はやぶさ2とピーター・トーク

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 先日22日。朝6時半頃にMacを起動させ、「はやぶさ2」の着陸実況配信を眺める。

 思った以上にチカラの入った番組で、実況ゆえの醍醐味を感じた。

 同居のマイ・マザ~へのモーニング・サービス時間と重なっていて、オシメ交換やら朝食をお出しした頃合いで着陸が成功したようで、そのちょうどのタイミングを見ることが出来なかったけど、ま~、かまやしない。

 20代後半から30代にかけての若い方々の炯々を見て取れたし、イオン・エンジンの技術者らしきで番組の解説役の1人となってた月崎竜童という、ま~、まるで芸名みたいなヒトの丁寧かつ親切な案内ボキャブラリーにも感心させられた。

 このヒトは判りにくい専門用語を柔らかく溶いて、上手くほぐし、

「個人情報につながるコトでもあるから、どこまでおしゃべりして良いか判りませんが……

 咄嗟の判断でもって、管制室内の男性と女性の比率なども解説してくれた。

 こういう軽妙洒脱いたれり尽くせりな、柔らかい人物がいる組織はイイ。

 このヒト自身きっと今後、いっそう伸びてくに違いない。

 

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     右から2人めが月崎氏。司会の女性も矢継ぎ早やい質問攻勢で醍醐味あり♡

             

 何人もの欧米人も管制室にはいて、日本イチバンのアクがない様子も伺いしれ、それもよろしかった。

 月や火星に居座わるような着陸でなく、あくまでもタッチ・アンド・ゴーな数秒の着陸の第1回めの成功だけど、ともあれ、よろこばしい。

 テレビ局的でない、オープンで溌剌とした実況だったのが何よりよろしかった。

 

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                   月崎竜童氏のアップ

 

 けど日本経済新聞が同日の社説で、

「科学的興味は尽きないが」

 と前置きしつつも、

「資源探査に生かせ」

 だなんてセッカチにも早々とガチンコな経済最優先を云ってるのにはゲンナリだった。

 石炭や石油はどうやって産まれたか、今はその系譜の大元たる地球生成の、その図帳を作るための実証考察をやってるワケで、この社説を眺める限りは、喰うことしか考えない恐竜の貪婪しか見えずなのだった。

 

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 同日の夕刻に、ピーター・トークの訃報。

 つい最近、実は連日のようにモンキーズを聴いてたもんだから、

「えっ!」

 けったいなタイミングじゃ~あった。

 4人のメンバーの中でイチバンに興味のないヒトではあったけど、それでもメンバーの1人。

 ディビー・ジョーンズに次いでこのヒトも去ったか……、遠い中学生時代に接した感覚と今の感覚がもつれ、

「光陰矢の如し」

 っぽい人生速度を思わないでもなかった。

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 今あらためて、あえてヘッドフォーンで聴くに、デビュー曲『恋の終列車』でリード・ボーカルしてるミッキー・ドレンツの歌声には緊張が感じられる。

 初々しいといえば単純だけど、その緊張ぎみな声ゆえに当時の米国の同世代が共感し、この曲も入ったデビュー・アルバムがいきなり500万枚という次第につながったのかも知れない。

 歌詞の内容とその震えを抑えたような声が連動し、徴兵制ゆえにベトナム戦争に駆り出されるやもしれない当時のヤング層ご一同に連鎖の反応を起こさせたのかも知れない。

 


 

 

 出だしで、ドラムのミッキーは、

クラークスヴィル行き最終列車に乗るから、駅で待ち合わせよう」

 と歌いだす。

 Take the last train to Clarksville,

    and I’ll be meet at the station.

 

 クラークスヴィルテネシー州にある人口12万の都市。

 その中心街から16kmの所にキャンベル砦という極めて広大な地所があって、ここには米国陸軍の第101空挺師団の基地がある。

 2万人の兵を擁する大掛かりな駐屯地で、第2次大戦から今に至るまで多くの陸兵を養成し送り出す場所でもある。

 米国の当時の若者なら、とくに徴兵制度でベトナム戦争に送り出されるのを不安がってるヤングメン一同には、『徴兵 - 戦争 - 死ぬかも』な誰もが感じるであろう不安の代名詞となる場所の名がクラークスヴィルなのだった。

 

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            101st Airborne Division  Base

 

「恋の終列車」はそのクラークスヴィル行きの直前、つきあってる彼女と駅で束の間だけど会おうという内容。

 歌詞に徴兵もベトナムもないけど、クラークスヴィルの1語でもってこの歌が意味している深刻度合いは当時の米国ヤンガーズにはピンと来るという次第……。

 ピーター・トークはこの曲ではベースとコーラスを担当、どこか軽々しい彼の頼りなさげな風情、ガニ股ぎみな不格好さもまた、アイドル的存在ではなく、すぐそばにいるお仲間的同世代の子の元気な素振りという感じで当時のヤング一同、

 Oh, no, no, no  Oh, no, no, no

 And I don’t Know if I’m ever coming home.

「嫌だ嫌だ嫌だ……、僕、戻れるかどうか判らないんだっ」

 背景にひかえた不安を懸命に隠蔽して青春を謳歌してるような姿カタチの見せかけに、ヒリヒリと共感したのかも知れない。

 ティーンエイジな浮かれ気分の時間は短く、18になると徴兵される、その不安の焦燥こそが「恋の終列車」の核となっていたろう。

 

 CNNなどの米国ニュースではピーターの訃報が割と大きく取り上げられていて、

「おやっ?」

 と思わさせられた。

 60年代をヤング全開で育ったヒトらが今は50半ば~60歳代、紙面構成の決定を担う方々だろう。

 モンキーズというのはTVが創ったバンドとしてスタートしたけど、今現在の米国の60歳くらいのヒトにとって以外と大きな位置を占めているのだろう。

 ただの郷愁としてではなく、通過した政治的兵役の辛酸と文化的ポップな甘みある色彩が混合し、頬っぺに浮き上がった経年によるシミみたいに、独特の位置に置かれているのだろう。

 同世代ながら日本に産まれ育って『モンキーズ・ショー』をおバカで楽しくカッコイイ~~っと観ていたワタクシと、米国でこれを眺めてた同い年の人物とは、たぶんにモンキーズの位置が違ってるんだ。

 辺野古の埋め立て問題が真に問題と感じて苦悶してる当地のヒトと、他県でもって傍観し他人事のニュースとして眺めてるのとの違いみたいに、といえばコジツケな大袈裟にしろ……