サバ缶が売れている


最近ちかごろ、缶詰業界に異変があるとのコト。
サバ缶が売れているらしい。
じっさい、この数ヶ月、立ち寄るスーパーの缶コーナーでサバ缶が妙に品薄とは感じてた。
このブログでくどく書いてたせいで、あろ〜ワケはない。



※ 売れちゃってガランとしたサバ缶コーナー。近所のスーパーにて。


しかし、サバ缶が売れていると判って、ボクが喜ぶかというと、実はそ〜〜でない。
むしろ、訝しみと嫌疑を混ぜつつ、
「話題になって欲しくはね〜なぁ」
かねてよりサバ缶の地味に舌鼓をうってた特権階級的ヒッソリな孤高が、これで打ち砕かれるようで、不穏な気分を募らせているのだった。



この数週で、見たこともない缶がスーパーに並ぶようにもなった。
新製品が出てるワケだ。
…むろん、買いますわな。
けど、けど…、なんか腑に落ちない。
誰が、何のために買ってんだ?
いやさ、そりゃ食っちゃうためにだけど…、ブーム的動向がどうも気にいらない。
かねて当方としては、サバ缶はサバ缶のままに、封をあけそのまま喰うを原則としてきた。
ぬくめない。何かと混ぜたりしない。そのまんまを味わう、これを守って数十年の身の上だ。
いわば純血主義…。
その上さらに、500円を越える缶は缶として認めね〜、ゼッタイ買わね〜…、と、マイノリティーなその価値観の保持にこそ昂悦していたワケなのだ。
なのに、多くがサバ缶を求めるようでは、まるで自分がお水で薄められたコーヒー薄味みたいな感じになって、まこと感じ悪い。
が、そこを強く云い立てると、まるでアルカイダ的偏屈な原理主義が自分の中に台頭するようで、ちっと嫌な気分も出てくる。
聖戦の戦士をきどる程におろかなことはない。ましてや生鮮でない缶詰加工のサバを愛しちゃってるだけの貧しい舌の持ち主たるを愛おしく、いわばその自己愛に耽溺してるだけの者がボクちゃんだ…。



なのでこの先、右肩あがりにサバ缶が売れてくのか、あるいは一過性なブームで収束するのか…、ま〜、そこが気がかりだけど、あんがいと楽観する気分もないではないのだ。
スーパーの棚を観察するに、小気味よく売れてるのは味噌煮のものであって、水煮はやや低調のようなのだ。
フフフ。
なので、仮りにブームであるなら、ヘヘヘッ、ちょろいもんだ。直にあきられブームは終わる。
と、ま〜、そう密かには期待してるワケ。
サバ缶のスーパースターは水煮だよ、諸君。
水煮特有のいいささかの生臭さを極めて初めて、サバ缶の持つ宇宙的地味の深淵が悟られるんだ…。



けれど、しかしだ…。
も少し真顔になって考察を加えるなら、ABE政権の長期化に伴って貧富の差がジワジワ浸透し、いわゆる庶民は、いわゆる庶民感覚でもって…、食事に関する費用算段にシクハックしているのが本当で、それゆえ廉価なサバ缶でもって時に夕飯の調理材料費の削減を”強いられて”いるのかもしれないのだ。
いわゆる庶民というのは、数10円の差に翻弄される存在であることは明白で、それが数100万の単位になるや普段的でないその額面に朦朧としちゃってよく判んなくなる性質を持つ。
シーチキン缶よりサバ缶が売れている真相は、その10円に庶民がいよいよ追い詰められていると、いえなくもない…。
この辺りの見解をABEに問うてみたいとも思うが、ま〜、この男は…、たぶんサバ缶食ったこともないだろうから、その口から出るコトバもつまらんだろうけど。
生活保護受給者や介護サービス受給者が加速度的に膨れ上がってる、世界指折りの老人国になりつつあるというに、だからこその10円の差の杞憂なのに、この男のアタマは富国強兵の幻想でイッパイなんだから、ね。


なので、サバ缶好調の理由は2つのうちのどっちかだろう。
1. 多くの方がサバ缶にめざめちゃった
2. 多くの方がビンボ〜になっている
しばし、サバ缶の売れ行きを注視していよう。


と、それにしても今日はよく降ってるなぁ。大雨の様子。
皆さん、足元にお気をつけを。