木材史 ~前哨~


以下、11/17講演に向けての下準備の点描――。


某日。
取材訪問時に急病で入院となってしまった浄土寺の前ご住職さんと、電話対談。
途中ひどく咳き込まれたりで、まだ全快には遠いようだけど、貴重なお話をうかがう。
くれぐれもお大事に。



※ 浄土寺の大湯屋跡のそばにある歴代(?)の重源像。


某日 to 某日
木材がらみの記述を求め、何冊か本をヒックリ返したり裏返したり。
11/17の講演ではたぶん触れないけども、ほほ〜っ、と思うこと幾つか。
例えば―― 中世のいっとき、奈良や京都の宮中でのマナイタの扱い。
概ねで杉か檜の板であったようだけど、魚を調理した場合、一回使えば捨てられたこと。
刺し身は江戸時代になってからで、この当時は膾か焼くか干すか程度なものだけど、宮中の庫裏(台所)においては、使用したマナイタは即座に焼却したらしい。
そう……、穢れの思想だ。
割り箸は江戸時代に出来たものだけど、そのはるか以前に、すでに「使い捨て」があったのが、これで判る。
中世は仏教思想が広範囲に浸透した時代、穢れという感覚と情緒がマナイタのような道具にまで「観念」のなせるワザとして沁みてるコトに、ちょっと衝撃させられた。



使用される板が杉か檜というのも、これも仏教、プラス神道的感覚だ。
要は、白くなくっちゃ〜いけない。
純粋なカラーとしてのホワイトではなく、木目の天然の白っぽさがツボ。ブナなどの茶色いものじゃダメなんだね。
そこに「無垢」な気配がなくっちゃ〜いけなかった。
面倒な観念だけど、白=純血、純血=穢れないもの、穢れなきもの=清浄、といった感覚がドド〜ンと横たわっていたことは確かだろう。
この感覚は今に継がれ、例えばトイレの、座る部分を除菌しなきゃ〜落ち着かないみたいな、 過剰な潔癖症感覚を発酵させる元になっている。
日本人はヒノキの家を好み、それを一番とする……、という感覚もそうだ。神社もお寺も皆、檜。
武家も商家もそれに準じての総檜造り。木目の白さこそが一番で、二番はないんだな。
そこがやや緩和したのは幕末になってから。西洋人の木材感覚が注入されてからだ。
外壁をペンキで塗りつぶす発想なんてありゃ〜しないし、そもそもペンキも初めてだったから、長崎の高台にグラバー邸が出来たさいは、地元の皆さん、あっけにとられたろうね。


某日。
某所にて打ち合わせ。
進行手順を話し合ってるさなか、念頭に浮いたのが、甚九郎稲荷のリア・ビュー。
北隣りの広い地所が放送局新社屋の建造というコトで更地になりつつあって、従来は見えなかった姿が今のみ、見えている。



本殿の左右で枝葉を茂らせた2本の樹木。
1本は銀杏だと記憶するが、もう1本は何だったかな?
昭和20年の空襲後の再建時に植えられたもの。
樹高は10数mくらいか、概ね70年で、ここまで育っておごる。
繁華で背丈あるビルが林立の街中に悠々と枝葉を茂らせる。規模小さきとはいえ神社という場所はヒトの手が加えにくい。それが幸いしてる。
講演内容が”木材”ゆえ、余計に眼にとまるまま印象づけられた。
工事の都合上、この先、剪定されて樹高も縮まり多少こざっぱりとはなるようだが、今後もまた繁茂し、やがて出来上がる放送局の壁面に緑の葉陰をおとすだろう。
悠々と繁って欲しいところだ。


※ ギターを手にして打ち合わせか? と思っちゃ〜いけない。
11/17の翌月、12/15に予定の『打ち上げケン忘年会』の予行演習も次いでにヤッてしまったというワケで、だからギターなのだった。
実は12/15にはOH君のライブがあって、ボクはその手伝いに出向く予定でいたんだけど……、諸般の都合でこの日しかヒトが揃わなくなっちゃって、
「許せ、我が友……」
『打ち上げケン忘年会』をば優先というコトになっちまったのだから、ま〜、しゃ〜〜ない。

『明治大正昭和 岡山木材史』
岡山シティミュージアム 4F講義室
2018年11月17日 土曜日 午後2時〜4時(開場は1時半)

お時間にユトリあれば、お越しください。
木材がらみでのチョット知らなかったコトを、会場にてお伝えします。♥