さらばブレランのニーゼキ

ブレランのニーゼキ」こと新関純一が、火曜の朝、なくなった。
午後に訃報が届き、しばし朦朧とし、今もその渦中。
鬱屈が沈潜しつつ拡散し、脱力して声をあげる気力がない。


30年越えのつきあい。
かつて昔、黎明期のTVC-15のホームページで武田真和のペンネームでもって彼は連載をもち、毎回、海外のブレードランナー・グッズを掘り出してきては紹介し、けっこうカルトな人気ページだった。
ボクの方は今や別な路線を歩んでるけど、彼は一路ブレードランナーの人。『ブレードランナー研究』の第一人者として独走中だった。
2007年から、昨夜(!)まで、彼は自身のブログ『ALL THAT BLADE RUNNER by NYzeki』を更新し続けてもいた。



つい数年前、雑誌『スクリーン』の別冊単行本(ムック)として、『ブレードランナー』本の出版がきまり、彼は資料の編纂と執筆に燃え、集中し、彼を援護支援すべく幾つかボクも原稿やレアな秘蔵写真を提出したりもしたけど…、ほぼ初稿があがった頃、発行元の近代映画社が9億5千万円の負債を抱え倒産。
担当編集者とも連絡がつかなくなって、出版はご破算となった。
(『スクリーン』は昨年に別会社(社名も引継)にて復刊)


そも心臓疾患ありで体調に高低差があって入退院をくりかえし、どうにかやっと出版という段階で出版元の倒産と…、彼は運にめぐまれない人だった。
しかも『ブレードランナー』の続編の封切り直前というタイミングでの逝去。
思えばかつて、フィリップ・K・ディックも、同映画の封切り直前に亡くなって、映画全篇を観ることがなかった。


こたびの続編に関しては、古くからのフアンである身として、新関もボクも、やや懐疑の情が強く、むろん、観ないワケはないにしろ、期待するというような次第は薄い。
だから、このタイミングで亡くなるのは…、なんだか彼らしい拒絶の意志とも取れなくもないけど、ふいに友をなくした空虚のデカサったら…、ない。
この夏の終わりにメールでやりとりしたのが最後となった。



珍しく、彼はワンフェスに出店するといい、ボクにも出て欲しいという要請で、けどもボクはもうそれは卒業しているので、
「おまえさんの誘いに乗らないよ〜ん」
という経緯があって、イベント後の報告メールだった。
そのさいの話題はリメーク版『トータル・リコール』で、ボクはある意味で『ブレードランナー』を継承する映画だったと評価し、わけても、劇中の警察車輌は『ブレードランナー』のポリススピナーの"発展形態"的デザイン踏襲と伝え、彼はその評価に異を唱えた。
次にあったさいは、そこを直かに話してビール呑みつつ盛大にケンカしようと愉しみにしたけど、もはやかなえられない。
新関と最後に呑んだのは…、ひらぱ〜君と3人での新大阪駅近くの居酒屋だったな。
杯を重ね、新幹線の最終便間際まで、徹底してブレードランナー談義に終始の、濃くて透明なメチャに楽しい夜だった。
それがもはや、呑めず、語れず、声聞けず…。
く・ち・お・し・く・む・ね・ん