最近100円ショップで「孫の手」を買ってエラク重宝してるのだけど、「孫の手」を発明したヒトは、「世界の偉人100人」に選んであげても良かアンベ~なのじゃあるまいか。
それっくらい威力絶大、かゆい所に手が届く逸品だ。ま~、文字通りにそう機能するのだからあらためて書くほどでないけど、そう云いつつ、片手に持って背中ポリポリ掻いてるのだ。
滑らかな曲げ加工部分をTシャツの首の所から背に差し入れ、かろやかに上下運動させると背中大喜び。
「ぁ〜ああぁ」
小さな呻きがプチプチ炸裂しもするのだった。
もちろん四六時中背中が痒いワケはないけども、痒い時はダンコ痒いのだから、そのさいの「孫の手」は今どきの言葉で云うところの「神対応」のマジックリンなのだった。
手は小さく、動きは上下運動にほぼ限定されて単調、横方向は苦手ながら、痒みの抑制と緩和に対する上下移動の”指先”の繊細は無類。
しかし、発明者は何故にマゴノテという名を与えたのか?
「弟の手」でも「愛人の手」でも「ワイフ・ハンド」でも「夫の手」でもイイはずなんだが、「子」でなく「孫」と規定した所に”作者”の実事情がからんでるような気がしないでもない。
アマゾンを一覧すると、おびただしい各種「孫の手」が売られているから驚く。国民の多数はよほど背中が痒いのだろう。ずいぶん豪華なのもあるし、SM系の小道具を連想しちゃうようなのもある。歯ブラシのような電動なものがないのも、お・も・し・ろ・い。
ブリタニカ百科事典には名の由来として、中国の伝説『神仙伝』に登場する麻姑 (まこ) という鳥のように爪の長い道教の仙女の名から転じたといわれる、と記してる。
ある男が「その爪で背中を掻いてもらったら気持ちいいだろう」とこっそり思ったら、すぐに見抜かれ、罰が当たって何者か眼には見えないものにブッ叩かれる。ま~、それで麻姑が「マゴの手」となったというらしいが……、いささかコジツケたような感じが無きにしもあらず。
棒を持ってるがマゴノテじゃありません。仙界を行く舟の櫓(ろ)です。
この仙女さんは実は酒造りの名人で、舟の足元には酒の瓶があるんだ、呑んでみたいね。
で、所変わって日本。下は『紫式部日記絵巻』の一部。
皇子誕生を祝う祝賀パーティの後、右大臣の藤原顕光が酔って若い女官に言い寄り、扇で彼女を引き寄せようとしているというのがこの絵の解釈らしきだけども、見ようによっては、扇で彼女の背中を掻いてやってるよう見えなくもない。
そう思うと、女官の表情は言い寄られての恥じらいともいわれてるけど、十二単の上からとはいえ、掻かれて、うっとり顔に見えなくもない。
眼を陶酔に細めきり、お多福ぎみの頬に朱がさしている処を見るに、恥じらいよりは悦楽の表情とボクには見えてしかたない。
そも、背後から扇で彼女を引き寄せるというのはヤヤ無理っぽいのじゃなかろうか。
背中ポリポリかきくけこで、要は、藤原顕光はこの女官を陥落させるのに成功したというわけだ……と、そのように解釈したって誰も困らないでしょうの『紫式部日記絵巻』。
脇役でしかない人物絵ながら、事後の顛末というか、次に二人はどうなるの、進行形のドラマの暗示がふりかけてあるようで妙にひかれるのだった。
扇で彼女を引き寄せ誘ってるのか、あるいは扇で背中を掻いてやって親しみの急接近なのか、どのみち深い男女関係に進むでしょうねぇ、の予測はつくにしても、絵としておもしろいコトに変わりない。
余計ごとながら、十二単という装束は自分で自分の背中はまず搔けないだろなぁ、などとつまらないコトも想像出来ますし。
ちなみに藤原顕光(ふじわらのよりみつ)は平安時代最大の無能な大臣と当時から云われ、従弟の藤原道長は「至愚之又至愚也」とまで書いてます。愚の骨頂だアイツはというコトですな。ま~、そんな人物ですから政治より性事な事情を紫式部はしっかり観察していたんでしょうヨ。
けどまた一方で日記で式部は、その無能な大臣に声をかけられチョット言い寄られたのを密かに自慢してるフシがあって、このあたり、おんな心、色は匂えど散りぬるを……、ですなぁ。
装束といえば……、2日になくなったピーター・メイヒューを想う。1977年の第1作からずっと彼はチューバッカの毛むくじゃらとして存在し、その毛むくじゃらが装束だったねぇ。思えばおかしな役回り、第1作のチャーミングな程にノーテンキなメダル授与式のシーンですら毛むくじゃらのままで何も履かず何も羽織ってないんだから、オモチロかった。
メイヒューの名は判らずともチューバッカの名でその姿は鮮明であり続けた。
幸いかな映画で繰り返し彼には会える。
冥福を祈りつつも、May the Force be with you.