さぁ~て、次の日曜は岡山シティミュージアムで講演です。
聴きに来て下さいね。(苦笑)
◎ 『明治▶大正▶昭和 岡山木材史 part.2』
◎ 12月15日(日曜) 午後14時~16時 (開場13時半)
◎ 岡山シティミュージアム 4F
◎ 入場無料
主催:岡山シティミュージアム/古写真DB委員会
2部構成。その第1部を受け持ちます。
明治時代半ばに岡山に登場した複合娯楽施設「亜公園」の魅力をお話すると同時に、その開業年、オープンして4ケ月めの7月に襲来したでっかい台風がもたらした影響をばを、見てきたかのように語ります。
ま~、その”見てきたような”、というのが大事なポイントでオモシロイところなんです。
かつて司馬遼太郎は『見るということ』で、資料を読み込み、実際に現地に出向き、昔とまったく景観が変わった現地で受ける感慨の中から考察するという手順を通じての、”作品としてへの昇華”を語ってましたが、要は、歴史というのは誰かが何らかのカタチで語らない事には「歴史」にはならないのですね。
1892年(明治25) 岡山で水害
これだけじゃ~、歴史とは云えず、ただの史実です。が、誰かがそれを具体に語って初めて「歴史」のその「ひとこま」というのが生じるんですなぁ。
もちろんそこには、語るヒトの気分が反映し、一歩間違えると”捏造”という、語るヒトの都合良い嘘が入り込む危険があるのですけども……、ま~、「亜公園」については嘘を塗りこめなきゃいけないような政治的思惑は入りません。明治の娯楽施設だった同園のことを嘘で固める必然も何もあったもんじゃ~ない(苦笑)。
けどもま~、話すにあたっては当然に考察したコトも交えなきゃいけません。開業後の数ヶ月めに大きな台風が来て、さぁ、そのさなかは? その後どうした? どうなった? という処での若干の想像は許されてしかるべきなことだろうと思います。
その想像の補いとして、今回は初めて、模型写真にCG加工するという手法もまみえさせます。
学術として亜公園をお話したいのではなく、リアルな感触としての明治時代のひとこまを味わってもらいたいがための手法です。
どのように皆さんのお眼に映えるか、そこが興味シンシンでありまして、講演後にお声がけ下されば大いに幸いに思います。
今月5日にマドリードで「国連気候変動枠組み条約第25回締約国会議(COP25)」が開催され、日本が災害の大きい国第1位(2位はフィリピン)という嬉しくないお墨付きを頂戴しましたけど、さかのぼること明治の時代もまた今同様、てんでわやな災害が立て続いてようで……、ナンギですなぁ。
第2部では元岡山市中央図書館館長の大塚氏が、かつて「道路」でもあった旭川のことを話されます。何度か打ち合わせてるさなかに聴きましたが、イカダでの物流は実にまったく大変であったようで、聴いて、「うっそ~、マジ~?!」ってな事も多々で、こりゃ~とっても面白いですよぅん。