過日。The Recycleのライブ。
このバンドの溌剌を見るのは年に1度っきり。ニドサンドゥウィッチィじゃなくって年イチド~ッキリがドッキリ鮮度も保たれるって~もんだ。いいね。
スナザイル君のMCとボーカル。タケザイル君の確実なベース。動と静の佇まいがいいね。
ギターのナカザイル君とドラムのコニザイル君もいい。ガツ~ンと濃厚な豚汁の旨味めくギターのコクと、炭酸多めのスカッシュめくなキレあるドラムがヨーロピアンの重厚な城塞を思わせてハードにハートをまさぐってくれるんだホントだよ。
メンバーによるコーラスが加わればさらに良しと思わないでもないけど、音楽がもたらすデッカイ喜びを味わえるバンドのナマを味わえる1度っきりの気分や、良しヨシ。
70年代80年代90年代と通り過ぎた、いつかでどこかでの楽曲が今風味になってリサイクルされて還って来る感触も、大いに良しヨシ。
過日、いっぱい呑んで良い加減で家路にむかう夜道。フイに人が急接近でかなりドッキリ、ゾッとした。
けど、誰もいね~。
何のことはない。光の悪戯。街路灯の光加減でスポット的にすぽっと自分の影が出来ただけ。
何だオドカスなよ~ん。
確認のため一枚写真パチリ。
自分に怯えちゃいけませんなぁ、カッコ悪い。
2004年の1月に火星に着陸して以来、自分の影に怯えたりもせず、がんばって単独行動していた探査車オポチュニティが動かなくなったそうで……、なんと15年の孤軍奮闘だったのだから立派でしたなぁ。
想定された可動寿命は90日だったワケで、性能の圧倒的良さが際立った。火星大気の風が太陽光パネルや機器に積もる砂埃をはらってくれてたのも幸いだったようだけど、15年はすごい。
で、思うのだけど、自分が、オポチュニティみたいに単独1人っきりで火星にいるとしたら、どうだろ?
マット・ディモンの『オデッセイ』(バカな邦題)はその1人ぼっちを描いて秀逸だったけど、いざや自分があの境遇にあったら、あぁ、もちろんジャガイモ栽培なんぞはしなくても良いリゾート気分な隠遁滞在者として考えるに……、夜は、カーテンを降ろすだろか?
『オデッセイ』にそんなシーンはなかったし、そもそも誰もいないのだし、地球に較べて太陽光も弱いし、カーテン不要の環境なんだけどね。マット・デイモンも夜を恐れるような演技はしていない。
けど、なんだかほぼゼッタイ的にボクはカーテンを欲しがるねっ。
そうでないと、も~まるで落ち着かない。
出来ますればこの場合、ヴィクトリア調な重厚なのがイイ。
アングルが描いた公爵夫人の衣装なんかの豪奢な生地がイイ。レースとサテン。とくにこの蒼色。火星の闇夜を遮断するには最適っぽい。
ビロード系の赤も考えたけど、な~んかムラムラしてきそうな予感もあるし、1人ぼっちでムラムラもね~。やはり蒼っぽい沈静だか鎮静を促すようなカラーが良いね、火星では。
で、レースを多少に取り入れたいのは、これは地球への郷愁……。
(上:『ドブロイ公爵夫人ブログリィ妃』肖像 アングル作)
とはいえ白昼の火星は、景観としてはたぶん4日めにはもう飽きちゃうだろうし、太古の火星人の都が発見出来そうでもないし、さてそうするとやはり、夜の闇が浸透して空想の鎌首がもたげられ、
「ぁ~、それでも何かいるような気が」
ゾクゾクッと薄ら寒い感触を背筋にはしらせて、あえてそれを愉しむがための装置は要るな……。
外にナンか変なのがいるぜっ、てな妄想がためにも、ほら~Horror、やはりカーテン要りますなっ。
そこで読むブラッドベリの『火星年代記』は地球で読み感じてたのと異相し、1つの滅亡史として、よっぽどに怖いものとなって刺さってくるやも。