新聞記事はありがたい

 明治に造られた岡山警察署。

 でもって、ながく久しく忘れられたその煉瓦の遺構。

 この数年、講演などのたびにチラチラと遺構の話をし、こたび、それを甚九郎稲荷に移動させてどうにか保存のめどを立てたわけだけど、30日金曜の朝刊で山陽新聞がヤヤ大きく取り上げてくれた。

 ありがたい、ですね~。

 地元の新聞だから眼にされる方も多く、そこがま~、とても重宝というか、ありがたいのですゥ。

 早朝から複数な知友から、

「また載ってますね~、シンブン」

 ってな連絡を速攻で頂戴するし、ならばと、ごくごく少数の懇意にこちらから厚かましくも、「読んでちょ」連絡したりもした。

 

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 たまさか昨日金曜は夕刻より大学関連のとある映像コンテンツを創る委員会の打ち合わせと忘年会だったけど、忘年会場の店の女将やらの眼にもとまっていたようで、ちょっとくすぐったい嬉しさを味わったりもした。

 たださすがにこの年齢ともなると、自分が露出するコトよりもやはり、遺構移動の件を、新聞というカタチでもって伝えてもらえたコトがとても嬉しい。

 このメディアは人物を紹介するさい、ほぼ必ず年齢も記載するから、そんな個人情報の部類を名と併記されるのは、こんな年増になったゆえ、どこか哀しいような気分も味わわさせられるから、それで、自分が記事の中にいるお喜び感覚よりも、記事となった遺構に関してに着目してもらいて~、という気色が断然に濃ゆい。

 

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  ともかくも、市の文化担当者さんもその存在を知らなかった気配濃厚な明治の煉瓦組みを、一部とはいえ保存のために移設出来たコトが、なにより嬉しい。

 先の11/17の講演でも巻頭でチラリ告げたけど、RSK山陽放送さん、岡山神社さん、天神町界隈の理解ある町内会の方々……、そういった多くの方の「注視」がなくば、この移設は出来なかったワケで、ボクはその”火付け”の役を担っただけ。

 加えて、大事なポイントは、現状はとりあえず甚九郎稲荷境内に運んで設置したというに過ぎないこと。

 なが~い眼でもっての「保存と展示」は、これから考えなきゃいけない。新聞記事はその途上を紹介してくれたという次第。

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 今、ボクの手元には、移動工事のさいに生じた煉瓦の砕片が幾つか、ある。

 これは、カケラになったがゆえ煉瓦の中身が露出したモノで、明治半ばでの煉瓦の国産化がいかに難しいものだったかをよく示す貴重な破片なんだ。

 触ると判るのだけど、指に赤い土がつく。爪をたててやると赤い土が容易に剥離もする。

 

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 要は、ナマ焼けなんだ。お肉でいえばミディアムレアというヤツね。

 煉瓦は固めた土を焼いて造るワケだけど、その火加減具合が技法としてまだ確立出来ていなくって、表面はコンガリだけど、内部まで高温にさらされずで、よって中がナマなんだ。

 なので、100年以上も前のモノとは思えないフレッシュな色合いが露呈してるというワケだ。

 おそらく、これは岡山産の煉瓦だろう、とボクは見ている。

 明治の半ば頃、今の備前市に三石耐火煉瓦という会社が出来たのは1892年。亜公園が出来た年でもある。

 西欧からの技術導入ながらスタートからシャッキリした製品は、おそらく至難であったろうに思う。

 その至難っぷりを示す”遺品”なんだよ、これは。だから当然に、脆い……。

 そんな状態の煉瓦でありながら、明治38年頃から昭和20年の空襲まで警察署の建物土台としてガンバリ続け、さらに今年の10/31の移動工事まで誰からも忘れられたようなアンバイながら、通算112年(!)、風雨や直射光に苦しみつつもカタチを維持してきたんだから、新聞に載っかった真の主役こそは、この煉瓦。その集積物としての遺構そのものなのだった。

 その上に、この煉瓦達は表層が黒く焼け焦げてる。

 昭和20年の空襲の、その猛火の痕跡なんだ。

 なので、時代を顧みるモノとして、この煉瓦は2重に貴重なんだ。

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↑ キーストーン(左の三角屋根の煉瓦)配置の典型的西洋式煉瓦積み。白くなっているのは経年のホコリなどで生じた白カビと思われる。
 

  我が手元の煉瓦砕片を含め、良い保存と恒久な展示については、これからの課題だ。

 あちゃらこちゃらで、も少し、その方策についての下ごしらえをしなきゃいけない。幸いかな岡山神社のk氏やノートルダム清心女子大のU先生ら理解ある方々がいる。心強い。1人の足踏みはたいしたコトないけど、先日観たクィーンの映画の、「We Will Rock You」の通り、皆んなで一斉に足を鳴らせば、なかなかのハーモニーになるのを知ってるんで、ね。

 

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↑ 移設の工事現場にて瓦礫を見つめるK氏

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 ↑ 甚九郎稲荷に移設した煉瓦遺構の一部。左側(写真にちょっと写ってるもの)の御影石がこの煉瓦積みを支えていた土台石。都合上、分離して置いてます。