花々に


小庭におふくろの代からのコーナーがあり、そこにはアレコレ大小の球根が埋まっていて、掘り起こさず未整理のままにしてたら、さらに何かの種子が飛んで来たのも混ざって、それぞれが勝手に育ってる。
昨年そこにイチヂクの小さな苗木を植えたけども、枝葉が隠れちゃうホドの植物どもの百花繚乱。
アレが咲きコレも咲きと…、いささかの混雑。




しかしアンガイこの密茂がいい。
よく眺めるに混乱はなく、調和して落ち着き、こちらが手を加えない分、作為の美しさでない無為が愉しめる。
育てようと思うのはあくまでヒトの面持ち。そうせずとも、こたび、イチゴが勝手に育って実をつけているのも、これまた無為のなせるワザ。



植物は呼吸する。
夜は花を閉じ、夜明けと共にじんわり開花し、お昼頃のびのび開花しきる。
夕になるとしだいに戸締まりをはじめ、暗くなるともう閉じきって就眠にはいる。
カガクテキに見れば、このサイクルの合間、植物は気孔から酸素を取り入れて二酸化炭素を出している。
ほぼヒトと変わらないサイクル。(二酸化炭素は主に夜に出す)

ヒトと違うのは、植物は呼吸の一方では、緑色の葉っぱ達が光合成をおこなって盛大に二酸化炭素を取り入れちゃ、それをデンプンと酸素に変じさせ、セッセと酸素は捨てていること。これは日光のある合間、昼にやってる。
一見矛盾する営みだけども、要は植物というカタチの"酸化"と"還元"のバランスだ。
白昼に廃棄される酸素はかなり多い。そのおかげでヒトは空気不足の心配なく暮らしてる。
大きく括れば、植物は地球表層の排気量の大きなメイン・エンジンともいえる。



植物の動静はすべて太陽の動きに連動しているんで、大袈裟にいえばゴールデンウィークに"21えもん"のように宇宙に出かけなくとも、自宅の小庭でもって宇宙を、太陽系を体験できる。
太陽という天体がいかに大きくって、いかに効能ありか…、呼吸する花の彼方の宇宙的拡がりを意識できる。これは有り難い。



※ 朝5時。次第に目覚め中の花々。同じ花族でも早起きのヤツとそうでないのとがいる。皆んなが咲き揃って1時間後に咲く寝坊もいる。夜更かししたか?


時間を凝縮して大俯瞰すれば、その太陽とてもいずれ命が尽きる存在というのが、なんだか理解を超える。それで地球もジ・エンドなんだから、生命とは何ぞや? 哲学したくなるけど…、ま〜、やめとこう。
花々の開花とそれを眺めるボクの眼は瞬時のものでしかない。
ま〜、それゆえ花が愛おしいわけで、こういう情動がはたらく場合、カポーティの『遠い声・遠い部屋』を思い起こしたりもする。
あの最終章の連れ込まれるような、過ぎる少年期の一瞬の光明と自意識…、その感覚の背景にもまた太陽と地球の連動が意識できる。




※ 同書の末尾に掲載されるカポーティの少年時代の写真。ボクは"宇宙規模の自意識の拡大"と名付けてる。


そういう感覚に較べヒトの暮らしの中の小さいトゲに、時にムカ〜ッとさせられたりする。
数週前に、おふくろの年金に臨時の加算らしきがあったさい、彼女は今や歩行困難者ゆえ手続きの代行をしてあげたけど、マイナンバーに加え、身分確認の書類のコピーをと、2重の提出を求められる仕掛けだ。
しかし、これはおかしい。
マイナンバーでもって個人を国が確定し、それは住まいを含む彼女の個人情報が入っている公的身分証明書なワケだから、要はそのナンバーを記して手続き用紙を返送するだけで済むハズ。
なぜ、さらに身分確認のためと称して健康保険などのコピーまで要求するのか? 


そも歩行困難なヒトに、
「コピーをとってこい」
は、ひどいだろう。
コピー1枚作ろうにも、それが老人にゃ大変な作業になるかもという想像力が欠落してるんだから始末が悪い。
たまさか同居ゆえボクが変わりにコピーに出向けるけど、多くの老人が独居というのが現実だ。
コピー機のあるコンビニまで数キロ以上という所に住んでる方の方が多いんだから…、この国は老人に優しいとはマッタク言い難い。
それでま〜、ムカ〜ッと腹だったワケだけだ。
「国民の利便性」を掲げて登場したマイナンバー制度は、結局は欧米のそれを真似ただけ。むしろ手続きが増加して…、これじゃ何の意味もない。
受給される高齢者の実体などおかまいなしの…、家畜管理がごとくの数値的置き換えのイヤラシサだけが浮く。



かつて大正のはじめ、明治天皇と皇后の崩御にともない新たな神社が求められ、それが明治神宮なのだけども、神殿建立にさいして荒れ地であった周辺を森で覆うという計画がおきた。
(荒れ地になったのは明治になってからで、それまでは数100年にわたって彦根藩下屋敷と大きな庭があった。下屋敷というのは隠居した殿さんの住まいをいうのだよ。家督を継いだ新たな殿さんが住まうのは上屋敷という)


神が宿る杜(森)を創ろうという神宮境内森林化企画は、100年という長期での自然林育成プランだった。
"完成"は当事者らの没後はるか先、というプラン。
これに時の首相大隈重信は数年で結果をみたいがゆえ反対し、成長の早いスギを植えて手っ取り早くヤランカイと急かした。
けどもその圧力にくみさず、官の職務ながら、自然力に任せるべくとの見解でその意志を通し100年プランを遂行した本多静六林学博士や造園家の本郷高穂らの叡智と勇気と健気(けなげ)が誇らしく偲ばれる。
彼らは御用学者であり御用庭師的位置にありながら、権力に屈さなかった。
「神殿造営を第一とするでなく、あくまで神やどる森(杜)を造営するこそ命。そうであってはじめて両陛下の御霊もやすらぐ」
との骨子。



何段階かの作為は加えるものの、あくまで自然は自然に任せて成長させ保護するというスジを通し、枯葉は捨てず、樹木はおごるに任せてを貫いて、2017年の今その100年の最終目標に近づきつつある明治神宮境内の緑には、首相がらみの小学校造営ならば…、の配慮があったらしきの国有地の廉価譲渡みたいな、醜悪なイヤラシサは微塵もない。



※ 本多静六林学博士


鉄腕アトム』に「赤いネコ」という一篇がある。
環境保護をテーマにした作品で、昭和28年作だから、環境破壊だのエコロジーなんて〜名するなかった頃。ズイブン早い。(早過ぎるといってもいい)
「武蔵野を歩くには道を選んではいけない-------」
巻頭、ヒゲオヤジが国木田独歩の一節を引用して物語がスタートする、とんでもなく秀逸なこの作品は、役人の硬直と腐敗、儲けのためなら国土荒廃なんか関係ナシの方々の思惑などなど…、丹念に描かれ、何度読み返しても鮮烈が駆ける。
森を壊してビル街を建てようとの国の計画にとある学者が、いささか誤った方法で反対運動をおこす。森に住まう動物たちを操作し都内に放って混乱させる。
ま〜、いまでいうテロだ。
大混乱のさなかをアトム達が奮闘、学者を追い詰め阻止するが、結果、役人と業者の癒着構造が浮き上がる。
学者の手法はダメだけど、しかし、果たそうとした意気の部分ではアトムやヒゲオヤジやお茶の水博士は共鳴する。アトムの放った電流で学者は倒れるが、お茶の水博士は病院で彼が息を引き取る前に握手をかわす。



今、オリンピックの治安にかこつけてそんな共鳴すらも…、取り締まれる法を画策する勢力がある。国策遂行のための特定秘密法は既に動いている。
それらの法がご都合主義で運用されたらアトムもヒゲオヤジも活躍は出来ない。しようとすれば共謀の罪がのしかかる。それどころか、秘密法に基づいて土地開発が進むなら、アトム達は情報すら得られず、知らぬ内に森がなくなってたという事だって起きる。


小庭の花の向こうに、暗い不穏が動いている印象が拭えない。
心あって芯の太い官僚や御用の学者がいてくれたらイイな、とは思うのだが…、明治人の凛々とした颯爽はいまや稀少。
その点、百花繚乱の小庭の花々は、ヒトの制度や制約など関係なく太陽の元で自在を謳歌
そこがチョイ羨ましい。
ただ綺麗と思うのではなく、羨望を混じらせると、いっそう美しい存在になるのが、花。



※ イチヂクの苗木を目立たなくした小花の繚乱。