パーティ2つ

季節の巡りは、およそ50年前とはまったく違う。
50年前の小学校の絵日記では、8月の朝顔の絵が描けたけど、今や、8月に朝顔は花をつけず…、10月になろうという頃合いで盛りとなる。
気温が50年前とは違いすぎ、8月や9月前半は朝顔には暑すぎる辛抱月ということになるんだろう。
歓迎すべき変化じゃぁ…、ないね、きっと。



懇意のマリッジを祝う集い。
懇意を偲ぶ集い。
たまたま連続。


2つは一緒でくくれるような性質じゃ〜ないけれど、人を思う気分昂らかは、お・な・じ。
基礎となる母音の「あ」と「い」、そのもの。
なので、それゆえ、『愛』とは安直過ぎ。そんなペタンコとはチョイ、色彩が違う人の集い。



いずれの会場も初めての場所だったから新鮮が加わりもし、卓上の料理がいっそう美味かった。
かたや小笹が植わった小庭をガラス越しに見る小料亭での、ごくごく少数、ハッピーブラボ〜の酒席。
祝いのブーケとプレゼントにニッコリのご当人は来春には横浜方面のヒトになって、この地からはチョイと離れるけど、な〜に構やぁしない。
新天地での新鮮を充分に味わいつつ、すこやかにお元気に〜〜ィ、と杯を重ね、お箸を動かす。
定番のお刺身とは別に焼きサンマも出ました、な。
ペロリたいらげ2〜3度乾杯。



近頃の料亭では自家製のお豆腐というのが、流行りだそうな…。仕事の付き合い上、宴席に出ることが多いT君が教えてくれた。
お豆腐そのものよりダシの甘みが美味しかったので、オチョコにこっそり注いで呑んじゃった。
それを肴に別のオチョコで常温酒を、クイっ。
クイっクイっ・クイっ。



かたや偲ぶ会。
とはいえラフなスタイルでの大勢な集い。



故人となったマ〜ちゃんに連れてかれた土佐は久礼で、カツオのたたき、その藁焼きを食べさせられたさいの驚きは今も新鮮なまま炯々として体内にある。
いや実は、たたきがまったく苦手で、これだけは生涯ゼッタイにハズレのアメダメだす〜と思い決めてたのが、海を見下ろす丘の上の黒潮工房でいともたやすく粉砕され…、
「ありゃ??!」
喰えるじゃん、旨いじゃん、2呼吸で鮮烈されちまったのを、思い出す。
もう10年も前だ。




そ〜、あれから一緒に何度も土佐に行った。そのたびに新鮮なたたきと接した。
ボクが産まれ育った山間の津山では味わえない…、要は、鮮度のモンダイなのだった。
プラス、やはり、そのたたきの本場本拠地の空気感が、食べられる下ごしらえの味付けとしてあったには違いない。なので今もって、カツオのたたきは岡山では食べない習癖をいっそう強固にしちゃってるワケだけど、教わるコト大な高知の海を見下ろす御食事処だった。



で、その新鮮をパーティで、むろん、たたきじゃないけれど、パーティというカタチの中におぼえて、ちょっとタメ息なんぞをついちゃった今日この頃。
この先、共に高知にゃ出向けなくとも、な〜に構やぁしない。
カサブランカ』のボガード風にいえば、
「ボクにはあの日の土佐がある」
ボギーは手巻きシガレットの煙にくるまれてそのセリフを云ったけど、こちらはニンニクからめたワラ焼きの煙をいぶすように思い出しつつ、気分を真似てみるのだった。



ちなみに、偲ぶ会に出向くバスの中で50円硬貨を拾う。
ゴエンでなくゴジュウエン。
このエンはどういうコウカあり? 
とか思わず黙ってポッケに入れ、帰りのバス代の一部に活用させていただいた。
縁といえば、近いうちに納骨されるマ〜ちゃんの墓所とウチのそれとが同じ分譲墓地ということかしら。20数歩で「こんにちわ〜」な距離が妙に嬉しかったりする。