先週から今週にかけて幾つか連続で会合。
ま~、いずれも意義ありな、それぞれ来年度の諸々な話。
うち1つは、興がのって3次会までイッちゃって朝日きらきら。タクシーで帰宅したら、隣家のご主人が出社されるのと鉢合わせ。かなりみっともネ~ネ~な朝帰り。
うち1つは、初めてのシーズンに初めての場所での初めてな方達との企画打ち合わせ。我が持ち時間を提示され、長いのか短いのか、ちょいと整理が必要……、ワクワクしちゃうねぇ。
うち1つは会合後の居酒屋が大いに楽しくってギャラギャラ笑い、けどもハメを外さず60年代の英国紳士みたいにすました顔して店から出たら寒風がピュ~、
「寒っびぃ~ッ」
上着着てくりゃよかったと反省しきり。
先週あたりから、模型写真にCG加工する作業。何枚も。
今までこれは禁じ手と思い決めていたけど、某氏との会合の席、「模型を見せたいのか、それとも模型を通じて何を見せたいのか」との問いにハッとさせられ、グッと来た。
ならば挑んでみようかと……、ヤッてみたら、これがオモチロイ。
いや、正しくはかなり面倒な作業じゃ~あるし、メダマがすぐにくたびれて、作業20分+メダマ休憩10分って~な緩急繰り返しのアンバイで進行速度がカメの歩みじゃ~あるけれど、面白い効果が出るもんだニャ~とは内心喜んでいたりは、する。
数年前に片方の眼を白内障手術し、クリアですっきりしたけども、いけませんなぁ、もう片方の眼が最近とってもヨロシクない。
春から夏にかけ、手術をと考えはしたものの、前回かかった眼科の様子を思うと術前-術後の通院が実にまったくメンド~だったもんだから、ついついついと日延べしちゃって気づくともうこんなシーズン。
日帰り手術を眼科は謳うけど、結局は通院で術後経過を診るというワケで、日々数時間、10日間ほどは拘束されるし、その後はメガネ屋でメガネ新調で、その出来上がりにまた数日だろうから……、などとクネクネ思ってる内、こりゃ治療は来春だにゃ~と今はそう諦観ぎみ。
次12月15日の講演用に、漱石の若い頃の書簡を拾い読み、一部を書き写す。正岡子規宛に岡山滞在中だった彼(当時は金之助)が書いたもの。
古い文体の中に立ち上がる若い頃の漱石のカタチ……。
「やはりこのヒト、ちょっと変……」
そんな感想が浮く。なんとも身勝手、自己中心っぽ~いカタチの輪郭が浮くばかり。
ま~、それは講演の本題とまったく別なので12月15日には話しませんがぁ~、かの『坊ちゃん』の振る舞いをストレートで彷彿させられのだった。
『坊ちゃん』の主人公は、明らかに変なヒトで人格が破綻してるとしか思えないんだけど、最近あいつぐ教師の不祥事と重ねみれば、何だ~ぁ、明治の頃から……、その手合いはいたのかぁ~ん、とガックリさせられもしつつ、その中に漱石先生そのものも入れていいんじゃなかろうか、などとコッソリ思わないでもないのだった。
既に関川夏央が指摘する通り、四国の中学に赴任した主人公ははたして、どれくらい四国にいたか?
チャラっと読むと、何だか1年超えの話という感があるけど、実は、なぁ~んとヒトツキちょいだよ。
たった40日ほどの間の出来事を描いたのが小説『坊ちゃん』だ。
要は9月1日付けで赴任し、たちまち赤シャツとか野ダイコとかを嫌って執拗に追いかけ出し、10月初頭、ロシアに勝った戦捷記念のパーティでケンカし、旅館だかの手伝いの男にチップ5円も渡して、トットと東京に戻るんだ。この主人公は23歳で、当時の5円は今でいえば7万~10万円だよ……。
そんな大金チップを若造から手渡されたほうが、ビビると思うよ普通。むしろ、気味が悪い。
でもって、東京に戻って、
「キヨさ~ん、帰ってきたよ~、や~、懐っつかしいなぁ」
なんてね、明るく爽やかに笑ってんだよ、たった40日後に。
やっぱり、かなり壊れちゃってるんだわね~、明るい熱血漢のお話じゃ~ない。だから、おっかない(苦笑)。そのおっかなさが作家・漱石とだぶってくるんだ。ぁへへへぇ。
漱石は、岡山の水害から脱出して松山の正岡子規のところへ出向いたさい、2人で散歩中だかに、田んぼに植わった稲をそれが何だったか知らんかった……、とたしか子規の日記だか何かに書いてあったはずで、いわゆる通常な常識とは違う常識でもって活きてたヒトだったんなぁ、と思い返して、その記述を探してみたけど、すぐには出て来ないねぇ、突発の調べ物じゃぁ。
むろん、漱石とその作品をボクは大事に思う。漱石と作品には常に、
”正直な気配”
が出入りしていて、そこが魅力の放射点だと勝手に思ってる。
なるほど坊ちゃんは壊れてるけど、少なくとも正直であろうとする処が危ういバランスながらあって、昨今の崩壊君とは違う気がする。明治も今も共通は、要は生きにくいということで、漱石はそこいらを描こうとしたと思って読み直すのもイイかもん。
ま~ま~ともあれ、そういうコトを云い出すときりがない。次講演では、若い漱石先生が岡山で水害に遭ったコトのみは、触れてみましょうぞ。