なぜSW…


ジョン・ヤングが亡くなった。
享年87歳。
と書いても、ニール・ヤングは知ってるけど、誰?
概ねこの人物を知る人は少ない。
でも、ボクにはヒーローの1人だったから、
「また地上の星が消えた」
哀悼しつつ、寂しく思う。(没したのは5日)


彼は、ジェミニ計画時に2回宇宙に出、次いでアポロ計画でも2回、さらにスペースシャトルで2回と、60年代からなが〜くNASAで活躍した宇宙飛行士だ。
なぜヒーローかといえば、この人の反抗的振る舞いに好感していたから…。
巨大な体制の中の限りなく上層にいながら、ジョン・ヤングは名の通り、若さを、怒れる若者の気風を失わない人だった。
1965年のジェミニ3号でのフライトではこっそりサンドイッチを船内に持ち込んで喰い、当時の常識であった宇宙では練りハミガキのチューブみたいな液状食品でないとダメに反撥をみせてNASAを揺さぶった。
アポロ10号での月着陸への予行演習(月面に降りなかっただけで次の11号と同じ飛行行動)ではNASAが"科学的"に準備し推奨したビタミン補強としての船内食料の1つオレンジに対し、
「食すたびにガスがたまり、とても臭いオナラが出る。極小の閉じた空間で3人の男が10日以上を過ごすコトを考えろよ」
フライト後、医療関係者に盛大にイチャモンをつけた。
後のNASA用語のオレンジ警報(Orange Alert)はこれが語源というジョークもある。
スペースシャトル計画がはじまると、計画の卑小さを徹底して批難し糾弾した。
けども、シャトルの第1回めの試験飛行のさい、はたしてグライダーとして機能するのかしら? 危ね〜ぜ…、の声をよそに、彼はコロンビア号の船長として搭乗、見事に操縦して重責を担い、シャトル使用の道を開いた。



この人の、ただの文句野郎ではない気質がボクは好きだった。
NASAを運営する方々や現場の方々にとって、たぶんジョン・ヤングは煙たい存在だったような気がしないでもない。
けども、例えば転じて『スタートレック』のカーク船長の振るまいを眺めれば、会社(軍)のいうコトを何でも素直に受け入れるのではないヒネクレが、カークをカークたらしめているのと同様、ジョン・ヤングはそのモノ言いによってヤングをヤングたらしめ、結果として組織を強固にする粘着材的存在だった…、とそう思えて、な〜かなかこの人、頼もしくカッコいいのだった。
神経質そうなその顔立ちも好感だったし、そこに濃い印象が残って、ボクの眼にはいわば"名優"の1人として映えていた。
あらため謹んで、冥福をいのりたい。



※ 月面で星条旗に敬礼するジョン・ヤング船長(1972年4月のアポロ16号)


さてと…。
1月は各種パーティの月。大小の集いが幾つかだけど、それは置いて、ジョン・ヤングの訃報を知ったゆえ…、宇宙がらみで、今回はすすめる。


最近のこのブログを読んだか、
スターウォーズお好きなんですね〜」
先夜、某にそう云われ、むず痒くって苦笑した。


だって、ダースヴェーダー誕生篇たる99年から05年にかけての3本はDVDすら買わないほどに評価しちゃいないし、シリーズを通してフィーバーしているワケでもなく、平たく好いてるというには遠い。
だから、その指摘がむず痒ゆかった。



なるほど、はるか前の第1作や2作目が公開された頃は過熱し、夢中になりましたァ。身辺にはSW関連なグッズも点在する。
けども回を増すごとトシを増すごと冷却が進んで、遠縁の子を眺めてるようなクールダウンした気分の方が、今は高い。
ジョン・ヤングじゃないけれど…、賛同でない批判の立ち位置に往々にして、いる。
だから苦笑した。


1977年 新たな希望      70点
1980年 帝国の逆襲      75点
1983年 ジェダイの帰還    45点
1999年 ファントム・メナス  5点
2002年 クローンの攻撃    5点
2005年 シスの復讐      3点
2015年 フォースの覚醒    55点
2017年 最後のジェダイ    50点


点づけるなら、ま〜、こんな感じ。(スピンオフ作品は省く)
SFとして評価できず、ファンタジーっぽいスペースオペラとしても評価できず、要はシリーズでなく単品で、せいぜい最初の2作があれば…、それで良いという程度なもんだ。



工作を進めている模型とて、これはある種の卒業製作みたいな気分が濃ゆいし、ミレニアム・ファルコンという宇宙船が好きなのは、これがCGでなくって模型撮影されたアナログ時代のモノだから…、だろう。
マペットのぎこちない動きのヨーダがCGのヨーダよりはるかにチャーミングだったのと同様、スターウォーズにボクは手作りな感触を欲くしてるんだろうな。
撮影で使われたオリジナル模型の、その同寸のレプリカという点も、好もしい。
ま〜、もっとも…、そのサイズと重さゆえ、工作にナンギしてるワケだけど。


だから熱狂して映画館に出向いてるフアンではなく、とはいえ、ウダウダ書いてるところからして、嫌いでないコトもまた確かで…、スターウォーズはある種のバロメーターとして"機能"しているような気がしないではない。
若い頃に体感した熱の残滓が新作があるたび古傷が疼くように少しホットになるみたいな、そんな感もチラリ。


宇宙モノで…、大好きで〜す、と云えるのは、たとえば1954年の『宇宙戦争』あたりかな。
当然に映画館で観たワケでなく、中学3年の頃に自宅の白黒TVではじめて見て…、ビックラこいたよ、これには。



火星からやって来たマーシャン・ウォー・マシーン(侵略戦闘船)のデザインが秀逸で完璧。
友好出来ると信じた牧師が瞬時に焼かれるシーンや、その後の圧倒的な戦力差の描写、パニックに陥ったヒロイン、原爆を使用して対峙したものの平然と浮遊するマーシャン・ウォー・マシーンの描写、暴徒と化した人間の悪性、追い詰められた人々が無力と判っていても教会にすがる描写などなどなど…、今観ても、どのシーンも素晴らしい。



マーシャン・ウォー・マシーンが複数のワイヤーで吊られているのは画面上でハッキリ見えてしまってるんだけど、そこもまた良くって…、結局、それを見てるコチラは頭の中でワイヤーを消去しつつ観賞してるワケだ。
だから、映画に"参加"してると云ってイイ。
この"参加"が映画のツボかも知れない。
今時のCGは、その参加を拒んでただ見せてくれるだけでね…、つまんないのさ。
スターウォーズもそうだ。



今、ミレニアム・ファルコンのでっかいのを工作しているのは、そうやってボクは、いまさらに"参加表明"を行っているようなもんだ。
むろんキットをキットのままに組み上げるみたいなツマンナイことは、しない。
改造し、追加し、頭の中のミレニアム・ファルコンをカタチとして掌握しきりたいワケなのさ。
映画のプロップ1つに哲学出来ちゃうホドの年齢に達して…、哀しいような悦ばしいようなゼッタイ的自己同一矛盾的おかしみもおぼえるけど、でも、ま〜、数歩さがってみれば、多くの方にはど〜〜でもイイこと、
スターウォーズお好きなんですね〜」
一言で括っちゃえるようなモンですけどな、こういうのは。