知友の城井くんが東洋経済オンラインで大きく紹介されているので、後援気分でここでもチラッと紹介。
何年か前、幕張でボクも乗っけてもらい、沿道の方々のビックリな視線が大変におもしろかったですニャ。バス停留所のヒトたちがいっせいに指差して、「あっ」てな顔されてたのが……。
で、別な、動画として下を。^_-
1958 Chrysler Imperial - ULTRA 7 POINTER
この動画は2013年11月に撮影されたものだけど、撮影後にエンジン不調で修理に出したと……、本人苦笑。ホビー誌での露出は過去に何度となくあったけど、東洋経済のような一般紙での紹介は初めてかもとのことで、反響の大きさに、今度は本人がビックリのよう。
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自慢じゃないが、ボクはテレビを持ってない。
けどま~、何らかのカタチで、それもずっと後になって番組に接したりはする。
で、そうやって観るドラマなんぞで知らぬ女優に接し、たま~に、
「おんやっ?」
惹かれて注視するような遭遇感を味わう。
遭遇というより見出すみたいな感触だけど、それを印象としていつまでも残せるというヘキがあって、これは自慢してもイイ。
『孤独のグルメ』の第1シーズン第9話で、小さな劇団が出てきて、そこの新人女優が監督に叱られて劇場から駆け出し、それをゴローちゃんがチョイと癒やすというのがあったけど、その新人女優に扮した若い女優が妙にボクには引っかかった。
メチャンコかわいい、というだけでなく、どこかメランコリーな翳りが内包された女優だなぁ、印象深く画面を眺めてた。
で、この前、amazon primeで、『トリック新作スペシャ3』を観ていたさい、何やら凄ご~く引っかかる若い女優がいて、またぞろ、
「おんや~?」
この若い女優……、イイじゃないかシーじゃないかデーれぇエエぞ……、着目しつつ観終えて直ぐにウィキペディアで調べてみると、
「ありゃっ!」
『孤独のグルメ』の第1シーズン第9話の、あの子だったワケなのだ。
いい勘、いいハナ、してんじゃんボクは……、と自賛したい次第ながら、『孤独のグルメ』の第1シーズン第9話の子と、『トリック新作スペシャ3』の子が同一人物と気づかなかったのは、この前書いたクリステン・ウィグと同じ現象。
要は、女優の優劣を見るメダマが良いぞと自惚れつつも、個体識別は出来ていない、のだった。
朝倉あき、というらしい。
既に何本ものテレビドラマに出てるようだから、いまさら何言っての? かも知れないが、ほぼゼッタイにこの女優さんは、グイグイ伸びてくような気がするなぁ。
今後、あき様と呼ぼう。
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さて、クリステン・ウィグが出てた映画『LIFE!』を褒めちぎって無人島に持っていけるただ1本のDVDかもと、ヨイショしたついでだ……、褒めちぎって良さげな本1冊を考えてみた。
ま~、どうしてもこういう設問では最近に読書したのが俄然に上層にあがってしまうのじゃあるけれど、無人島に持ってくわけではないにしろ、かなりガッツ~~ンと来たのは、下写真の本ですな。
著者は文教大学教育学部の教授で古代史と茶の湯の歴史を専門にされる。
この教授が2013年に出版の『利休切腹』(洋泉社)を書き改めて、こたび朝日新書として出したのが『千利休 切腹と晩年の真実』。2/28に発行のバリバリ新刊だ。
オビのキャッチ~な文言を眺めるに、一見、いわゆるトンデモ本の部類か……、そう思われてもしかたないセンセーショナルな感触もあるのだけど、チャイますチャイます。
これは”ちゃんとした”学術的な本。
思わぬ盲点を突いていて、その盲点を挙げ連ねるだけでなくキチリと資料にあたり、かつ資料が1級のものか2級のものか丹念に精査され、本当の史実を見極めようとする姿勢に満ちているので、読んでメンタマからウロコ剥離が連続するという具合な本なのだった。
当の著者とて、ながらく茶の湯の歴史を研究し、利休が切腹していないというコトに気づいたのはつい最近、2013年頃だったというし、発表にあたっては、
「勇気がいることでした」
とも吐露されている。
トンデモ本同様、トンデモ学者の烙印を押される可能性があるし、洋泉社から出版した後どうなったかといえば、ほぼ黙殺されたようでもある。
わび茶を創案し、大きな文化事象を構築し、その悲劇的死をもって、よりいっそうに「茶聖」としての”権威”となった千利休を、没後400年も経って、
「実は九州に逃げ出してた……」
とくれば、多くの茶の関連者には迷惑なハナシと思われるには違いない。
数多な茶の湯関連の本。いずれも利休は自腹切って死すが前提で書かれてる……。
しかし本書では、利休の探求と茶の湯研究は別けて考えるのが妥当ということが示唆される。
利休切腹を証す第1級の資料は存在しない。噂として記述された手紙はあるが、切腹を示す豊臣家の文章などはまったくない。
公式に登場するのは江戸時代になってから。表千家が紀伊徳川家に提出した「千利休由諸書」に初めて登場する。
現代までの、資料といわれるアレコレの記述は、この由諸書に端を発し、これから拡散している。
で、以後は、なぜに利休は切腹を命じられたかという、原因追求の方向でもって利休は語りつがれ、結果、小説なり映画なりでずいぶんと秀逸な作品まで生まれることになるのだけど、実はこの400年間、ほぼ誰も、利休切腹を疑ったことがなかったという”事実”もまた、あるのだった。
ま~、ここがポイントだ。
そこに着目し、各種の資料を読み解いて、これは文字通り、徹底的に読んで”溶いて”ほぐすという実に学者らしい態度と熱意でもって硬い岩盤に穴を開けてった、その作業の進みがボクには非常に好感だった。
本書は4章だてになっている。
1) わび茶
2) 持庵の成立
3) 利休切腹
4) 生きていた利休
1)では、わび茶の成立を追ってそのイメージが後世にどう伝わり固まっていったかが説かれ、元禄時代末期に書かれたらしき『南方録』が利休の弟子が記した書として1人歩きをはじめ、わび茶の理想形の中の利休像と史実上の利休像とが乖離していく様相が捉えられる。
2)では、国宝である利休の茶室・待庵(たいあん)を検証。はたしてこれが本当に利休製作によるものか疑義を提示し、そこから行論のラインを伸ばして、むしろ「わび茶」の真髄を体得していた可能性は秀吉にあるのではないか……、と提起する。秀吉が自分の政権を誇示するために設けた黄金茶室や北野天満宮の大茶会などの「イベント茶の湯」と、自身が1番に好みとした大坂城内の「山里丸の茶の湯」の違いを明快に解いていく。で、その「山里丸」における利休と秀吉の1対1の茶が、2人にとってどれほどに豊穣なイットキであったかを考える。
3)で、各種文献を超絶緻密に精査し、それらを付き合わせるコトで、利休が何らかの処罰を受けたものの、利休の木造が代替えとして縛られて晒しモノになった事が証され、本人がお腹を切って自死していないことを立証。ちなみに利休が切腹したと謂われる2月28日は大坂も京都も悪天で大粒の雹が降っており、処刑場では京都界隈で悪さをしていたらしき悪僧が処刑されている……。処刑場に罪状を記した告知板(紙)が唯一の報道だった時代、この悪僧と利休像の晒しがゴッチャになって喧伝されたかもと筆者は考察する。
4)でもって、その後の利休の消息を解いていく。朝鮮攻めで九州に出向している秀吉が大坂の大政所(おおまんどころ・秀吉の母)宛に書いた手紙の中で、死んでるはずの利休に茶をたててもらったらしきことが書かれている事実などなどを検証する。
いやはや頭が下がるような見事な論証論考。著者ご本人は、
「私の説は間違っているかもしれません。利休は本当に切腹しているかもしれません」
とあとがきに記し、けれども逆に、利休切腹を確定的に証拠立てる資料がまったくないという事実にも言及する。また、研究者が古文書に接してそれを現代語に翻訳するさいの研究者自身の主観が、本来の意味を曲解することがあるのを幾つもの例をあげて警鐘もする。
歴史とはこわいものです。
権威ある所が発表したものは「歴史」になっていくのです。
著者はそう記してる。
戦国茶の湯倶楽部: 利休からたどる茶の湯の人々 中村修也の別の本。この本もすこぶる良書。
既成事実化した今の”史実”を覆すこの大胆な考察提起は、しかし、しばらくは黙殺され続けるのではなかろうか?
著者中村修也に次ぐ研究者や書き手が登場し、さらにまた賛同見解での書き手が登場し、小説なりコミックスなり映画でもって生きてたことを前提にした創作も加わったりと、利休切腹が江戸時代になっての創作でした……、と誰もが”信じ込める状態”になるのは、時間がかかるでしょう。
おそらく相当に抵抗圧力も強いはず。それほどにインパクトがある本なのだ。
何より、「歴史」というものの脆弱さをよく示している。
元禄という江戸時代最大のバブル期に、なぜにわび茶という質素な形への回帰を指向した書『南方録』が、しかも利休の弟子の手で書かれたものが発見されたというカタチで出たか……、なぜにそれが今も偽書と判っていて茶の湯関係の本でよく引用されるのか、本書が示唆してくれるポイント多数なり。
むろん、読んでいると幾つか謎も湧いてくる。利休ほどのいわば名士が仮に九州へ逐電し、生きていることが公然の秘密のようであったとしても、その没年などの記録が出てこないのは……、何故だろうかとか。
『南方録』とその関連本。偽書とはいえ利休の真髄を抽出しきって文化的事象の茶の湯をアートの領域にまで押し上げたのが『南方録』の大きな価値。”利休好み”を経典化させてある種な道を造った、いわば茶の世界においての中興の祖本、といってもいいかしら。この本に関しては2年ほど前にちょっと書き記してる。
で、以上を踏まえて思うけど、たぶん、この先もホントの利休像と物語の中の利休像は並列で駆けてくのだろうなぁ。
実在したナザレのイエスと、その後の12使徒による布教でもって創り出されたキリスト像が違ってはいても、いまもってイエス・キリストが信じられているのと同様、それほどに利休というのはアイコンとして独特の放射光を放ってるわけで、この本が投じた一石はデカイ波紋となるというか、かなりエポックな ”事件”とも感じてる次第あって、長々に記すと……。