ホドロフスキーのDUNE

 DVDを買おうか買うまいか、どうしようかと放置してる合間にアマゾン・プライムで配信されたドキュメンタリー『ホドロフスキーDUNE』。

 概ね内容は承知のつもりだったけど、なるほどなぁ、そうだったのね、合点したり納得したりであった。

 デヴイッド・リンチの『DUNE1984より前に、怪作というか傑作というかいささか置き所を考える『エル・トポ』の監督アレハンドロ・ホドロフスキーが、1975年、同作品の映画化を試み、パリに最高のスタッフを集結させた上でハリウッドの映画会社に企画を持ち込んだものの、却下される。

 この顛末とその後を描いたドキュメンタリー。

 

 企画が没にならなきゃ、『エイリアン』のあのデザインと世界観もまた違ったものになっていたろうと想うと、災い転じて……、という感も浮く。

 けどまた一方、サルバドール・ダリオーソン・ウェルズミック・ジャガーデヴィッド・キャラダインなどなど、当時の常識では考えられない配役をし、しかも、既に各人と交渉済みというアンバイで映画会社に企画を持ち込んで、コロンビアやユナイトやMGMやディズニー、といった大手の映画会社に衝撃をあたえ、皆一様にビックリで口あけて唖然という経緯も、よ~くわかった。

 

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             アレハンドロ・ホドロフスキー大いに語る

 ホドロフスキーは集まったエキスパート達と練りに練って、厚さが20センチを越える設定デザインも含めた絵コンテを作る。

 すでに配役も決めた上での絵コンテ(絵はメビウスだから、後はそのコンテに従って実際に撮影すればいい、というところまで作り込んである。音楽はピンク・フロイドが作ることになっていた。

 それを複数印刷し、何社だかの映画会社に持ってったわけだ。

 

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    圧倒的にぶあつい絵コンテとホドロフスキー。本の状態で現存するのは2部だけらしい。

 けども却下だ、どこの映画会社も腰を上げず、企画は没になる。

 3部作か4部作に分けたとしても、上映時間が10時間を越えるし、当時、SF映画というものはマトモに俎上にあげてもらえず、ティーンエイジ向け低予算という括りで語られることが多かったし、何より、『ベン・ハー』のような純然な聖書物語の副読本のようなあんばいでなく、異教徒的立ち位置による宗教色が感じ取られ、しかもドラッグ的な物質が核となるという次第が、難色の色を濃くした。カルト作風なホドロフスキーがそれを監督するならいっそうダメというニュアンスが濃かった。

 ほぼ同じ1975年頃に、ルーカスがやっと20世紀FOXの出資を得て『スターウォーズ』を作りはじめ、公開されてメガヒットとなるのは1977年だ。それで映画界の流れが大きく変わるけれど、ホドロフスキーはチョイと早すぎた。

 彼が哀しい頓挫を味わっているうちに、やがて1984年、映画屋ディノ・デ・ラウレンティスのプロデュースによりリンチ版『DUNE』が誕生する。

 

 いうまでもなくデヴィッド・リンチの『DUNE』はダメな映画の1本だ。

 ディノ・デ・ラウレンティスの特撮部門にお金を費やさないケチっぷりやら監督の権限を制約した手法がひどく足を引っ張って、豪奢なフルコースであるはずのものが安い定食に置き換わってしまってた。監督が豪奢な建材や金釘で組み上げようとするのを、それを家主がホッチキスで留めるればいい、といったアンバイになり下げた。

 

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 とはいえ……、リンチ版『DUNE』が嫌いかといえばそうでない。

 まとまりない作品ながら、リンチの嗜好や絵作りは随所に見られるし、彼の息吹を感じるところもまた多数ある。秀吉の黄金茶室をはるかに凌駕したでっかい金ピカゴールドな謁見室に黒ずくめのパンカー達に守られて登場の巨大”水槽”といったヴィジュアルは、イミテーション・ゴールドな鈍い輝きに満ちてチャーミングだったし、空中浮遊する毒針注射器の影が毛布に映じるや、それがうねって毒蛇の動きのように見せるなど、リンチの眼の置き所というか趣味性がよくまぶされ、だからストーリーを追うよりはシーンごとでの作りを味わうべきな作品と解すと、駄作という烙印は消える。

 上写真:米国でTV放映のさい、1時間近くの未使用フィルムを新たに組み入れた長尺版。4:3画面サイズながら、これはこれで”たのしめた”リンチの『DUNE』2枚組DVD。巻頭から信じがたいホドの安っぽい絵が次々に登場し、それで物語の状況を説明してるんだけど、絵のひどさに激憤か、編集権のないリンチは監督名が画面に出るのを拒否。ま〜、お気持ち判ります。でも、未使用だったシーンをふんだんに観られるしぃ〜、編集もおざなりで〜、ゆえに逆説的に”たのしめる”という、ある意味でカルトなバージョン。

 

 当然に、ホドロフスキーが監督をやって映画が完成したとしても、それが傑作になったかどうかは判らない。「どうかなぁ、これは?」疑問符やら拒絶が起きた可能性もまた高い。

 出演を快諾したダリやオーソン・ウェルズがいざ撮影となると、アレコレ物議をかもす難題を出してくる可能性も高かったろう。『影武者』での勝新太郎のトラブルよりでっかい”困ったことになった”が続出したろう。

 

 このドキュメンタリーで特筆は、そのダリの愛人であったアマンダ・レア(リアとも)がインタビューに答えていること。

 ボクはこの謎の女性がずっと昔から気になっていた。ROXY MUSICの2番目のアルバム「フォー・ユア・プレジャー」のジャケットを飾った人物だ。

 

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 デヴィッド・ボウイのミュージックVTRに出ていたこともある。当時、ブライアン・フェリーが夢中になったヒトということは今野雄二のライナーノーツを呼んで知ってはいたし、ゴシップ多きなヨーロッパ社交界の花だということもおぼろに知ってはいたけど、よもやこのドキュメンタリーに本人が出てくるとは、ついぞ思ってもいなかったからビックリだ。

 

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                当時のダリとアマンダ

 

 ホドルフスキーに向けてダリは、出演料1時間10万ドル(当時)を要求し、同時にアマンダにも役を与えるコトを要望する。

 ダリは皇帝役だ。その皇女役にアマンダをというわけだ。

 交渉はダリが定宿にするニューヨークのセントレジス・ホテル(今だってお1人さま1泊で最低12~3万かかるそうな)、次いでパリのシャンゼリゼ、さらにバルセルナへとダリの移動と共に行われ、その間にホドロフスキーは脚本を再考、ダリの顔をした皇帝の影武者ロボットを多く登場させることで本人の登場時間を5分ほどに縮め、出演料の抑制に成功。でもって皇女役をダリの要求のまま受け入れた。

 なので、メビウスが描いた膨大な数に登る絵コンテには、アマンダの顔の皇女がチャ~ンと描かれている……。

 

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            特徴あるダリ髭の皇帝……。メビウスの絵コンテより

 メビウスホドロフスキーに心酔し、久しく彼の存在を精神的な柱としていたというが、それは後述するけどH.R.ギーガーやメカニック・アートのクリス・フォスたちも同様だ。フォスは英国人だけどホドロフスキーのいるパリに移住して現在にいたる。『DUNE』の絵コンテ表紙はフォス作品。

 家康や秀吉がシビレちゃった信長のように、信奉者を多数産んだS・ジョブスのように、ホドルフスキーにはヒトを引き寄せ酔わせる磁力が強靭だったんだろう。惜しむらくは、信長にしろジョブスにしろがどこかの時点でカルト的存在ではなくって普遍的なレンジでの高位置に登れたけれど、ホドルフスキーはいまだに、カルト・カルチャーの狭い枠組みの中でもって語られていることだろうか……。

 

 が、だからといって今更に、ホドルフスキーによる『DUNE』を観たいとは思わない。カルトな位置からワンランク引き上げてあげたいとも思わない。撮られずに終わったことで逆に、ホドルフスキー版『DUNE』と彼という存在は、”活き続ける鮮度”を得たと感じる。

 それは不幸ではあるし、それゆえの失意や凋落を経験したであろうホドロフスキーだけど……、彼が持ち込んだ絵コンテがハリウッドの映画関係者に回覧され、多くの映画に影響をあたえていることもこのドキュメンタリーでは描かれる。

 

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ギーガーと彼の絵。結局、『DUNE』のために描かれたこれらのイメージが、最近の『プロメテウス』を含む『エイリアン』シリーズで使われることになる。

 

 ホドルフスキーは強圧な風に倒壊した大木だけども、倒れたことでそこから新たな芽が幾つも伸び生えたことが知れる。

 だから、良いドキュメンタリーだった。

 むろんながら、新たな芽となり葉となっていったとしても、拭えきれないトラウマが方々で残ったのも、また事実だろう。

 このドキュメンタリーの中、故ダン・オバノンH.R.ギーガーの生前のインタビューの肉声には、ホドルフスキーの企画に加わってそこに自身を賭けた末での頓挫の、狂おしい焦燥が残滓としていつまで経っても消えていないのが手に取るように判りもする。

 ギーガーにとっての誉れの源泉と原点は、『エイリアン』での栄光ではなく、ホドルフスキーに見いだされ、自身のもてるイメージを最大限にぶつけた『DUNE』だったことが良く判り……、その表裏の実相をうまく伝えたこのドキュメンタリーは、考えさせられる諸々の含有率が高くって、秀逸な良作なのだった。

  

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 1978年にパリで買ったメビウス作品『Le Garage hermétique 』が掲載されたMETAL HURANTのハードカバー合併号。性器描写とかがケッコ~あって税関で取り上げられるかもと心配したけど、ネ。

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 リンチ版『DUNE』での悪役フェイド・ラウザに扮したスティング。ホドロフスキーの『DUNE』ではミック・ジャガーが演じるはずだった。下はその絵コンテの1コマ。

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          なるほど、顔がしっかりミック・ジャガーですな。