作業は好きでない。
現状を少し前に巻き戻すだけなので、「やるぞ〜」な、電圧があがらない。
美術品でなく、模したるカタチ… でしかないという自嘲めいた感想が常に併走もするから余計に、回避したがる。
けどま〜、放置するのもヨロシクないんで、重い腰をば上げて、数日前よりとっかかった次第。
アレしてコレしてと、ま〜、それなりに面倒かつ時間もくう。
しかしまた、修復用にと新たにスプレー糊を調合して試したり、若干の弾みがついたりもする。





この大型模型は、『下から見上げる』のを前提に設計し、だから意識的に部分をディフォルメしている。
発射塔のベースとなる部分の高さを、あえて3割ほど延長させ、ビジュアルとして重量味と巨大味が増すよう… そのように造ってある。
模型は、時に嘘をつく。
嘘を盛ることで"見た眼"の真実味を増加させる。




作業中に、映画『アポロ13』でフレッド・ヘイズ宇宙飛行士を演じたビル・パクストンの訃報。
彼はボクに近似の年齢というか、ボクより1つか2つ若いはず。
いきなり句読点を打たれて行替えを強いられ、その後の文言が、
「……………」
と、続くようなガックリ。
竜巻を追う気象学者に扮した『ツイスター』では、ヘレン・ハントを彼がとても光らせていた。これは希有。主役でありつつ脇役の濃厚味が醸せる存在。
まだ過去形で書く気がしない。昨夜遅くに『エイリアン2』を久しぶりに眺め、パクストンと再会。



ヘレン・ハントと共演中。『ツイスター』より


ともあれそうこうして、作業終了。
さて、この模型…、
「次ぎの出番はいつのことやら」
収蔵庫と化した1室にしまい込みつつ、『インディ・ジョーズ 失われたアーク』のラストシーン、あの超巨大な"宝物倉庫"の未定形な悲しみを思ったりもしないではなかった。



倉庫といえば、松平不昧(まつだいら ふまい)が浮く。
前々回の本能寺の変でもチョット登場したけど… 茶道具収集で名を馳せた松江藩7代目の殿様。
このヒトは17歳で家督相続して殿様になった。
何故そんなに若くして… というのには理由があって、父親の6代目が藩の財政が立ち往生するくらいに散財していたから。
いうまでもなく藩主、殿様は年の大半は江戸に暮らす。
6代目の殿様はそこでアレコレ徹底してお買い物。
おかげで肝心な国もと松江の財布が空っぽ。
これはイカンということで家老たちがガンバッて彼を説得し納得させて隠居させ、息子の治郷(はるさと・茶をはじめてからの号が不昧)を殿さんにした。
これは大成功。
藩費の、それも江戸表での出費がピタリ止まり、なんと初めて年貢収入が支出を上廻って黒字になった。
家老ら一同、バンザ〜イ、ってなもんだったろう。



※ 晩年頃の松平不昧


しかしまた一方、17歳の7代目は、交代ということで諸々な譲渡手続きがあり、やがて彼は父親の蔵(倉庫だね)を見せられる。
そこにあったのが…、茶の湯行事の名器名物の数々。
不昧、たちまちに魅了され、蔵の中の物品を整理し、さらに心躍らせてカタログ化し、20歳でそれを本にし、探求心を燃やし出す。
何を探求するかって…、当然に茶の湯だ。そのお道具だ。
藩主たるは茶事を見事にこなせるかどうかが、徳川幕藩体制でのランク・ポイントでもあったし、不昧はかなり真面目にそれに呼応し、かつ抜きん出るべく努力もしたろうが、併せてドンドン茶の湯が好きになる。
数寄の気分が48時間、昂揚する。
こうして不昧は父親をはるかに越えるお買い物殿様になっちゃう。
6代目の父親が散漫な買い方をしていたのに対し、彼は目的をもった買い物だ。
江戸・京都・大阪の3都にそれぞれ専属の骨董商をおいて、彼らが持ち寄る品々を吟味しちゃ〜、セッセと買い込んだ。


不昧の時代のおよそ200年前、本能寺から2人の豪商ケン茶人がドサクサにまぎれて持ち出した掛け軸も、彼が買った。



(前々回に記した『遠浦帰帆図』(えんぽきはんず)は、本来長尺の巻物だったのを分割カットして掛け軸に仕立て直したもんだから、部分部分が自立し複数が存在する。同じ名なので見聞にはチョット注意が必要ね)


本能寺の変の後、おそらく数日後と思われるが、宗園(宗円)という茶人(利休の娘婿)が焼け跡から古瀬戸の茶入れを拾い出し、割れていたのを接いで、それを円乗坊と名付けて隠し持ち(確信的火事場泥棒だね〜)つつも自慢するという妙なアンバイだったらしきだけど、200年後、それも不昧が買った。
今は港区白金台の畑山記念館のコレクション。重要文化財には指定されちゃいないけど、同館の"お宝"の1つだろう。



2014年に畑山記念館で開催のチラシ


不昧が、しかし面白いのは、ただ買っては1人悦にいってるんじゃ〜なく、買ったそれの由来やら諸々をしっかり筆にとり、評論をくわえ、例によってカタログ化を押し進め、文章をオープンにしたこと。また茶の本を生涯かけて続々産み出した、いわば元祖なオタクビトだったこと… かしら。
(日本人男性のギーク、オタク気質は、どうもこのヒトあたりに原型があるような気がしてしかたない)
しかし当然、松江の人々には迷惑至極な殿さんだ。
1度はバンザイした国もと家老らもビックリギックリ。探求がゆえの不昧のコレクションなれど、国もとにしてみりゃ… 散財だ。殿さん個人の趣味趣向でしかない。
イチバンのシワ寄せは、国の民、わけても農事を主とした方々。
まさか年貢がお茶碗やら花器やら掛け軸の購入に使われてるなんて〜コトは、露と知らない。
豊作不作に関わらず年貢はきっちり収めなきゃいけない。それゆえ働きに働き、「ボテボテ茶」なるケッタイなものを食べ啜って忍んだワケなんだから、それってもはや被害者レベル。



ポテポテ茶の写真はコチラから


後年、不昧が没した頃だかに、かつて松江藩家老だった古老の朝日丹波は、
「あの時に蔵を見せなきゃよかった」
と、述懐している(村井康彦著 茶の湯紀行)ほどだから、当時の松江ビトは、
「ホントやってられませんわ」
な状況だったに違いない。


彼が評価され、現在の島根の、「お茶と和菓子の松江」の礎としての"名君"の誉れはアンガイ最近になってから喧伝され、定着したもんだ。
大正8年(1917)に「不昧百年忌」があって、その頃より、観光資源としての彼がクローズアップされていったらしきなんだ、ヨ。
で、「ボテボテ茶」も名物となる…。
コペルニクス的転回の典型例かしら?。
歴史の皮肉げな薄笑いが聞こえそうで、やたらオモシロイ。
周辺の評価なんぞは無視でトコトンやれば、ずっと後では評価も変わるワケなんだから。
アポロ計画が広範な文化を作ったように、茶の湯もまた、大きな文化の柱、江戸期では大黒柱だったというのが… ボクのこの頃の見立て。
かつて当時の領民には気の毒だけど… アンガイとボクは、不昧が探求に向かった心持ちは好き。



余談ですけど… 志ん生(5代)の『火焔太鼓』は不昧がモデルだそうな。
売りのヘタな骨董屋(道具屋)が持っていたつまらない太鼓。それを殿さんの命をうけた家臣が求めにきての珍問答。なので不昧そのものは出てこないんだけど、ね。
99人のヒトには興味も持てないつまらないモノがただ1人の人物にゃ300両に値いするという、その価値の在処と見極めが根底にあって… 笑えますぞ。
ま〜、志ん生はすべて笑えますけど… とりわけ、このヒトそのものが高位の旗本美濃部家が生家で、そのはるかはるかご先祖はなんと…、
菅原道真だっていう話。
というコトは孫の池波志乃も、だね。
ぅぅう〜ん、わからんもんだニャ、つながり。
だってね、志ん生も池波も大酒豪という噂ありなんだけど、ご先祖の道真は、実はお酒がまったくダメなヒトだったの。
太宰府に流され、悶々な日々の中、彼は眠れず… それで自虐な詩を幾つも残してる。
たとえば、こんなの---------------------。

遷客(自分のこと) 甚だ煩悶す
煩悶 胸腸をくくり
起きて茶一椀をのむ
飲み了って未だ消磨せざるに
石を焼きて胃菅を温む
この治遂に験(しるし)なし
強いて傾く 酒半盞(はんさん)


半盞とは、盃の半分をいう。
たしかに… 呑めないヒトのようだ。なので、やけっぱちで酒にチャレンジしたものの、悶々から逃れられない次第を書いていると読み解ける。おそらくはその夜も道真は眠れちゃいないのだね。
まったく気の毒なかぎり。