ブレードランナー2049

イオンシネマでなく、あえてメルパで観る。
旧世代の映画館。
"ブレードランナー"的な感覚でその方が好もしいし、ここはお酒など持ち込んで飲食したってイイ空気があるんで、イオンに較べて自由度が高い。
何といってもシートを指定せずともいい。はじめてそこで席を決める現場感覚がヨヨイの良いよい、だ。
と、それにしても…、客が入ってなかったねェ。



初見の感想。
ハリソン・フォードがデッカードではなく…、あくまでもハリソン・フォードだった。
そのことに別に驚きはしないけど、歳月の流れを思わないではいられない。どのような役を演じようがジョン・ウエインがそうなったようにハリソン・フォードもまた押しも押されぬ…、というポジションに立ってしまったようなのだ。
さらには、これはどうしようもないコトだけども、1982年のオリジナル『ブレードランナー』に色褪せをおぼえないワケでもないのだった。
近年のボクの中で『2001年宇宙の旅』が退色しつつあるのと同様、経年による"薄れ"を感じて、これに少々アワ喰うのだった。
この2本の作品の価値が下がるという次第ではなく、テーマの深淵が浅くなる次第でもなく、ただただ時間による風化浸食を感じるワケなのだ。
これが人間のことなら、年齢を増して貫禄が出ちゃったり、顔のシワの中にその人のヒストリーが沁みて、結果、良い味になったりもするもんだけど、映画は残念にも歳をとらないから、逆にとらない分、味が薄れてくんだね。


だからボクは、『ブレードランナー2049』を眺めながら同時に1982年の『ブレードランナー』を重ね観てる自分の鑑賞法は、これはペケでしょう…、とは判りつつ、そこから離れられない次第でもあって、この続編の誕生に微かな拍手をおくりつつも、口惜しいような、汐が引いていく寂しさをたえず憶えているのだった。
だけどもまた一方で転じみるに、"強力わかもと"と"何か変なものが落っこちてるぜ"でほぼパーフェクトに打ちのめされた、未来のホンモノ感覚というか、その感触をこたびは望めなかった。
ビル一面の"強力わかもと"はその無名性がゆえポップカルチャーの最前衛に飛び出す破壊力を持ってたけども、こたびの街中の"SONY"の文字の躍りは、いかにも映画の出資者でございの厚顔がにじみ、かなり鼻白む。
喧伝されるホドにビジュアルはすごく、ない。



音楽は文句なく素晴らしい。
ヴァンゲリスの前作を彷彿させつつ決して亜流とならず、踏襲と新展開の歯車がガチリと整合し、かつ強弱の振幅が巧妙で、とても良かった。


しかし、いかんせん…、2時間43分はながい。
前半のワクワクはその長さゆえ失速、後半にはもう、ない。
猿の惑星』やら『マトリックス』やらのシリーズご同様な、神格化された1個人と、それを頂点に2極化された(正しくは、ヒトと旧世代レプリカントと新世代レプリカントの3極か)闘争劇に収斂されていく物語展開が、ど〜にもありきたり。つまらなく、ブラックな衣装のレプリカント多数が徒党を組んでるシーンに、
ブレードランナーよ、おまえもか」
総じて申せば、鮮度が薄かった。


さて映画の話から一転…。


翌朝、自転車で転倒しちまった。
段差に気づかず…、あとのマツリ。
顔面から地面に落ちたようで、新調してまだ1年と経たぬメガネが壊れ、顔面はちょっとしたハロウィン。
午後になって大きめの病院に出向いて治療を受け、あちゃこちゃレントゲンなどとって骨折やらヒビ割れを探してもらい、幸いそれはクリアなれど、鼻と口が腫れあがって…、なんとストローでお水が吸えない。
唇から顎にかけてが1番にひどい傷ということは、どうやら唇が最初に地面に激突した様子…。鼻と上唇の合間の皮膚は完全に欠損という有り様。
これはしばらくナンギ…、本日はお鍋を囲った小さな会合を予定していたけど、お鍋どころじゃ〜ない。
関係各位に延期の連絡を入れ、ちょっと放心。
「しばらくヒトマエに出られんぞ」
という心配よりも、現状では口を全開できずでゴハンが食べられない。
ブレードランナー2049』では訪ね寄った主人公をデッカードが一方的に投打した挙げ句に、「いっぱい呑むか」と気分換えるシーンがあったけど、あれほど殴られた後じゃ〜、口の中は大出血で大変、いっぱいどころじゃないぜ…、我が転倒とそのシーンをだぶらせて、
「ぃてててて」
暗澹を噛みしめてる。トホホ。



※ 転倒し帰宅した直後の自撮り。