関ヶ原


某日。
若い友人の結婚披露パーティ。
その司会進行役。
自分の立ち位置として我が年齢が増すたびに当然、こういうパーティは少なくなる。
4年だか5年前、今回主役の共通友人のアッコとタケシの披露パーティ司会で身につけたヘンテコなパーティ・グッズのチョ〜ネクタイ姿をあえて再現。
これも"御縁"と思えば価値ありの再使用。
近頃の披露パーティでは「ファーストバイト」というのがあって、打ち合わせ時に初めて知った。
それで演出上、これを組み入れ…、甘いシーンを微笑ましく眺めたり…。
主役2人の輝ける前途に幸あれ、だわい。
新婦友人のよしだよしこさんが東京でのTV収録後に光速駿足で駆けつけてくれ、歌声が宴をとってもグレードアップしてくれた。
彼女の『月の庭』という曲の、
「多くの言葉よりも その手の温もりを」
という部分(↑これは原詩にあらず)に感じ入らされた。



※ 宴を終えてタイをはずしてホッと一息の新郎新婦とよしださんとわたし。


某日。
岡山中央警察署に出頭。
9/30の「ちゅうぎんまえジャズナイト」のための、道路占有使用許可の手続き。
毎年のことながら、この手続きは面倒なり…。



某日。
原田眞人監督『関ヶ原』をイオン岡山で観る。
原田監督の一連の作品を順に眺めみると、彼が「日本って何だ〜ぁ?」をテーマにしつつあることが判ってきて、さてとそう思うといっそう、新作公開のたび、おつきあいをしたくなる。原田という人の眼を通しての日本を体感体験してみたいニャ、と思うようになる。
『金融腐敗列島{呪縛)』、『狗神』、『突入せよ!あさま山荘事件』、『クライマーズ・ハイ』、『我が母の記』、『駆け込み女と駆出し男』、『日本のいちばん長い日』…。一見、それぞれ別の主題、別モチーフとも見えるけど、根ッコは一貫してブレてない。
テーマの根元には、"日本"というやや特殊とも思える国のカタチが横たわってる。
で、こたびは417年前の関ヶ原決戦だ。
個人的嗜好・史観で申せばボクは家康は嫌いだし、三成も同情はするけど好きでない。けどもおそらく家康が勝って以後の政治経済文化、くわえて人の心情はこの戦さでもって方向が決められてそれは今も尾を引いてるような気がしないではないんで…、この監督作品としては前作『日本でいちばん長い日』とこたびは…、はるかに俯瞰してみると、シリーズ連作"日本って何だ"のエピソード第何話ってなアンバイではあるまいか…、などと勝手な空想も出来るというもの。
司馬遼太郎の原作をボクは読んでないけど、司馬史観の上に原田史観がのったこたびの映画…、感想はといえば、司馬がかつて小説ではなくエッセーのカタチで書き連ねた"にほんというカタチ"への見極めが濃く想起されるようで、かなり感じいらされた。
ま〜、そこは、例によって長〜くなるから書かないけど。



最近は、歴女とか、それに付随の刀剣観賞がブームとかあるらしいけど、一過性のアニメ的イケメン・ラブリ〜な感がしないではなく、くだらない。
そのようなブームのさなかにこの映画を置いてしまうと、いよいよツマラナクなるけど、さすが原田はその辺りの浮かれ気分にソンタクしない。
極めてニュートラルな視座を保っているよう、見受けられた。


石田三成の栄光と頓挫、増長と恐縮と萎縮、その立ち位置の哀しみ…、などなど、眺めつつアレコレなボクが過去に知覚していた"関ヶ原"がうごめいた。
岡山←→東京間をもう何度となく車で体感してきたけど、過去の天下分けめの戦さの場というのはさておき、いつも冬場の関ヶ原は難所で、通過のたび、何がしらのエピソードが残る。
とんでもない量の雪がとんでもなく短時間でアッという合間に積もるのが、この関ヶ原…。何度泣かされ難儀したか…。
それをどうにか回避して車を進めると、関ヶ原を離れるや、雪なんてどこに? というアンバイで、ウソみたいな好天になったりもするから、関ヶ原の冬は、今も昔も尋常でない。
そこは本州中央部の、いわば鬼門なんだわさ。
ま〜、関ヶ原での戦闘は1600年の秋だから、トンデモな豪雪はなかったにしろ…、その鬼門での天下分けめの戦さとなったというのが、今となっては妙な感もうける。
けどまた一方で、戦闘後のアチャコチャに散らかった数千の死骸は、誰がどう"処理"したんだろう? そのような、歴史バナシには出てこない"日常感覚"での光景を、映画を眺めつつ、思ったりもした。
鑑賞後、近場で呑む。
映画を見終わった直後のビールは旨いねっ。



※ 北政所(ねね)役のキムラ緑子。徹底した方言が大変に印象深かった。DVDでの再見が楽しみだ。


しかし原田監督はハイピッチだなぁ。これだけの大作を年に1本ペースで量産というのは一時のC・イーストウッドと同列、ちょっと他に例がないな。
ご両者、ものすごく高圧な電流が体内を流れてるんだろう…。
井上ひさし晩年の、意外なほどに面白くなかった「東慶寺花だより」を噛んでくだき、まったく新たに組み立ててデコレーションを施した『駆け込み男…』の脚本の凄さは、かつてイーストウッドがあのつまらない小説「マディソン郡の橋」を徹底的に仕立て直したに匹敵するとんでもないワザとボクは見たよ。
その苦労の痕跡を見せないのもまた、両者の特徴。
カッコ良いね。
おまけに原田は大量の役者を同時同列一気に見せるという優れの編集力を持ってるから、素晴らしい。これは名だたるイーストウッド監督にもないワザ。というか、おそらく世界一。
役者としての原田は、かの『ラスト・サムライ』で大村なる憎々しい日本政府の高官を演じて実にまったく好感でもあったけど、ボクはヴェルヌの『海底二万里』を映画にするなら、原田を監督に指名したいとは…、かねて常々に思い続けてるくらい…、信頼をおいてる。
むろん、お会いしたコトはない。
やや遠方でエールを送ってる一フアンに過ぎないから、信頼を置いてるなんて〜のはホントはおこがましい。
しかし、かつて東宝撮影所に『ゴジラビオランテ』の取材に出向いたさい、撮影所内の巨大なゴミ箱(というより部屋みたいな)に、撮影終了して廃棄される命運の諸々のセットの類いが原田監督の『ガンヘッド』のものであるコトは承知してた…。
その頃はいかんせん、原田フアンでも何でもなかったワケで、ま〜、何も感想はなかった次第ながら、今考えるに、せめてその時こっそり、ごみ箱からハギレの1つ、着色された板きれの1部でも持ち帰ってりゃ、自分の"お宝"になってたろうに…、そう密かに口惜しがったりもしてる。