悠々として急げ

 6~7年前、ちょうどこんなシーズンの頃には手作業ワークを中断し、自転車に乗って1時間か2時間、スポーツというほどではない運動をやって軽度に汗をかき、自転車に乗らない日が生じると、何やら身体に悪いよ~な気がしたもんだけど、今はそんな気配もない。

 自転車に乗らなくなって久しく、自転車を愛でる感じも薄い。

 かなりの頻度で、龍丿口山の外周をめぐり、環太平洋大学のキャンバスのある山の東端から北上し、坂道にヒ~ヒ~喘いで登りきって下り、大原橋で旭川を渡り、玉柏方面から南下してまた旭川を渡って旭川荘界隈に出て、そこから自宅方面に戻ってくというようなコトをやってたのだけども、今はもう遠い。

 だから当然に身体もナマッてるんだけど、しかたない。

 

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 その自転車道であった近所の用水路脇の家に人がいなくなり、荒れるままに、だけど庭木だけは伸び放題。柿がおごって道をふさいでた。

 その色合いに静かな秋を感じても、むろん、取って喰うわけもない。

 

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 近ごろはイットキほどにモノが食べられない。

 カップ麺なんぞは、ほぼ完食できずでたいがい1/3くらい、残る。

 10年前なら、カップ麺にさらに食パン2枚バター(ホントはマーガリンですけど)たっぷりね~、が常態であったのに。

 なので、食が細くなってることに衝撃し、ホンマかいなとちょっと野蛮を起こして、チーズたっぷりのと、ツナとポテトチップをマヨネーズで和えたのを焼いたパンに加えて、シーフードなカップ麺(ただし小さいサイズ)にトライしてみたりするんだった。

 むろん、ビールだか発泡酒は必需ね。

 

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 結果はシーフード麺のみが残り、食が細くなったんじゃなくカップ麺を好もしく感じられなくなってるんかな……、とニワカに結論するんだったけど、ま~、これもしかたない。

 いつまでも若くないのを自覚するのみ。

 

 次講演にからんで、昔の災害のコトを記した資料にあたってたら、ファイルの中から新聞の切り抜きが出てきた。

 16年前の記事。

「あれ? こんな所に」

 ってなアンバイでメンくらったものの、ちょっと懐かしくもある。

 

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「なんで、劇団員でもないおまえさんが背後に写ってるんだぁ?」

 仲間内からヒナンされて、内心大いに笑った写真じゃ~あった。

 

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 そっか、まだこの頃は短髪だったか……、と自分の容貌の変化っぷりを今は思うけど、ボクがチョイスした写真であるワケもない。記者が何10枚も撮った写真の中これが選ばれたというに過ぎない。

 では、なんでボクは芝居の稽古場にその時、いたのか?

 そこを思い返そうとしたけど、不思議と記憶がない。

 

 福子さんとは先週だかにバーで飲み、ちょっとした仕事を頼まれた。

 車椅子生活になった今も彼女は果敢。

 だから、良いタイミングでこの記事の切り抜きが出てきたもんだ……、符合めいた感触もおぼえるんだったけど、今月来月は自分のワークで手いっぱい。彼女へのヘルプワークは次年度かなぁ。

 急ぎ協力したい気も山々じゃ~あるけど、しかたない。

 

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 開高健はそのあたりの心情を、

『悠々として急げ』

 うまく云い顕わしてたなぁ。

 “悠々”と”急ぎ”は矛盾するのだけど、矛盾は矛盾のままに悠々とし、かつ、急げや……、のアンバイの勾配指数が高くって、この一語、ずいぶんに好き。