ファースト・マン

 封切り初日に映画館のシートに座るのは久しぶり。いつ以来だろう?

 といって、とても楽しみにしていたから……、じゃない

 本年が月着陸50周年だから、ワクワク……、でもない。

 たまさか初日が都合がよかったという次第で、むしろ、この映画にはちょっと不安をおぼえてた。

「どこまで描けてるのかしら?」

 予告編をみるかぎり、何やら平凡な、かつて他のこの手の映画でも見たような感触がジミジミ沁み出てくるようで、だから期待せず、いささか上から目線的アンバイで着座したのだった。

 むろん、アポロ計画の話なんだから興味の高揚度は高い。

 

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 主演のライアン・ゴズリングという一点に眼を向ければ、悪くはない。

 そりゃま~、『ブレードランナー2049』はダメ映画じゃあったけど、それは同映画のビジュアルとステレオタイプの域をまったく出ない脚本のつまらなさから来るもので、ゴズリングが悪いわけでない。

 『ラ・ラ・ランド』は未見だけど、2016年の『ナイスガイズ』でのラッセル・クロウとの共演は良かった。1970年代後半が舞台で、当時流行ってたアールデコっぽいフォントを使ったタイトルなど、随所に気が効いたコシラエがあってなかなかの見栄えだった。ゴズリングは子連れのヘンテコな探偵役でメチャおかしい。モンティ・パイソン的辛辣ユーモアとアメリカン・ジョーク的大味とがうまく結合した妙味で、物憂げなその顔とは裏腹にこのヒトはおバカなコメディをこなせるのだなぁ、と妙に感心もした。

 で、今回は一転し、もの静かな、ニール・アームストロングを演じたワケだ。

 

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       実際のニール・アームストロング。ラングレー月着陸訓練センターにて

 

 アームストロングは月から帰って以来、意識的にその名を消去しようとしていたヒトだと僕は感じたこともあって、だから彼の没後にこうして伝記映画が出来るのは良いことだと思ってる。

 月面で、

「この一歩は小さなものだけど人類にとっては大きな跳躍だ」

 と発してからは、ニール・アームストロングが月に最初に立ったと云われるのをヤンワリ回避し、あくまでも人類を代表したに過ぎない個人という感覚をずっと持っていたかも……、とボクは彼を希望的に眺めてた。月着陸は人類そのものの業績ゆえ降り立った人物は匿名性を帯びた方が良いという風に。

 もちろん実際はそう単純でない。

 重圧を背負ったヒト特有の寡黙だったかも、しれない。

 アポロ13号帰還劇の当事者ジム・ラヴェルは80年代だかに、NASA関連の行事にも現れないアームストロングの隠遁者めいた沈黙に対し、

リンドバーグは私費で大冒険したから、その後の沈黙は自由だったけど、自分たちは公的資金でもって月に行った。そのことも忘れちゃいかん」

 苦言めいた発言もしている。

 

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               NASAのオフィシャル・ポートレット

 

 60年代の、ケネデイ暗殺の日とアームストロングが月面に第1歩を下ろした日は、60年代を生きたヒトにとっては大きな共通体験だったと、思う。

 だからまず誰もが、この2日の”事件”があった時、自分がどこにいたかをおぼえている。

 1963年11月22日のボクは津山の小学生であり、ケネディ遭難をきいたのは朝の寝起き。初の宇宙中継がもたらしたニュースでだ。

 そして1969年7月21日は、高校の職員室横の職員当直室でだった。部活は放り投げてその畳敷きの部屋に詰め、白黒テレビに大勢でしがみついてた。教師の1人が、

「オルドリンはまだおるどりん」

 くだらないジョークを飛ばしたが、そのお寒い13文字が自分にとっての月着陸の一部になって、もう久しい。それを耳にして50年が経つわけだ、今年の7月で。

 まったく同じことが、原作『ファーストマン』にも書かれてる。60年代を生きた米国人もこの2つの日は、深く刻まれた別格の何かなんだ。

 悲しみどん底の日と、ブラボ~月着陸の日は、月という球の上でバランスをとってる天秤の2つの両端だ……。

 ちなみにアームストロングはケネディ暗殺のニュースを、ジム・ラヴェルの車と並列で駆けながらヒューストンに向かうさいのカーラヂオで聴いたという。

 数多の訓練が詰まっている宇宙飛行士たちは身動きがつかず、代表としてジョン・グレンがワシントンDCの葬儀に参列したと同書にはある。

 

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 原作は史実たる経過を一歩一歩追いながら、当時関わったであろう多数の方々の発言を丹念にひろって、パッチワークみたいににしてニール・アームストロングという人物を浮き上がらせるのに成功しているけど、それでもまだ彼の輪郭の一部は見えていないような気がしないでもない。

 冷静。沈着。勤勉。忍耐。慎重。強靭。真面目……。

 それらはハタからみると素晴らしくあるが、つまらなくもある。微笑みたくなるようなキャラクター性に乏しい。

 が、一方では彼のユーモアは第一級で、一度味わうとしばらくは笑い転げてしまうとの証言も多い。

 幼い愛娘が症例の非常に少ない癌に犯されて亡くなったさいは、葬儀後はすぐまた飛行訓練に出向き、娘のことなど一言も触れずで、周辺の同僚は彼に娘がいたというのを知らなかったというヒトもいるらしきだけれど、その前後の彼の動向や言動には巨大な陰りとしての悲痛が、今となっては読み取れるというヒトもいる。

 このあたりのバランスが不可解で、判りにくい。

 

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          月着陸船の中継カメラ部分の操作訓練中のアームストロング

 その点で二番目に月面に立ったバズ・オルドリンは判りよい。

 ま~、彼は彼で二番目に甘んじた自分というものをどう表現するかで、大きく苦悩し、一時はアルコールにおぼれ、鬱になり、そこから抜けると逆説的にマスコミの脚光を浴びるべく務めだすワケだけども……。

 そういう次第もあって、アームストロングという人物の中の未知を、何事か”映画的に示唆”してくれるかしら? 映画館のシートに座りつつ、そのような期待はかすかにありはした。

 とどのつまり、ボクはアームストロングという人物に惹かれているわけなのだ。

 

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            石の採集を練習中のアームストロング&オルドリン

 

 で、映画だ。

 映画は淡々と彼の人生をなぞっていく。ジェミニの時代、そしてアポロの時代。多少そのあたりの進行を囓ったものには、ま~、さほど目新しくはない。

 ボクとしては、当時いた宇宙飛行士の中で何故に彼がアポロ11号船長に選ばれ、月歩行の第1番めに抜擢されたか、彼は数多の飛行士の中、1つの特異点があったのじゃないかしら? などなど複数の疑問の答えのヒントがあるかもな期待をそよがせつつの鑑賞なのだったけど、ま~、そこはやはりちょっと期待過多だった。

 監督デミアン・チャゼルは1985年産まれだから、アポロの時代は彼がオギャ~と発する前の歴史、昔話だ。

 でも、悪くないよ。良い映画だ。

 米国では、「星条旗を立てるシーンがない」とブ~ブ~云った若い議員がいたらしいけど、そういうナショナリズムでもってチャゼルはこの映画を組み立てていないのがまったく、イイ。

 今までのアポロ計画を描いた映画とは違うアプローチも、イイ。

 アップを多用し、ローアングルめなカメラ視点とかも、試みとしては、イイ。いっそ『2001年宇宙の旅』が想起されるようなシーンも散見。

 かつて他の映画で描かれなかった打ち上げ日早朝のステーキ朝食の様子や、帰還後の隔離施設の様子が出て来たのもポイントが高い。

 

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    実際のステーキ・モーニング。右の赤シャツは飛行士室室長のディーク・スレイトン

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            実際の隔離施設(Lunar Receiving LAB)の面会室

 

 ただま~、娘の死でスタートし、娘への気持ちを月面上で顕わにすという”起”と “結”は、いささかドラマ的過ぎると感じたし、アップ多用がゆえにジェミニやアポロの宇宙船の姿を堪能するというには、遠い。”勇姿”としての宇宙船などメカニカルなビジュアルは大幅にはぶかれる。

 X-15での飛行の意味や、ジェミニ計画アポロ計画と進んでいく開発史としては、これはまったく判りにくく、ある程度の予備知識がないと話にノッてけないようでもあって、良い映画だったけど、ウムムムッ……、加速度がついたボールの行方を懸命に追わされた感がなくはない。

 宇宙飛行士たちの配役も妙に悪い。当時の飛行士たちは皆な30代後半だけど、この映画じゃ皆な50に手が届いたオッサンに見えてしまうのが難点。

 けど、ダンコにお薦めしたく思ったのは、アームストロングの奥さんジャネットを演じたクレア・フォイだ。

 

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            『ファースト・マン』より ©Universal-Pictures

 

 この人が、この映画の最大のツボ、最大の見所。

 ボクがアカデミーの審査員なら、この女優に主演女優賞を贈ってイイと断言できるほどに存在が際立ってた。

 現実の月と地球が年に3cm程度ながらも離れていってるのと同様、次第次第にと乖離幅が増す夫婦の、その妻の目線がこの映画最大の肝だったとするなら、クレア・フォイは実にまったく素晴らしい演技でもって、その心のカタチを見せてくれた。ライアン・ゴズリングすらが、かすむほどに。

 感情を押し殺してスマートたらんとするのを既に血肉化させている夫と、夫がそうであるゆえに感情をむき出していくしかなくなっていく妻の、これは悲しみのラブ・ストーリーと云ってよく、輝ける宇宙フロンティアを眺める映画じゃない。

「この一歩は小さな」ものではなく、夫婦という単位にとって,

「大きな苦難のいっそうの跳躍」

 だったと、その大きな目はモノ申してた。

 そうであるなら、ニール・アームストロングは自身の言葉、「この一歩は小さなものだけど人類にとっては大きな跳躍だ」でもっていっそうに自己規制をかけ、そう振る舞わねばとの思いが空転してしまった不幸を人類史初めて味わった、まさに「ファーストマン」であったと、同情ぎみに思い返しもするのだった。 

 

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         ジェミニ8号帰還記念の式典場での実際のアームストロング夫妻

            離婚は月着陸から25年経った1994年だったという