ハン・ソロとドリーム


ハン・ソロ』は、ピカピカのミレニアム・ファルコンを見たいという思いが先行していたから、実際に映画館で接したら、拍子抜けを感じないわけでなかった。
晴れて一気に暑くなった日、単身で出向いたわけだけど、館内はボクの年齢に近っぽいオジサン1人がいるきりの閑散で、またまた映画館独占しちゃった〜な感じを味わいつつ、いいのか、こんなことで…、ディズニー印となった「スターウォーズ」の今後にイエローなライトが灯ってるような気がしないでもなかった。
要は、若い人を引きつけられないんだ…。この映画の製作者たちは観客の世代交代というか、さらなるジェネレーションを観客に迎えたいのだろうけど、失敗している。

ノンストップ高速なめまぐるしい展開であっても、シーン描写は、過去作品を見ていないとチョットよく判らない、いわばマニアライクな小道具やら人物配置にウェイトが置かれ、その過去作品との大河物語としての整合性は確かにそれなりに描けてるけどもだ…、いささか媚びを売られてるような感もあって、何か、どこか、興奮させてくれる要素が希薄なんだ。
1つには、もう既に、ハン・ソロは息子に殺害されてしまったという”事実”を知ってるから、彼の過去をどう描こうと、どのような彼女がいようと、ワクワクする気にはならないという次第が横たわっている。
その上で、今回の若いハンを演じた役者さんとハリソン・フォードとの整合性、ヒロイン役はこの起用でよかったのかどうか? そこいらの見極めもあって、簡単にはノレない性質も帯びているからヤッカイだ。
このヒロインは女のコなのか、女なのか…、そこの狭間にブレが垣間見えるようでいささか不安定をおぼえた。



単身で観たのは失敗だった。
これは女子といくべきだ。
女子の見立てと男子の見立ては全然違うからね。そこを観終わった後にア〜ダ〜コ〜ダ〜と言い合うべきなのだった。むろん、呑みつつが望ましい。
それともう1つクエスチョンがあって…、この映画は妙に全体の画面が暗いんだね。作品の質なのかメルパ岡山の映写装置のせいなのか判らないけど、最初から最後まで雨のあとに霧が発生して視界やや不良みたいなビジュアル。だから、それがノリの悪さを増加させてた。
おそらく、『ハン・ソロ 2』なんて〜のも造られるんだろう。彼女喪失の悲劇をテーマに…。まっ、ドンドンやってちょうだい。つきあうから。



しかし強いて希望をいうなら、出来たらスットボケてるほどにノ〜テンキで明ッかる〜い「スターウォーズ」を見たいんだけどね。近頃のは、古い油で揚げたトンカツ、しかもコロモが大き過ぎって〜感じでねェ。


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『ドリーム』はBlu-rayの廉価版が販売されるのを待って、こたびの7/5発売日に届く予定だったけど、かの大雨と重なって配達が遅延し、数日遅れて我が宅に届いた。
で、昨日の早朝やっと観る。
『HIDDEN FIGURES』を『ドリーム』と邦題しちゃった日本の配給会社は愚鈍で悶絶もんだけど、内容は、かの『ライトスタッフ』の黒人女性バージョンと云ってよし。実際、同映画をうまく踏襲している。引用を越え、オマージュを越え、事の運びを盗んでるよう思えるシーンもある。
しかし存分に鑑賞できる作品には違いなかった。
いっそ『ライトスタッフ』を補完し、マーキュリー計画でのアレコレを別角度で見てるようでもあって、喰いいるように観た映画はお久しぶりだった。
超エリートが努力するという図式もまた『ライトスタッフ』と同じだけど、”輝ける資質”とでもいう部分においては白も黒もなく、むしろ黒がゆえに苦労が大きかった彼女たち実在の人物に焦点をあてたこの映画は、硬度が高かった。
だからこそ原題を活かし、『影の主役たち』とか『陽はあたれねど』とか…、工夫すべきで、邦題の『ドリーム』はあまりに安直。いっそ腹立たしいほど映画の価値を貶めている。



60年代初期に発足したNASAの施設では白人用のトイレはフロアにあれど、黒人用のは800メートル向こうの黒人用施設にしかない…、という、その人間の生理に基づく描写を綴ることで人種差別されている側の気分がよく伝わって、秀逸だった。むろん、これは史実とは少し違う。違うけど、映画という表現手段でこの嘘は許される性質のもの、象徴的誇張というもんだ。
100メートルでは意味がなく、1200メートルだと誇張過ぎ、800メートルという距離の頃合いが差別の存在を見事についている。差別を距離で見せた初の映画かもしれない。走ってそこに行き、また走って戻る彼女の心情の奥にある鬱屈たるや…。


監督は男性ながら、原作も脚本も、そしてカメラまでが女性というのが頼もしい。
この映画は脇役の方々が全て良いのも特徴で、どの顔も印象が残った。
わけても、上級管理職役のキルスティン・ダンストがいい。彼女の職業的立ち位置による身についてしまった傲慢と、彼女自身の苦労と脆さと、彼女の中の差別的意識の変化、あるいは変化していないのかも…、が見もの。調理に山椒をくわえることで旨味の背筋がシャンとするように、この女優さんはそこをわきまえ、ピリカラ風味をのっけてくれ、我がメダマの注目度が高かった。たしか『スパイダーマン』のヒロイン役だった人だね。



マニアっぽい眼でいうなら、宇宙飛行士がマーキュリーに乗り込む描写は良くなかった。たやすく乗り込んでいるようで良くなかった。
あのカプセルの狭さこそがマーキュリー計画の”人間を宇宙に送る”のカタチを示してるわけで、実際は技術者にヘルプされながら機械装置の中へ潜り込む。まず左足を入れ、装置に触れないよう注意しつつ身体をひねって右足をいれ、さらに…、という体だった。それほどの小さな物体を宇宙に運び、コントロールして無事に戻すために主人公たちは計算式と組み合い、格闘しているんだから、だから、その辺りの描写の克明が追加されていればと…、惜しい感もチビリあったねェ。



※ マーキュリーの模型。搭乗口の1/3はフロント・パネルがせせり出ていて…、簡単には乗り込めないのデス。