48年前の腕時計 〜満員御礼〜

腕時計というのは、どう転ぼうとも腕に取り付ける小道具でしかなく、むろん、それゆえ、くすぐられるカタチだけども、デザインの基軸となる部分では、未来が閉ざされたガジェット、と思う。
手首に巻く、という所から出られないワケで…。
その大きな制約が逆に進化でなく深化方向に向かうしかないのは、ちょうど鎖国していた頃の日本の工芸品の深化っぷりに似もする。
フォークやスプーンがバリエーションは有りながらも基本デザインの飛翔のしようがない、だから未来が閉ざされたデザインと断言できるのと同様…、腕時計もまた進化の袋小路にあるモノなんだろう。
別に、それでどってコトはないけど、ただ、そのように思ってやると、より愛着も深まる。


いまボクがとても気にいっているのは48年前のアンティック。
26日の講演も、これで時間を計ってた。


SEIKOの自動巻き。
厚みが薄くヤヤ小ぶり。
しかし、一見でも二見でも48年の昔を感じない。
いっそ、
「最近発売されたもんだぜ」
って〜なホラを平然とふけるほどに、今の腕時計と変わらない。
だからアンティックを意識できない。
それが良いとも云えるし、ペケとも思えるし、けども何十年も止まっていた針が、手にした途端にコチコチと動きだしてる事実の厚みが、嬉しい。
電池時計じゃ、こ〜はいかない。頼もしい。


講演にわざわざ足を運んでくださった皆さんには、感謝申しあげます。
満席で、ホールの外のでっかいモニターで視聴の方もあったようで、嬉しい限り。




けどもまた一方で、まだまだボク自身が知らない明治岡山もあるワケで、たとえば今回も解説した「戦捷記念図書館」(現在の県立図書館はこれがスタート)の、8角形の瀟洒な丸屋根には、時計がついていた。
盤面が1メートルを越えていたかも知れない大型のもの。
当時は既に精巧舎(SEIKO)は自前の時計を売り出して、だから国産が存在しているんだけども、さぁ、この屋根時計のメーカーが国産だか輸入物なのだか、判らない。
ネジをどう巻いていたか、毎日巻いてたのか、そうでないのか、皆目判らない。
また、そのための屋根裏が当然に存在したろうけど、そこがどのような構造かも判らない。
なにより、それが明治38年末から昭和20年6月の空襲まで、長期に渡って時を刻んでいた事実の厚みに、感じいって…、久しい。





その判らないトコロが、興味の照射点なもんだから…、くどく執拗に調べては、おしゃべりを繰り返す次第。
明治・大正・昭和の合間、図書館の大時計は何度メンテナンスしたろうか? 
そんなことを空想するのが癖になって、久しい。



講演の相棒はこたびは…、指時計をつけた。
指に巻く時計という存在に笑い、
「きっと指が太くなるぜ」
と、また笑う。



講演時の写真はいずれも、K妃殿下撮影。
2人のゲストと共に、複数の良き仲間たちと過ごせたのが何より、嬉しく頼もしい。



※ 講演にかけつけてくれた造型作家の丸屋君よりのギフト。
焼き物だ。この小ささと、けっしてかわいいだけの表情を見せないネコの、誇り高きな眼の彩色が素晴らしい。