午前ビール

月曜早朝の地震は余震も頻繁継続で気味悪かったなぁ。
岡山は概ね深度3だけど、なぜか中区だけは2の表示。
マチガイでしょ? 4弱くらいに揺れたと思うけどね〜、不安が増すなぁ緩い地盤。
しかし、この体感も、わずか数日で話題にもならない過去ニュースとなるんだから、たぶんボクらは随分と急峻な河の中にいるんだろう…。



2週間ほど前までは葉のないガリガリポッキ〜状態だったのに、山椒が、も〜しっかり緑に覆われた。
逞しいというか、旺盛というか、春の目覚めというか…。
(一説では地震で揺さぶられると土地は若干ながら活性化するらしい。バイブレーション効果で血行が促されるのかな。地震が秋前にあった年は松茸の成長が良いとも聞く。でも地震おことわり断固)



山椒のトゲはメチャに硬くて鋭くとても恐いけど、葉の香りは最高。当然、買わずと済むのでダブル最高。
けど問題は剪定時。枝葉をカットしたさいゴミ袋にまとめようとする時だよ。気難しいヒトとおしゃべりする以上に気を使う大小のトゲ。
ゴミ回収の方が迂闊に触れるとビニール袋の中からトゲが…、というようなコトも考慮しなくちゃいけないんで、育てるに大変ざんしょなサンショ。



冬に種まき小さなビニールハウスにして見守っていた春菊も、今や旬。
(ホントは遅い。あまりに寒くて発芽時期が遅れちゃっての今が旬)
親子丼に春菊たっぷり…。当然に溶き卵は硬くならなくまだ白身がトロッとして生っぽい頃合いでな。といって全面的にナマっぽじゃイカン。しかし、親子丼の影の功労者はタマネギだろうね。
春菊を収穫しきったら、さぁ〜次はと…、春の庭先は夢がハリスの風前ガムみたいにふくらむ。


地面にユトリがあるならスイカを作りたい。
けど、横へ横へと広がり場所を取るから、うちじゃムリ。口惜しいが、ま〜、しかたない。
縁側に坐ってスイカにかぶりつき、種を庭先に向けてプップップッ…、今やそういうコトを経験したコトのないヒトの方が多かろう。惜しいこっちゃ、この日本的夏場の光景が消えゆくのは。
幼少時は父方の実家でイトコたちと、それを大いに楽しんだもんだ。
ガンバレば3mくらいは飛ばせるよ、たぶん今だってボクは…、とそんな郷愁的ドリーミ〜が常に春には脳裏に浮いては、結局、沈む。あれからも〜何10年も経ってるだから想い出は甘いかスィ〜カって彼方だよ。



1冊の新刊本を買うためにバスに乗って出かけたというに、3軒ハシゴして手に入らない…。
最近この徒労が多い。求める本が書店にない。
けどま〜、せっかく出かけたんだからと、梅蘭でビールにランチ。
まだ午前11時半だったけど、旨いやビール。ご馳走さんと悦んでいいのか、未入手ガックリなのか…、よく判らない。
いっそアマゾンに発注した方がラクだ〜、概ね送料も不要だ〜、とも考えるけど、アマゾンのみが栄え、そうでなくとも斜陽な町の本屋から活気を奪うというのもナンだしな〜。悩ましい。




部屋にたれこめ灯りをおとし、プロジェクターの電源をいれ、缶ビール、2枚入りのクッキーに6Pはさんで映画の友。
けど、続けて2本駄作に遭遇。
『300(スリーハンドレッド)』
リンカーン/秘密の書』
2本とも、途中で観賞やめる。
前者は戦闘シーンを超スローモーションで見せる連続にゲッソリ。後者は史実のリンカーンにヴァンパイアを重ねる発想は面白いものの、ただそれだけ。あまりに退屈。どちらもCGに依存過ぎ。
景観を楽しもうと乗った列車がトンネルだらけ、ってなガッカリ。



未だ買えていないフジヤ製品。イオンモールになく近所のスーパーにもない。
しかし意表を突かれた感たっぷり。パンに塗るミルキ〜。
舐めてみたくてしかたないけど、手に入らない。
悩ましい。
しかし、ペコちゃんは昭和25年生まれというから、町内的にいえば老人会婦人部に入っての活躍だね。



ちょっと調べ物。保立道久の本を数冊めくる。この先生は視点が素晴らしい。
時代ははるかに違えど、ペコちゃん同様に、中世の女性も逞しい。
小金を貯めて、やがてそこいらの男どもに金貸して、利子で男どもをギュ〜ギュ〜締め付け、カッカッと高笑いしてた逞しいカカ〜が幾らでもいた。中には夫に貸して利子とってたのもいた。
平安から鎌倉の時代には荘園を持って管理し、多数の男どもを従えた女性もいた。
笠岡の沖にある真鍋島には、お千という女庄屋がいて、島を平穏に束ねていたりもした。(お千さんは江戸時代初期の人)
中世イコール暗ぁ〜い時代のイメージがあるけど、部分部分では今より幸多く心底笑えるようなコトもあったかとも、思える…。



江戸時代に土地の所有や相続は男のみとし、女は3歩さがって歩け…、みたいな家父長制が徹底して平等の均等が崩れ、崩れを引きずったまま今に至るけど、土俵に女性をあげるあげないで…、いまだグラグラしている現在の男社会のていたらくはナメクジのヌメリみたいで気色わるい。土俵にいくら塩をまいたって…、内なる本性は浄められない。
相撲をとる・とらないに関わらず『血穢』ゆえ土俵は女人禁制という幻想に、なんで今しがみついているのか、あるいは取り憑かれているのか…、"伝統"という隠れ蓑を着けてるつもりの裸の王様っぽくて、笑止。
女性規制の動きは、昭和11年に『歴史公論』という本の中で女相撲に関して猥褻見世物とのきめつけ論評があって、これが1人歩きをはじめてさらに勝手な解釈が加わっているだけ。土俵に入っちゃいけない不文律も極まり手も、ない。



毎年5月になるとNHKやらがニュースで流す鏡野町の上斎原神社での女性の相撲。実に健全でノビノビ明るい。相撲の王道はむしろ、こんな地域の中の娯楽にこそ根付いて葉を拡げているよう思える。
※ 写真は全日本写真連名・フォトMOMO支部HPより転載



国技館売店で買ったお気に入り。図柄がチャ〜ミング。ほぼ毎日使う。
用途多岐ながら、もっぱらビールのツキダシに。