新聞の賞味期限 ~大統領の陰謀~

2週間ほど前だったか、カール・バーンスタインが何かのインタビューで、

「ジャーナリストの仕事はニクソン政権の時代より難しさを増している。自分たちが追求してきたような"入手し得る最大限の真実"への関心は低下し、多くの人は自分がすでに持っている考えを強化するための情報を求めている」

そう申されてたけど…、頷ける。



※ カール・バーンスタイン近影 


今や情報があふれ過ぎ、情報を選択しなきゃ〜いけない状態になって、結果、自分好みのものを選んでいく、そこに偏向が生まれる…、というのを彼はいってるワケだ。
けども、これは状況解説であって、新聞はどうあるべきかを答えたワケではないから、たぶん彼もいささか途方にくれてる昨今なんだろう。
数多のコトバの混沌に辟易しきって「聖書」の中の神はバベルを滅ぼすワケだけど…、なんだかそんな例えを持ち出したくなるアンバイの昨今。


新聞社を舞台にした映画を数本続けて、観る。


大統領の陰謀』 
  1976 アラン・J・バクラ監督 

『トゥルー・クライム』 
  1999 クリント・イーストウッド監督

『シッピング・ニュース』 
  2001 ラッセ・ハルストレム監督

『クライマーズ・ハイ』 
  2007 原田眞人監督

消されたヘッドライン』 
  2009 ケヴィン・マクドナルド監督


以上5本、大手新聞社、地方の新聞社、規模の大小はあれど、共通するのはただの1点、記者とその周辺者の記事への向かいよう、だ。
映画はそれを追ってくから、ま〜、過程が面白い。



消されたヘッドライン』以外はインターネット社会以前の物語。描き方として一直線で済むようなところもあったけど、ネット時代となってからはどうだろう。
消されたヘッドライン』のラッセル・クロウ演じる記者は自社のウェブ版記事と自身の記事を比較対照しなきゃいけない立ち位置にいて、そこがちょっとややこしい。売れる記事を書け…、との経営側の圧も高い。


しかし要は、根気よく"事件"を追うヒーローとしての記者の熱意と意志がどこまで維持出来るかということで、そこはネット以前ネット以後も同じだろう。
その根気よくの背景には"野心"もある。また、それを汲み上げる新聞社の"気骨"もいる。
新聞は、生まれた当初はただ世間のアレコレを広く報じるでよかったけど、大戦後あたりから、性質に権力の監視役たる側面が発生した。
権力に敵対するというコトではなく、務めて公平に権力の方向を見て意見も辞さないという新たな任を、おった。
そこは難しい。
けども、1例するなら、「ウォーターゲート事件」を追った2人の記者の1人ボブ・ウッドワードは熱心な共和党支持者だった。その共和党の中枢に関わる事件を追い、不正があったことを書く決意こそが、新聞を買うに価いするものにしていた。
2人の記者とそのワシントン・ポストは、政権側からは、
偏向報道のきわみ」
怪文書を捏造している」
と糾弾されもしつつ、コツコツ頑張った。
さぁ、そこが今、危うい。



※ バーンスタインウォーターゲート事件を記事にし追求した人。映画『大統領の陰謀』のモデルとなった1人。当時の写真。左がカール・バーンスタイン記者。右はボブ・ウッドワード記者。


大統領の陰謀』は、一見では実に判りにくい。彼らが追う事件のカタチがよく判らない。
邦題もいけない。
原題の、"ALL THE PRESIDENT'S MEN"は訳しにくいけど、直訳での「大統領のすべての側近たち」の方が示唆するところが大きい。



ニクソン1人が陰謀していたワケじゃない。彼の取り巻き達がうごめき、池に投げた石ころが波紋を拡げるように次々と人が加担していって、どこかの時点でニクソン自身もそれを承認して輪の1つという次第なのだから、ややこしい。
しかもまた、その波紋形がずいぶん複雑。
あまりに多数のヒトが加わって、いわゆる「ソンタク」も多々発生もし、それぞれのポジションでうごめいたもんだから、映画を2回観たくらいでは、まったく理解が得られない。
しかしまた、波紋というのは必ず中心点があるワケで、紋をたどれば、結局は大統領ニクソンそのヒトに焦点が絞られてもいくワケだ。
それを大俯瞰して眺めてはじめて、ニクソン政権が強固で独自な、
「自身に都合よい監視管理体制を張り巡らそうとした」
コトがわかるワケだ。
三権分離の原則や、あるいはCIAやFBIといった組織の独自性を無視しての、政権の恣意的独裁がほの見えるということなのだ。



そのような監視社会をニクソンとて望んじゃいなかったろうが、結果はその方向に急速に向かい、そのための工作資金が「ニクソン再選委員会」という選挙組織を通してバラ巻かれつつあった。
例のディープスロート氏は、今はもうそれが当時のFBIの副長官だったコトが判っているけど、その立場ゆえ、彼は自身の身の上の将来に不安を抱いたともいえるだろう。悪しくいえば、「この状況はヤバイ」と、保身のためでもあったろう。
彼が若い記者ボブ・ウッドワードと接触しなきゃ〜、また記者が得られた僅かな情報を元に確証を積み重ねていかなきゃ、ウォーターゲート事件は事件として成立しなかった可能性がとても高い。
自由と平等を標榜する国家の芯がポキンと折れる直前だった…、といってもいい。だから大事件なのだった。



この映画の出演者(ウッドワード役)であり製作者だったロバート・レッドフォードのコメントをDVDで見ると、映画の企画は、ニクソン辞任の前から動いていたようだ。
当初、他紙には書かれない小さな記事として、「ウォータゲート・ビルへの不法侵入者たち」が載り、そのことをどうやら追求しているらしき記者2名の存在を知って、レッドフォードが、彼らに映画化の話を持ち込む。
けども渦中の2人は、最初はその申し出をかなりメンド臭いと煙たがったようだ。なにより彼ら自身が事件の規模をまだ掌握していなかった…。
事件の端緒となる侵入事件発生(74)から2年後にニクソン辞任、さらに2年経って2人は本を出版(78)。それを元に同年、映画も完成した。



※ 映画公開のプレミアショー会場での本人らと役者


ジェイソン・ロバーズ扮するワシントン・ポスト編集主幹ベン・ブラッドリーが、
「国民の大半はこの事件に興味を持っていない。しかし、調べに調べて書き続けろ」
というニュアンスで若い記者2人にハッパをかけるシーンが印象深い。


繰り返しこの映画を眺めてみるに、当時のニクソン政権の報道官が険しい表情でこの主幹を非難している実際のテレビ映像なども使われているけど、主役の2人の背後にいる主幹を攻撃する政権の巧みさには、ハッとさせられる。
ベン・ブラッドリー主幹こそが尋常でないストレスに耐えているワケだ。
映画はそこをストレートに見せないけど、ジェイソン・ロバーズの演技は圧巻だった。弱さを見せない意志の人というカタチが素晴らしかった。



※ ジェイソン・ロバーズ


彼ともう1人、共和党の秘書の女性を演じたジェーン・アレクサンダーの2人が印象深かったので、チョイ調べてみたら、あんのじょう、2人ともどもアカデミー助演賞の候補だった。(ジェイソン・ロバーズが受賞)
ジェーンは映画の中では5分も出ていないけど、不正を見てしまった秘書としての苦悩がその5分に凝縮され、それも表情の起伏として描写され、これまた感じいった。彼女もまた自身の弱さに耐えている人なのだった。



※ ジェーン・アレクサンダー  


主人公ほかセリフが多く、飛びかう個人名も多数。なので字幕がまったく追いつかない。
そこで日本語字幕を表示させつつ、かつてのテレビ放映時の日本語音声を流すのも手、かな。いかんせんテレビ放映はカットされたショートなものだからマッタク充分じゃないけど、ま〜、それでも一助にはなった。



イーストウッドの『トゥルー・クライム』は、いささか映画的過ぎ。
冤罪で死刑になる直前の黒人青年の無罪をたった半日で記者が導き出す性急さが、せっかくの題材を壊してる。



『シッピング・ニュース』は、わずか5人の地域新聞社ながら、記者と新聞社のカタチが新聞界の縮図として見えて悪くない。それぞれのキャラクターがチャンと立って、それぞれに感情移入できる。だから色々な視点を選べるというワケだ。これは良い。
記者らの昼食の"ゲソ・バーガー"は、その昔、真似して何度もトライしたもんだ。
なぁ〜に簡単、ゲソのフライをはさみこむだけ。どのようなソースがよいか楽しく悩んだもんだ。



『クライマーズ・ハイ』は、かつて映画館で観たさいはピンと来なかったけど、DVDで再見すると随所に見せ場ありで頼もしい。
1つの大きなフロア(編集局)での集団演技という1点では、たぶん、この映画はハリウッドの映画をおさえ、ダントツのトップだろう。
日航ボーイング機が落ちた御巣鷹山の現場を見た若い記者が精神に異常をきたすくだりは、ややドラマチック過ぎる感が濃いけど、主幹同士での記事扱いの争いやら、その確定への経緯やらは圧巻。
当時の首相は中曽根で彼が靖国に詣でたというのは大ニュースだった。その記事と墜落記事をどう配置するかでケンケンガクガクするところは、3度観たら、4度めを観たくなる。



社主の山崎努がすごすぎて、そこがこの映画の評価にもつながるんだろうが…、真実を追う主人公たちには共感出来る。
ヒーローは容易に生まれないんだ。その点でイーストウッドの『トゥルー・クライム』は良い線をつきながらも現実の鏡に、遠い。

5本をあえてランク付けると、こうなる。


1位 『大統領の陰謀
2位 『天国と地獄』 
3位 『クライマーズ・ハイ』
4位 『シッピング・ニュース』
5位 『消されたヘッドライン
6位 『トゥルー・クライム』


あら? 1本増えたじゃない…。それも2位?
黒澤明のこの名画は何度観ても名画だ。
でも、そうじゃあるけれど、卑劣な犯人(やっぱり山崎努だ)に対して、警察とマスメディア(新聞社)が癒着談合して、いわばオトリ捜査で罠をかけるくだりが、今、いささかの空恐ろしさをおぼえたもんで、急遽に追加した次第。



※ 警察と新聞記者のシーン。右の千秋実の横に大滝秀治がいるがセリフなしの上にクレジットもされない。すごい役者たちがバンバン出ているという点でも、これは一級品。


なるほど卑劣な犯人のあぶり出しとして、一見、警察と新聞社の動きは正義の鉄槌のように見える。
犯人の山崎努が憎いがゆえ、観ていて、喝采したくもなる。けど、いや、それは違うだろうとの感もまた同時に高ぶる。
警察とマスメディアが共謀して情報操作、都合よきな、いわば法を無視した、検挙を前提での恣意的制裁にボクには見えて…、たとえ当時、誘拐罪に対する刑が軽かった(未成年者誘拐は3ケ月以上5年以下)とはいえ、
「それはダメでしょう」
溜息する。
ま〜、その点のみを注視すりゃ、なるほどこの映画の公開と模倣犯罪を契機に、誘拐罪が改正され、まさに『天国と地獄』、良い部分と悪しきな部分が当時の実社会で沸き立った(ヨシノブちゃん事件というのもこの映画の後です)らしきだけども…、警察とマスコミが共謀しちゃ、もはや1市民の声も姿勢もが容易にポキンだもんね。
それであえて2位に置いた。



思うに、こたびの共謀罪は警察を含む権力側のそれを規制するもんじゃない。そこが大変に怖い。
ややうがって、強行かつ強硬にいえば、ニクソン政権はヨロシクないと判ってるから類するソレを非合法でやろうとしたけど、アベコベ政権はソレを、国民の無関心をいいことに強行採決で合法化させた…、と云えなくもない。
悪しきが進化したワケだ。
それゆえ国連の人権担当者から首相宛に連絡があったりして、それは内政干渉の一歩手前ながら、
「おかしいぞ」
と懐疑懸念されてるワケなのだ。
でも馬耳東風、耳にお豆腐突っ込んだって効きゃ〜しないだろう。