4月暖色


光陰矢のごとし、なおもて淫行もや…。


ワケわかんないフレーズですが春が早くもやってきたという気分を書いただけ。
4月いりで、も〜、1年の1/3が過ぎたワケで、つくづくうつろいが早いと思う今日この頃。
年齢が増すほどにこの速度が早くなるような気がしないでもない。
ピッカピカの1年生じゃ〜ないから前途洋々なワクワクは薄いけど、春の温かみはありがたい。
けども同時に、今年もまた雪が少なかったなぁ…、てな、冬への愛惜もあって、ちょっぴり4月は複雑。


この複雑はどの時代に生じたもんかしら? 衣食住の環境が整っていない時代にゃ、たぶん、感知しえない性質のような気がする。


たとえば綿花のない平安とか鎌倉の時代…、ヒトはフンワリ布団なんぞは知らないワケで、ペチャンコなアシギヌなる粗末な絹織物に身を包んで眠る努力をしていた頃の春の到来の切望は、今とは比較にならない大きなもんだったろう。
アシギヌが手に入らない多くのヒトビトは、楮(こうぞ)の木を蒸して皮をはいで、それを水にひたして細く裂いて糸にして、荒妙(あらたえ)や幣(ぬき)という名の織物でもって冬の寒さをしのいでいて…、寒さゆえの死亡率も今と比較にならない規模。
いや、もっと多くの方々は、それすら乏しく、カマドそばで藁を厚く敷いて、その中に眠るというのが常套ではなかったか…。
だから春は、スプリング・カム・カム…、待ちに待ったうつろいであったに違いない。
春になって鬱病になるというような現代的シンクロ不安定な症状とは絶無の、我慢の深度がまったく違う世界であったろう、とは思うのだ。



国宝の信貴山縁起絵巻より。お歯黒の奧さんが手製の絹糸を作ってる図。先月の「サライ」がネコ特集でこの絵を紹介し、"とある店先"と書いてるが、それはマチガイ。あくまで民家の軒先での構図。


近頃ボクは、
「ヒトはなんで冬眠がないの?」
ちょっと口惜しいような感を浮かせては…、クマなどの生態にジェラシーをおぼえないワケでもないのだ。
冬眠はかなり誤解されているが、48時間寝て過ごしてるワケじゃない。
クマの場合だとその巣穴の中で冬場を過ごすけど、セックスもすれば子育てもやってる…。
生活基盤の温存が要め、出歩かないダケなのだ。
保存食はたいがい途中で底をつき、春になって巣穴から出てくりゃ激ヤセというのが近頃のクマの実態じゃ〜あるけど、それは生息地での食料事情が悪化しているというコトでクマそのものの根本じゃない。
なので、ヒトもそのように温存がための冬眠モードに入るという存在であるなら、だいぶんと面白いような気もする。



昨夜、鍋をかこんで小さな会合。
某神社の社主をまじえ、そこの成立時期を語らい、余談に話の花が咲く。
鍋が煮え、箸が動き、話も煮えて、小さな断片から宇宙論的規模の拡がりに展開していくのが、愉しい。


数日前に届いたハガキの、フレーズが心地良い。