ボヘミアン・ラプソディ

 正直をいうと、クイーンというバンドは好きでなかった。

 彼らのデビューは1973年、ボクが大学生の頃。

 好きでないどころか、ブリティッシュ・ロックの中でイチバンに嫌いというホドのポジションに置いたもんだった。

 何が嫌いかといえば、も~、イチもニもなく、そのルックスだ。

 すでにD・ボウイもB・フェリーも髪を短くし、あらたなスタイルでもってロック・シーンの色合いを変えつつあるというのに、メチャンコ長い髪だし、衣装もダサイ。デビュー数年後にはフレディは髪は短いがランニング・シャツでのマッチョ・アピール。脇の下を晒すし……、カッコ悪いたらありゃ~しないのだった。

 なんせこちとら、幼少時よりランニング・シャツが大嫌い。母親が買ってきて着せようとするのを泣きながらジタバタ大暴れで拒絶したっちゅうくらいにイヤなのだった。

 

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 だから当然、そのような衣装のロック・バンドは眼のヤリバがない。やたら女の子のフアンが多いという背景も相まって、音楽の良し悪し以前のモンダイだ。

 なので食わず嫌いのままにクイーンを聴かず、遠ざけた。ボクの中にクイーンの居場所なんか、チッともないのだった。

 緩急自在な構成曲調での、やや高い歌声としてのバンドとしては、当時のボクはスパークスを聴いていた。

 ロンとラッセルのメイル兄弟だ。

 このバンドはまずジャケットが圧倒的に秀逸だったし、兄ロンの見てくれがケッタイだ。ポマードで撫でつけたヘアにヒットラーも笑うであろうチョビひげでもってホワイトカラーのシャツに黒いタイを結び、ごく無表情にキーボードに向かうのがマコトあっぱれ、ビジュアルもサウンドもとても美味しく感じたもんだった。

 

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 唯一買ったクイーンのLPは、1980年の映画『フラッシュゴードン』のサントラだった。

 映画中のセリフや効果音も入ったままの映画音楽としての文字通りな”サウンド・トラック”だ。

 ご承知の通り、この映画はダメ映画の典型じゃ~あるけど、そのダメさ加減がボクはあんがいと好きだったりもするし、公開と同時に「ダメじゃ~ん」な嘲笑に晒されてもいたから、その同情ともあいまって、エールを贈るような気分で、ま~。買っちゃったワケなんだ。

 いやしかし、アンガイと良いのだよ、このアルバムは。

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 マックス・フォン・シドー扮したケッタイなチャイナひげのミン皇帝の高笑いにかぶさってジョン・ディーコンのベースがデンデンデンデンと入ってきて数秒続き、ふいに、

「フラッシュ! アッハ~~!♫」

 昇り調子なコーラスが炸裂する展開の小気味よさは、映画以上にこのサントラの方が映画的だったりもした。

 

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 それから歳月が流れ、こたび伝記映画が登場し……、こちらワタクシめも、も~昔のようなトンガッた気分はない。もちろん今もランニング・シャツは大ッ嫌いだけど、バンドには、久々におつきあいしてみようという野蛮も出てきたワケなのだ。

 この映画に好感を持った人は、多い。

 すでに2回観て、さらに福山のIMAX仕様のシアターにまで足を運んだという某ビューティフルな女史もいる。

 彼女いわく、

「やがてD・ボウイの伝記映画も撮られるでしょうね」

 とのことながら、

「でもボウイを演じる役者って、いないでしょ」

 付け加えて苦笑するのだった。 

 同感。

ボヘミアン・ラプソディ』は予告編を見るだけでも、フレディ・マーキュリーブライアン・メイがかなり良く出来てる(役者が偉いね)んでズイブンに感心しちゃったけど、ボウイのあの美形は……、難しいでしょ。

 

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  てなワケで、イオンシネマ岡山で『ボヘミアン・ラプソディ』、観る。

 部分で史実と違うという声もあるけど、イイのだ。

 オペラ的展開のロックが曲として、どう編まれてったか、どうそれを彼ら自身が呑み込んでったかを眺めればいいワケで、フレディの性愛嗜好の詳細なんぞはまた別の切り口の何かでもって感じりゃ~いい。展開の速度と流れの緩急がクイーンの音楽映画だという一点に向けて突き進むのを、堪能すればいいのだ。

 中盤までに登場の曲はいずれも美味しくなりそうな所で次シーンに変わって、それで見てる内に次第シダイに欲求不満を上昇させてって、その挙げ句で、ライブエイドだ。英国会場のウェンブリー・サッカースタジアムを丸ごと、みっしり、むっちり、これでもかと見せてくれるという昇華構造。

 これは納得だった。

 

 ああ、それにしてもライブエイド。

 今更に、このチャリティーコンサートは思った以上の規模であったなぁとつくづく思う。それゆえの弊害や問題もあったと記憶するし、この辺りからチャリティーを方便にしたTVショーが生まれ出てきてハナにつくようにもなったけど、そんなことはクイーンを含め、ミュージシャンの責任じゃ~ないや。

 

 2軒ばかしハシゴして遅い時間に帰宅。

 YouTubeで当時の映像にあたってみると、こたびのライブエイド・シーンの再現度がハンパなく、実にうまく造られているのを”再見”させられるのだった。


Queen - Live at LIVE AID 1985/07/13 [Best Version]

 

 ところで、日本では、この手のアーチストの伝記的映画って産まれてこないなァ。

 没後数年と経たぬ内に、ベニー・グッドマンジャニス・ジョプリンジョニー・キャッシュジム・モリスン、などなどと続々と映画になる状況に、ない。アップルのジョブスが亡くなるや、ほぼ即座で伝記映画が企画されちゃうのとは様相が違う。

 そうでないなら、とっくの昔に『お嬢』とかなタイトルで美空ひばりの伝記映画が出来てるハズ。『夜霧よ』ってなタイトルで裕次郎が、『今夜の夜汽車で』ってな、あるいは『ノーノー・ボーイ』とかなタイトルでかまやつひろしとて映画になるハズ。

 そういうのが登場しないのは、何故だろ?

 かつて司馬遼太郎は何かの講演で、

「明治以後の歴史は描きにくい」

  と前置きし、

「まだ死体が温か過ぎるんですよ」

 そう申されたことがある。

 似た役者がいるいないではなく、観客動員が期待出来る出来ないかでもなく、その辺りの死生観、死者への感覚が欧米と違うのだろう。

 さらには、描こうとする方が亡くなっていなくとも、描き出せる環境が―――クイーン違いじゃあるけど、ダイアナ妃が亡くなった直後のエリザベス女王を描いた映画『クィーン』での、今も健在なその女王の描写なんぞは―――この国とは土壌が違い過ぎてクラック~ラ、目眩がしちゃう。

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  まっ、ともあれ、なが~い歳月を経て、本映画でもってというのもシャクだけど……、ボクのクイーン嫌いはかなり「規制緩和」しましたな、ルックス以外、サウンド面で大幅に。