秋の日差し

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 連打みたに大雨やら暴風の被害だらけだった近ごろとはいえ、それでも気づくと、秋だ。

 夜ともなればもう寒いし、朝の3時頃には南天に冬の星座のオリオンが静かにのぼって「冬来りなば」の気配ありありだけど、でも日中は、青い空が広がり暑すぎず寒すぎず、湿度も快適、ごく柔らかな風と陽光が心地よい日もある。

 さすがにこれは気持ちいい。

 近所のスーパーのベンチにすわり、日差しを浴びてると、そのまま昼寝しちゃいたいような淡い気分になれる。

 

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 ランチにチキンライス。どこぞのメーカーの冷凍食品。グリンピースが妙に無味だし、全体の食感がベチャ~なのが残念ながら、熱々のパンプキンスープで流し込むとそれなり至福。

 チキンライスは2年ぶりくらいか? とても好みというワケでもないけど、生まれて初めての外食として記憶に残る。小学1年くらいか? 母方の実家のそばの洋食屋さんで食べ、グリンピースが何だか特別な宝石のような気がしたのを憶えてる。

 舌は記憶をまさぐり、その再現をば求める。なので緑色の豆粒が念頭に浮き、かつて知覚したであろう味覚とのギャップを残念がらせる。

 

 至福の〆めはお昼寝だ。午後の甘睡ほどイイものはない。これを怠惰と云っちゃ~いけない。ベッドに潜り込み、フトンに我が体温を移してヌクヌクするやトロトロ弛緩、たちまちグ~ス~ピ~。

 

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 夕食にサンマ。秋だもん。サンマ漁獲量は記録的に減ってるらしいし、事実この日買った北海道産も痩せているとは云えないけども肥えてはいなくって、海の異変を心配はするけれど、サンマはサンマだ、ご飯がうまい。

 焼けた頃合いでパチリしたけど、あんまり旨そうに撮れないね。

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 しかし、秋刀魚と書いてサンマと読ませた昔の人の感覚のとんがりが眩いね~。

 当然にこれは刀の輝きを被せてるワケだけど、刀の煌めきは陽光に照り返ったものであったはず。ロウソクの炎の元で眺める輝きじゃ~ない。部分でなく刀身そのものが光ってるわけだ。

 ベチャっといえばただの相似だけど、太陽光を意識した上に季語たるを頭にのっけたことで、この魚イメージの背筋をシャキ~ンと伸ばせてらぁ。

 季語をふくめ今は昔のように季節の変わりに応じたケジメが薄れ、10月1日で一斉に衣替えしちゃって町ゆく人の景観が夏の白から黒に変わるというコトもなく、この11月になってもまだ短パンにTシャツの人もいれば、早やもう厚着っぽい人もいて多様。べつだんイケナイことでもないけど、衣替えみたいな慣習とケジメの両極での揺れが感じられて、ま~、おもしろいといえばオモシロイ。

 

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 面白いといえば……、夕食後に明治期の古写真を何枚かみつくろい、とある作業に使えそうなのを物色してスキャニングしたのだけど、明治20年代頃の街路ではパラソルさした人物がやたら写りこむようになる。

 それがオモシロイ。

 ちょうどその時期に岡山に出来つつあった表町商店街の、当時の店舗別の一覧が現存してるんだけど、傘を扱う店がやたら多いんだ。それとピッタリ符合するからオモシロイ。

 傘というのは洋傘だ。雨天用もあれば日差しをさえぎる日中用もある。その日傘が明治期の大きなブームだ。あちゃらの模倣とはいえ新たなファッション・スタイルだにゃ。鯔背(いなせ)や粋(いき)を好む日本的特質に日傘という小道具は、ケッコ~共振できる数寄であったんだな……

 なので、いい若い男が日傘持ってたりしてるワケだ。微笑ましいといえば微笑ましい。