カエル ゲコゲコ


茶バナシを長々連打したんで、今回はかる〜く…。
うちの小さな庭池に久々数年ぶりにカエルがやってきたのだった。
居ついて、四六時中、鳴く。
夜通し鳴き、昼も鳴き、いったい何時に寝てるのか?
居るのはただの1匹。
それゆえ仲間欲しさで、求愛かねて鳴き声あげてるんだろうけど、そも彼(彼女かも)は、どこからやって来たのか?
住宅街のそれもやや車の通行が多い道際。近辺に水っ気なし。
遠い宇宙の彼方から銀色な円盤でやって来たわけはない。
当然に、どこからか、とにかくも徒歩というか跳ねながらに、やってきたには違いない。
そこを思うと何やら、ご苦労がみえて愛しくもあるけど、四六時中の、
「ゲコゲコ・ゲッゲ」
が、うるさい。



何年か前のNHKの「クローズアップ現代」で、
「川のせせらぎがうるさい。なんとかしてくれ!」
とあるキャンプ場の管理人が実際に受けた苦情の1つが紹介されて、いささか信じがたいホドの衝撃を受けたもんだったけど、このバカな事例と我が輩の"うるさい"は、同根なのかど〜かを…、まずは考えて、
「それとこれは別じゃ!」
と、見極めた上で、その
「ゲコゲコ・ゲッゲ」
は、自然音じゃ〜あるけれど、パブリックに属さないパーソナル・レベルな"ノイズ"だと、察した。


先日やって来てホッコリ笑った親族の昆虫学者氏いわく、
「メダカや金魚の稚魚、食べちゃうよ」
とのコトもあり、駆除でなく、移動をば願おうと…、ある日の午後、昆虫アミをば持ち出し、ただの1匹を追った。


ひどく苦労するものでもない。庭池は小さいし、彼は呼吸のために定期的に浮いてくる。水中にジッと逃れ潜むのを続けられない。
捕まえ、近場の用水路(今は田植えのシーズンゆえ水量がやや多い祗園用水の末端)に引っ越してもらった。
カエルめは、しばし、キョトンとし、我が身に何が起きたか掌握できない様子だったが、やがてひとかきし、水中に消えた。


さて、これで静かになった…、のは束の間。
某日某夜の雷をともなったかなりの雨の中、またどこからともなく一匹が侵入し、
「ゲコゲコ・ゲッゲ」
新天地ハッケンの悦びみたいな声をあげだした。
しかもこの1匹は産卵のためにやって来たのだった。
翌々日だか、睡蓮の浮き枝にビッシリ半透明なのが附いてるんで、
あじゃぱ〜」
カエルめをまた捕らえて用水に移動させ、睡蓮は掃除してとにかくも産卵場とはならぬよう…、営繕にコレ務めた。



※ 中央の色黒な葉の下方に透明な卵群あり…。


カエルめはど〜やって移動して来るのだろか?
四方をブロック塀で囲い、川とも離れ、おいそれとは探訪できないハズなんだけど、その予想を軽々越え、カエルめは庭池にやって来る。ここは安全とばかりに卵を産みつける。


思えば…、街のドマンナカ、弓之町(岡山です)に江戸時代の藩学校の入口部分が保存されているのだけど、そこに半月状の池(藩学校には特定のフォーマットがあって、全国概ねの藩学校は門をくぐると直ぐに半月状の池が置かれてたようだ。ほぼ完全なカタチで残っているのはこの岡山の遺跡のみ…、らしい)があって、今は大量のスイレンが浮いてビッシリ。



驚くことにここにもカエルめが、いるんだ。
街のドマンナカだぜ…。
夕刻訪ねると、ハスのあちこちで、
「ゲコゲコ・ゲッゲ」
鳴いている。
わいて出てきたような感が浮き上がる。

古池や かわずとびこむ 水の音

かつて芭蕉はそんな情景を詠んでくれたけど、かわずめがどこからやって来たかは詠んでない。まして地表の様相が今とは大違い。

かわずめは どこを跳ねてや いで来るや

と、対抗の句を捻出してみるものの、これでは思考停止だね。




かつて1941年、ディズニーのアニメーションに対抗してフライシャー兄弟が『バッタ君町をゆく』という秀逸な短編を創ったことがある。
車に怯え人の歩行に怯えつつも何とか町にバッタが辿りつく次第を描いただけのものじゃ〜あったけど、そこを踏まえると、うちの小さな庭池にたどりついたり、藩校のそこにやって来たヤツは、幸運と強運を兼ね備えた希有な1匹…、ということになるのかもしれない。



が、しかし、うちの場合は必ずしもラッキーとはいいがたい。
アミを手にした我が輩が、

いざ捕らえん かえるピョコピョコ ミピョコポコ

悪魔的形相でもって、季語なしの排除モード全開なのだった。