パッションフルーツ移動 ~伊曽保物語~

毎年の冬から春に至るおよそ半年、室内で越冬させていた2本のパッションフルーツ
内1本がダメになった。
薔薇農家みたいに夜間も暖房を入れ、けっこう気を使っていたものの、徐々にグリーンが色褪せ、全体が茶色になってしまった。



同じ条件下に置いた2本ながら、1本は元気。原因不明。上からユックリ下へと緑が茶に変じてったから、水分摂取がうまくいかなかったのかもしれない。
かなり残念。
けども昨年に、何本か挿し木に成功し、内1本がそれなりに育ってくれた。



もう6月。
旧世代と新世代を、小庭に移動。
旧世代は昨年同様、鉢ごと土中に埋める。
(鉢底の水抜き穴から根を下ろすので、これで良い。また、そ〜しないと、後述するけど根が拡散し過ぎる)
新世代は鉢を変えるにとどめ、土には埋めない。



あたたかくなったとはいえ、室内から室外というのは環境激変。
明け方は気温が下がるし、日中は陽射しに負けもするから、グッタリした姿をみせ、水やりを怠ると大変なことになる。
しばし眼がはなせない。
面倒なこっちゃ。
けども落ち着けば半年の越冬我慢を忘れ、南洋の大らかさでもって、伊武雅刀云うところのモジャ・ハウス的な伸びっぷりを見せるから、そこを楽しみに面倒をば…、呑み込む。
アイビーやアサガオと違い、パッションフルーツの葉が艶やかでとても柔らかな感触があるのも好感。



成長5年めでダメになったのを、鉢から出し、土を落として根を観察する。
毛細血管のような細い毛根が特徴。
ひと夏で4〜5mも枝葉が伸びる秘訣がここに有り。土中の水分をドンドン吸収するわけだ。当然に根もよく奢る。
この毛細が土中に数メートル拡がる。小庭ゆえ他の植物の根に干渉するのは困る。ゆえに鉢ごと…、のワケだ。



さてと。
畑作業(というホドのものじゃ〜ないけど何かそ〜いうとカッコいいので)後、『伊曽保物語』とそのオリジナルを並べ、拾い読む。
「漁師と鮪」がいい。

漁師が海に出て丸1日悪戦苦闘したけど何も獲れない。
ガックリ途方にくれていたら、何かに追われたか鮪(まぐろ)が水面にはねあがり、うっかり舟の中に飛び込んできた。
漁師は捕まえ、町へ持ってって売り、いつも以上の収入を得た。


『伊曽保物語』は、かのイソップ寓話の日本仕様。
原型は室町の末期、戦国時代に入ってた。
現存のイチバン古いものは、信長がなくなってチョット経った頃、天正19年(1591)に、イエズス会の宣教師が島原の加津佐というところに設置した活字印刷機で、その頃の日本口語体でもってローマ字で刷ったもの。
おそらくたくさん刷られて配布されたろうが、その後の弾圧だ…、『華氏451』さながら焼きに焼かれ、日本からはすべてが消え去って、今は英国の大英図書館にあるきり。
(江戸時代になっての島原での大弾圧までは、1部の日本人はローマ字に馴染んでいたというコトの証拠品でもある…)

ローマ字活用法と当時の日本の口語は今とはかなり違うから、実にまったく読みにくいけど、宣教受難を生き残った稀覯本。たしか大英図書館では国宝級の扱いになってるはずだ。



いちばん上の2行。
「エソホ(イソップ)が生涯の物語 略」
と、読める。X-Oはショウだ。


イエズス会の方々は離日し、残された信者はメチャな迫害を受けたのが史実だけど、けどもそのイソップ寓話は、シッカリと日本に定着した。
口から口に伝わり、丸ごとおぼえたヒトもいた。『華氏451』の"ブックピープル"をボクは思い出す…。
やがて江戸時代。キリシタン断固禁止ながら、滑稽話のような体裁にカタチをかえて出版が相次いだ。
それが、『伊曽保物語』。



元より、イソップは紀元前のヒトだからキリシタンと関係もないけど、取り締まる側はそうでないから、江戸時代の出版人はなかなか気骨があるとは、いえる。
とはいえ、「漁師と鮪」のような話には宗教的疑念をはさむ余地はないから、取り締まりの役人側もまた、知らず愛読していたにも違いない。
今は美術館や図書館の稀覯本として収まっている江戸期のそれらが、多くは武家の蔵から出てきた…、というのがその辺りの事情を物語ってる。
たぶん、その家の子女や世継ぎの息子なんぞに読み聴かせていたんだろう、な。



※ 1659年(万治2年)版の1ページ


ま〜、「漁師と鮪」的に、やらなきゃいけないコトがピョピョ〜〜ンと片付かないかなぁ、
「果報は寝て待て」
と云うしなぁ、などと本日は気休め半分にこれを記してるワケだけど、でもこんな一篇もあったよ。

腹ペコの狼が食物を求めてうろついてたら、とある家の中で老婆が、泣きわめく子供に、
「泣き止まないと狼にやるよ」
というのを聞いて、
「しめた」
と思って外でジ〜〜〜ッと待った。
でも日が暮れても何もおきなかった。
狼は失望し、
「いうコトとするコトが、別々じゃんか…」
立ち去った。


オリジナルでのイソップは結びに、
「言葉と行いを一致させない人達に適用の話」
としているけど、この場合、果報は寝て待ってもやってこないぞ〜、とも取れるね。
「ものくさ太郎」の自堕落をボクは好むんで…、期待して待機の狼に同情出来ないけど、そんな感想と共に、でもイソップのバランス感覚にいまさら、驚いたりした。彼もまた苦労したんだな〜(ながく奴隷生活をおくっていたという)、そう確信しつつ、そこをうまくテキストにまとめていったワザに攫われる。



彼はかたよらない。
複眼で1点をとらえ、点が球になるまで凝視し、事象を3D化してる。
イエズス会の連中がこれを1つの教材として用立てたのも、うなずける。
当時の仏教勢力、とりわけ地域の末寺は権威にアグラしてかなりに堕落退廃もしていたようで、そこにイソップのようなピュアな心象世界をキリシタン的世界と結んで布教に用いれば、一休さんの頓知じゃ追っつかない、カトリック優位な"良き武器"になったとは思える。
著作権者としてのイソップがもし生きてりゃ、「そんな活用はこまります」だったかも知れないが。