大きなお世話じゃあるけれど、ラミ・マレックは、これから苦労するのじゃないかしら。
演じた役に役者そのものが呑まれてしまう危険な感じをおぼえないでもない。『ボヘミアン・ラプソディ』で最高の称賛と誉れを得たものの、そこにはコダマみたいにフレディ・マーキュリー礼賛の声もまた大きく湧いているのであってオリジナルの映画キャラクターとしてのラミ = キャラクターではないから……、次回作でその圧倒的フレディ・イメージをどう払拭出来るかどうかが肝。
もちろんガンバッて欲しいし、こういう予想は外れて欲しいけども、ブーム後は相当に険しい道のりになる気がしないではない。ま~、それほどにラミのフレディがすごかったワケで。
(云うまでもないが、クイーンの4人に扮した役者4人全員がすこぶる素晴らしくもあった、よね)
ところで……、どんな映画に出演しようとも、ゼッタイに彼女…、と判る女優がいるね。
例えば、M・モンローとかグレース・ケリーとかシガニー・ウィーバーとかジョディ・フォスターとかジュリア・ロバーツとかとかとか。
けど一方、どんな映画に出ても、ゼッタイに彼女…、とは判らない女優がいる。
ゼッタイとは大袈裟ですがぁ、少なくともボクには判らなかったヒトがいる。
クリステン・ウィグ、がそのヒト。
近頃常々に気になる女優さんのナンバーワン。
『宇宙人ポール』 強権な父親の呪縛下にあるヒロイン
『LIFE!』 バツイチ子供ありのヒロイン
『ゴーストバスターズ』 4人の科学者のうちの1人
『オデッセイ』 NASAの広報部長
いずれも主役や準主役クラスの大事なポジション。ところが、も~まったくといって良いほど目立たず、上記の内4本(『ダウンサイズ』は出演をしってたんで)、観終えてちょっと調べて初めて、
「あらっ」
彼女でしたか……、なのだった。
『宇宙人ポール』では悪役としてシガニー・ウィーバーが出てるけど、この映画ではあきらかにシガニーが場をさらい、ヒロインのクリステン・ウィグはケッタイな眼帯姿で登場するも、かすんでる。
同じく『ゴーストバスターズ』でも、オバケ退治の4人組女性の中で目立たない存在という次第ではないけれども、他の3人にはあるものが彼女にはない……、とも見えるし、平たくいえば、他の3人の狂気めいた溌剌がない溌剌っぷりともいえる。
この映画のラストではゲスト出演のシガニーが俄然に場をさらう。けれどまた逆に、シガニー・ウィーバーが俄然に際立つのは対比としてのクリステン・ウィグが置かれているから……、とも愚察する。
意識的かあるいはそうでないのか、そこが難しいけど、このヒトには自己消去めいた反射運動が働いてるような気がしないではない。
木の葉に似たコノハチョウとか小枝そっくりに変色もするナナフシのように、あたかも背景に溶け込む擬態みたいに……、彼女は見えてこない。
あっぱれハツラツに演じれば演じるほどに彼女の存在はフィルムの中で透明化してって、目立たない。
けど、目立たないことで逆にその存在は際立つともいえる。いないようでチャ~ンといるという不思議なポジションで揺蕩(たゆた)ってる。
『オデッセイ』のエンドロールでのクリステン
いわば、どこにでもいそうな、空気の馴染みに埋没しそうな、駅前ですれ違ったさい一瞬に目がいくけど直ぐに忘れちゃう程度なイメージ像としての女性を、彼女は演じる。
あの姿勢の悪いジュリア・ロバーツ(『オーシャンズ11』で階段を降りるシーンとかで確認してちょ)が放っている奇妙なばかりのアクあるオーラの、そのかけらもない。
ベタにいえば輝かない。炯々とは光らない。性としての女性を直線的に意識させない。
けども、後になって彼女と判ると…、ジワジワっと、
「いや~、あの役は彼女じゃなきゃ駄目だったよなぁ~!」
合点がいく。
「ぁ、やっぱ、そうだよなぁ」
妙に、女性たるを逆に意識する……。
この不揃いなバランスが彼女の魅力の照射点とは判っているけど、さ~、そこをコトバとしてうまく結べない。
だから困った存在だ。
元々がコメディアンだから、自身を押し出す手法も自虐含みな笑いに持っていく術も心得ていらっしゃるのだろうけども、おおらか、というより大味といってよいアメリカンなそのギャグ連打の彼女よりも、映画の中の”目立たない彼女”に、ボクの興はむく。
レベッカ・ラルゥという女性に扮したクリステンの『誘惑の達人』と題されたサタデーナイト・ライブでのコント(2011年放映)
Rebecca Larue (Kristen Wiig) is supposed to talk about being single during the holidays, but ends up making Seth Meyers uncomfortable with her awkward brand of flirting. [Season 37, 2011]
彼女が演じた中でシーンとして際立っていたのは、『LIFE!』でのヒロイン役だろう。
わけても、アラスカのカラオケバーで主人公を鼓舞する幻想シーンで彼女が「スペースオデッセィ」を謳い出すところ。
デヴィッド・ボウイのそれと同じく、彼女は12弦ギターを手にし、あの高名な出だしを歌い出す。
そこに本物のボウイの歌声がかぶってくる。
Ground control to major Tom
Ground control to major Tom
Take your protein pills and put your helmet on
管制室からトム少佐へ
プロテイン飲んでヘルメットを装着せよ 背景でカウントダウン……。
これを聴いた主人公は遂に発奮し、ただ1枚のネガフィルムを探す旅に出向いてく。
名シーンといって過言でない。ここでの彼女は主人公にとって女神そのもの。
が、そうであっても、このミューズにはアクがない。根源的に強烈な何かを発していない。
たぶん、このアクのなさが、彼女を彼女たらしめているに違いないのだけど、さ~、うまくコトバとして、あらわせない。どこにでもいる、いわば”普通に存在”する女性だ……。
だから逆に、映画を見終わった後に妙な印象として彼女はボクの中に刻印され、いつまでも消えずに居座り続ける。
だから、不可解な存在。
なので、目立たないがゆえに、イチバンに気になる女優さんということになる。
シガニー・ウィーバーやジュリア・ロバーツには、”自己消去”がないけど、クリステン・ウィグただ1人、彼女は自分を消そうとしているとも見える。シガニーやジュリアが持ち合わせていない何か、引き算で勝負に出てるようなところが、彼女にはある。
女優をスター、コトバそのものに星のタイプで分類してみると、太陽のような中心となる恒星、惑星、衛星、彗星、変光星、赤色巨星、中性子星……、けっこうなタイプで大勢の女性の顔と名が浮く。
けども自ら光らないけど、ブラックホールという存在もまたあるワケで、いっそこれはスターをのんでしまう存在。
クリステン・ウィグはそのような存在かも……、と密かに思わないでもない。
『LIFE!』はもう何度観たことやらだけど、近年ボクが選ぶところでのベスト3の1本。無人島に1本だけ映画を持ってけ、と云われたら現状ではまずこの映画……、俄然にナンバー1と化す。
というホドに好感してるのがクリステン・ウィグがヒロインの『LIFE!』。
LIFE!/ライフ [AmazonDVDコレクション] [Blu-ray]
監督で主人公役のベン・スティラー、伝説的カメラマン役のショーン・ペン、老いたシャーリー・マクレーン他出てくる役者が皆な素晴らしい上に全シーン全カットが美しくキマッてる映画って、あんまりない。
タイトルバックのあしらいが超絶にシャレているのもビッグ・ポイント。
イチバンに感じ入ったのは12弦ギターのシーンじゃあるけど、アフガニスタン北部の雪中にて雪豹の生態写真をショーン・ペンが撮らなかったシーンもいい。撮らなかった理由を呟くショーン・ペンの顔もいい。清さの深度に発奮させられるし、そこがこの映画のキーになってる。清廉ということではクリステン・ウィグの役もそうだろう。
などと書いてるうちにまた観たくなるけど、美味しいモノはできるだけガマンしたノチがよろしい。