朗読の午後

前回のを読んで、湯迫温泉白雲閣に泊まったコトあるよん、とT君がメールをくれた。ありがとね。
会社の親睦会という流れで終業後に出向き、翌日の朝10時前にはもう退館したから、温泉の後ろにお寺があるなんて〜知らんかった、というコトのようだった。
ま〜、そんなもんですな。


灯台下暗し。
この頃は、自分の立ってる所から、そうだな、半径5〜6Kmの円を描く程度でのアレコレをここに記すという趣旨を、ひとつ、こっそり掲げてたりもしているんだけど、近場には知らないコトが多々あって、遠方への一泊旅行の見聞よりオモチロかったりする。
白河の関を越えるどころか旅行もしないまま自宅に潜んで旅の詩を詠んだ能因法師じゃないけど、すぐそばの風景やらアレやコレの中に、かなりの醍醐味と想像のネタが埋蔵してるんだから、面白くないはずがない。



※ JR高島駅の近く。新幹線の高架下。雨で霧がかった写真に…。

※ 意外な場所に意外なものが生息しているもんだ…。高架下を人が未使用なら自然がそこを利用するというか、もはやこういう場所でしか生きられないんだね。


しかし、多いね、大災害…。
地球イチバンの頻度じゃないかしら。
馴染みきった日常と風景が瞬時に一変する修羅を経験した方々には、日常って何だ…、の喪失もまた大きいはずで、そこを思うと落ち着かないなっ。
けどもまた一方で、この国に住まってると、災いが日常の当たり前になって愛想に哀想が拮抗して感覚が麻痺し、知らず鈍感になるんじゃなかろうか。
いや、もう相当に鈍感になって、覚悟じゃなくって、
「こんなもんでしょ」
な澱んだ諦観さえおぼえるね。
「電気、ぁ、戻ってきた、灯ったよ〜ん」
慌てたのを直ぐに忘れちゃえるような。
とどのつまり、
「今回は自分の地域じゃなくて、ホッ」
運を天に任せてるみたいな。
重源の勧進のことをこの前書きつつ、従順な民の心象を不思議に思ったけど、なんだかその背景にこの災害連打の国土が影響してるような気がしないでも、ない。
ちなみに勧進を勧めてる頃、富士山は噴火中だ。
奥州平泉に砂金の勧進に出向いた西行は、

風になびく富士の煙りの空にきえ ゆくえも知れぬ我が思ひかな

と、綴る。


生活の背景にいつ来るやも知れない災難災禍が常に潜んでると、大きなビジョンより細やかで刹那の情動のほうが働いて、大きな俯瞰での視線と視点は持てなくて、その点では鈍感だけど、ほんの刹那のアレコレには過敏というような。
「ゆらぎ」、「そよぎ」、「さやぎ」、「ぞよめぎ」、「やすらぎ」、そういう『ギ』態な感覚語は、この風土が研いでったんじゃないかしら…。
『ぎ』は『気』と当て字したって通じるわけで。



雨の日曜。午後。
B3共(ビーサンキョー)で催された『古市福子朗読の午後』に出向く。
今回でもう19回目。
近年は足を不自由されて芝居の座からはおりてらっしゃるけれど、年1度のペースでの朗読会開催は、たいしたもんだでフクちゃん元気。
前回はスケジュールが合わずで出向けなかったが、今回はちゃんと聴いた。
眼ではなく耳で物語を愉しむというのは、いいもんだ。
イーストウッド監督の『ヒア・アフター』でも、主人公のマット・ディモンがディケンズ作品を読む朗読の場で嬉々としていたし、『カポーティ』では本人が自作の一部を聴衆の前で読むというシーンがあったね。
セーヌ川左岸のブキニストやカルチェラタンの古本屋では毎週のように朗読会が、もちろん小規模なもんだけどもが開催されている所をみると、眼で文字を追うのと同様に耳で直に聴くというのは、あんがいと定番な、詩や物語への接し方なんだろね。



思えばこの国だって、かつてはそうだった。
歌会はポエジーを声に出してが基本だったし、琵琶法師という存在あって初めて、『平家物語』とかは市民権を得たというか、広く知られていったワケで、今や文庫本でぜ〜んぶお手軽に読めるけど、大正時代の終わり頃まで『平家物語』の一部は秘曲十九句とか大秘事とかいって、文字として書き記すのを禁止されてたくらいに…、声で読むが基本だったりした。


と、それにしてもこの9月は何かと忙しないな。会合あり、法要あり、祝う会あり、偲ぶ会あり、週末土日に加え平日もアレコレあって、最終土曜にゃジャズフェスもあるし、気持ちチョイと…、ぞよめくと。