似た顔

ときに、とてもよく似た顔を見ることがある。
最近だと、『刑事フォイル』のサム運転手と、『007 スペクター』のヒロインが劇的なほどに似ていて、あとで調べてみるまでボクは同じ女優じゃな…、そう思い込んだりもした。
前歯中央の歯と歯の間に隙間があるところ、目元とその視線、プローポーションなどなど…、あまりに似てるんで、同じ俳優じゃな、と喜んでしまったワケなのだ。
映画『影武者』で家康や信長の間者どもがたいそう訝しみつつも、ついに「まちげ〜ねぇ、ありゃ信玄公よっ」断言したように、相似としてではなく、本人だ〜ァな見極め確定だったワケだ。
しかし残念にも、違う役者だ。
妙な気分をちょびっと味わったことはいうまでもない。



※ 『刑事フォイル』のハニーサックル・ウィークス

※ 『スペクター』のレア・セドゥ。


かつて平安時代の中頃、能因という歌人がいた。いわゆる中古三十六歌仙の1人だ。
能因法師と書かれることが多い。公家に産まれ、どこかの時点で出家した。
出家したといっても、公家は公家だから、基本は「あそび」の人であったろうと思う。そも、宮中の女流歌人の伊勢に憧れ、かつて彼女が住んだ摂津に転居したというアンバイだから、日々、歌詠みして過ごせる楽勝の趣味的人生だったような気がしないでもない。
けれどまた、このヒトが思わぬカタチで「努力」していた点で、滑稽というか、愛嬌あるヒトと思えて、それで印象を濃くして久しい。



※ 佐竹本三十六歌仙絵巻より。伊勢。


彼の歌、

「都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関

は高名だが、ちょいと後に、

「都にありながらこの歌をいださむことを念なしと思ひて、人にも知られず久しく籠もり居て、色をくろく日にあたりなしてあと、「みちのくにのかたへ修行のついでに詠みたり」とぞ披露し侍りける」

と、「古今著聞集」に暴露されている通り、実は陸奥(みちのく)の白河なんぞには出向かず、都に隠れて日焼けにいそしみ、さんざん色が黒くなった時点で、
「いや〜、大変でしたよ」
公家仲間らの前にあらわれて、上の歌を披露したという逸話が、なんとも愛嬌あって、ボクは好きなのだ。


京都方面から陸奥を旅したというなら、おそらく1ヶ月ほどは、留守ということになろう。その1ヶ月を自宅に隠れ、行ったように見せるためにこっそり庭で日焼けに努める…、その姿カタチが愛嬌だ。
行ったコトにして、歌にハクをつけてるわけだから、これは大変な「努力」といっておかしくはない。
だから当然に、ご近所の方は、
「あれ? 今の能因さん? でも、旅に出てらっしゃるハズ、他人の空似かしら」
チラッとは彼を目撃し、そのたんびに、似てあらざる人を思ったんじゃなかろうか。まさか本人在宅とは考えもしないんで…。
それに色が黒かった。色の白さこそが公家たるを証す大事ポイント、白い顔をさらに白粉で塗る入念さだ。
色黒の公家というのは、ありえない。
「やっぱ、他人よ」
ここでは、別人だろうと確定的に見極められたワケだ。



※ 白河神社参道。福島県白河観光情報HPより


この可笑しみを歌舞伎にしちゃったのが岡本綺堂だ。
大正9年に帝国劇場で初演された彼の作品は、ずばりタイトルが『能因法師』だった。
現在は岩波文庫の『修善寺物語』に収録されているから容易に読める。
自分の歌にハクづけるために日焼けにいそしむ能因は、お仲間の1人に在宅がばれ、そこからドタバタがはじまり、やはり歌で有名になろうとしている加賀なる女性とその連れたる愛人までやってきて、悲恋を題材にした歌が出来たので、そのハクをつけるために愛人に別れて欲しい、そうでなければ悲恋の歌が嘘っぽくなる…、と能因を上廻る可笑しなことを云い出して、いよいよ舞台は大笑いな座となるというハナシだ。



岡本綺堂のこの1編でも、「似た人」というのが主題を盛り上げる道具になっているのは云うまでもないことだけど、能因の「苦労」あって、彼の歌は今も残っていると思えば、ま〜、平安時代の公家とその周辺というのは、かなり可笑しく、かつ可怪しい。
実の生活よりも、1つの歌にかけた、文字通り、”賭けた”、エネルギーのその使用法が、どうにも愛おしい。


そういう、ど〜でもイイことを、マ〜ちゃんこと茂成氏ともっと笑いつつ話したかった。
先週土曜に贈った本はここで紹介のものとは別なものだったが、マ〜ちゃんはたぶん読まないままに逝ってしまったろう。
南無三こんなに早くとは夢々思っていなかった。
残念でならないが、しばし、彼が残してくれた滑稽な話をば思い出し、クスクス笑おうと思う。
なので今回は能因法師を…。
諧謔を好む人だったゆえ、哀悼しつつたむけとして。


が、以上を書きつつ、ちょっと考えてしまうのだった。能因法師ははたして最後まで隠れ通す気がホントにあったのかと…。
途中でバレることを前提に、どこかの時点でバレるように行動し、自身を笑いの矢面に立たせるコトで話題作りを兼ねさせて、逆に歌の秀逸を目立たせようとしたかも…、と勘ぐった。
行かなかったことで逆に、作者能因と遠い国たる陸奥を際立たせたと。

「都をば 霞とともに立ちしかど 秋風ぞ吹く 白河の関

そうであるなら、この心眼的ポエジーを世に出すために、能因さんはケッコ〜戦略を練ったような気がしないではない。
暴露されることも含めて、大いに笑われようが歌のヒットがためなら何でもヤッちゃうぞな、迫力を感じないでもない。
であるなら、笑われようが飄々として動じないスケールを持ったヒトとも思える。笑いをとるコトで自身の作品に他者を引きつける、いわば捨て身的大転換の戦術を遂行できた人物として評価を変えなきゃイケナイ。
もちろんまったく裏腹に、「ものくさ太郎」みたいなテッテ〜した横着ものだった可能性もまた捨てきれない…。
心情として我が身とを重ねると、こっちの方こそ似てくるワケもあって、親近感も増すます募りマスと。