駆込み女と駆出し男


この国では「政権」というコトバを使いたがる。
英語では、「Political Power」と書きくけコ。
けど、ホンバの英語圏では、どうもそう云わないらしい。
ただ、「Power」と記すらしい。
「Political Power」は日本発案の組み合わせ造語の類いで、じっさいはオバマ・パワーでありトランプ・パワーのようだ…。


云うまでもなくこの場合の「Power」は『権力』だ。
日本ペンクラブの会長となった吉岡忍氏が、
「戦後教育で一番欠けているのは、「権力」という概念を教えることだと思う」
と述べてるが、なるほど…、造語としての「政権」もまたその流れの中の、カドを丸くした曖昧語か…、そう感じもする。


お江戸の末期近く、天保の時代、その「権力」を大活用というか大悪用した人物があった。
鳥井曜蔵、という。
南町奉行所の目付役。官僚中の官僚。
この人物のふるまいを濃く勉強したわけでもないけど、みなもと太郎の『風雲児たち』を読んだだけでも充分過ぎるホドに、この男のひどさ、腐敗、権力行使のひどさは判る…。
こやつめが一般市民をはからずも苦しめていた時代の物語、『駆込み女と駆出し男』。



登場人物が美人過ぎるきらいはあるけれど、セリフの聞きにくいところやシーンの速度は実に監督・原田眞人の独断場。
テレビドラマ的セリフの判りやすさほど現実と乖離したもんはない。
そこを原田は嫌ってる。
聞き取れない不明にこそ、ヒトのホントの姿があるのを彼はよく判っているというか、強く意識してらっしゃる。コミュニケーションはアヤフヤの中の見通しと見切りなんだから、な。


この映画の醍醐味がドカ〜ンと発揮されるのは映画の2/3が過ぎた頃。
ま〜、そこが原田フアンのワタシとしてはヤヤ不満ながら、けどもそこに至るための下ごしらえはしっかり前半に描かれ、ここの消息の醍醐味は何度かこの映画を見返すしかない。
1つの時代の中、幾つかのテーマが糸を撚るようにして織り込まれる。



これも映画の芯になっている。


ここは原作の井上ひさしが、やはり凄いのだけども原田監督はよく汲み取ってる。
紛う方ない病魔に犯された女が好いに好いた男に対して取った行動。あえて男から離れる心理の深さと綺麗さと我慢を含めた芯の強さ。
男は女の本当を知らないし、女もまた男の本当を知らない。
ま〜ま〜、だから、長谷川きよしのあの唄が響くわけだ。
おとこと おんなの あいだには ふかくてくらい かわがある
…んだね。(もちろんこの唄はこの映画にゃ出てこないよ)



映画の背景に「権力」者の横暴がある。
首相というか老中・水野忠邦の下、水野の「改革きどり」の朦朧にうまく色を入れての鳥居曜蔵の巧妙狡猾が、シーンの端々に重圧として織り込まれてる。
鳥居を演じた北村有起哉の存在が濃く、この演技は必見。
さらには、水野忠邦を演じた中村育二が、怖いですな。



このヒトも、原田作品の常連。『クライマーズ・ハイ』ではどっちつかずの頼りない編集局長をやって見所たっぷりだっけど、本作じゃ〜一転、どえらく強面(こわもて)、権力臭たっぷりのイヤな感じを演技して、これまた秀逸。出番は少ないけど物語の水面下を知るに充分な存在感。いや素晴らしい配役。
悪役を誰が演じるかで映画は"きまる"。



素晴らしい、といえば…、なんちゅ〜ても主人公・信次郎を演じた大泉洋が秀逸。
「素晴らしくて適わない…」
なので、「素敵」という一語を造る、その産みの瞬間を捕らえた原作とそこを映像化した監督の両者の眼の配分は、これはたぶん、20〜30代の若さじゃ〜判るめ〜。
史実は知らないけど、「政権」同様、新語が産まれる瞬間というのは妙なもんだ。


この映画の大泉はいい。
日本で最初の浣腸はシーボルトの手によるが、これは衆人カンシ、大勢の眼の前で行われた(らしい)。
政権の方針で南蛮医療の施しは"見世物"と位置づけられ、だから施される患者、わけても女性には死ぬより酷い治療だった。
むろんシーボルトはその非道に憤怒したとは思われる。ま〜、それゆえ、見世物ではない医療行為の場として鳴滝塾を設けるべく尽力したワケで…。



この映画に、その浣腸シーンがある。
医者見習いの大泉と寺の法秀尼(陽月華)のやりとりが、とにかく笑える。
診療されるおゆきを演じた神野三鈴(ジャズ・ピアニストの小曽根真のワイフ)が、このシーンを強烈に印象づける。
が、監督の原田は笑いに媚びない。
小津安二郎的ローアングルでもって、長いシーンを1ショットできめ、笑わせ、サッとシーンを変える。
サジ加減の抑制が実にいい。


信次郎は医者になるか戯作者になるか…、二兎を追うていたけれど、最後の最後で急転、決着をつけるのが、女だというのもいい。
その女を演じる戸田恵梨香が、いい。
労咳(けっかく)に犯されたお吟の満島ひかりがいいし、監督の臨終にさいしての演出が圧倒的に素晴らしい。
樹木希林が、いい。
法秀尼(ほうしゅうに)の陽月華が、ダントツ、いい。
この高位な尼さんが、この映画の隠れた核心だよ。
麿赤兒堤真一山崎努、でんでん、中村嘉葎雄、蛍雪次郎ほか男優いっさいがワキにてっしたのも、いい。
権力の横暴のさなかでも女の逞しさが炯々と光る…、という1点の見方も出来て、「素敵」な映画と位置づけたい。
近年、繰り返して眺められる日本映画は少ないとボクは思ってるけど、原田作品は例外だ。
彼には1999年作に『金融腐敗列島(呪縛)』があるけど、この映画での銀行と総会屋の動向は、今ハヤリの「ソンタク」だ…。原田はそれを「ジュバク」といい、ずいぶん前から権力者と周辺者の構造を読み取ろうと務めてる。



何度か観るとチョイ判ってくる。鳥居たちの権力同様に、法秀尼もまたこの駆け込み寺では大権力者なんだよね。
で、彼女もそれを行使する。
けども鳥居たちと違うのは、その権力を彼女がどう活かそうとしているかだ、よ。時に彼女は寺の戒律規律を、
「寺法は寺のためにあるんじゃありませんよ!」
強い意志で自ら破る。
だから最後の方での、鳥居のスパイたる女が法秀尼だけが入れる部屋でもって、あるモノを見つけ、愕然し、驚愕し、うたれて改心をするワケだ。
ただ原田監督はあえてそこをサラ〜リと描いてるんで、初見ではチョイ見落とす…。
感動を押し売らない姿勢もいいね、この監督は。
いっときは息子の遊人を特別扱いしてるよう思えたコトもあったけど、『日本のいちばん長い日』や『駆込み女と駆出し男』はそこは抑制されてるよう感じる。
むしろ、遊人の映像編集者としての力量アップに期待が大。繰り返し観ると、実に細やかな作業を彼はやってる。主役らの動きの背後で脇役がどう動いて、それが次に何につながっているか…、父・眞人の演出を息子・遊人は実にうまく汲んでつないでる。
いいぞ。


封切られ、DVDになって…、もう2年になると思うけど気づくと、10回近く観てるなぁ。
回数はさらに確実に増す。