スターウォーズ・スカイウォーカーの夜明け

 初日の午後、前作同様、席指定不要のメルパ岡山で観る。

 初日行きだからといって別に気合い入れて出向いたワケもない。例によってこの日が都合良しという次第。

 イオンシネマなど他館はもっと客席は埋まってようが、初日ながらも空席が目立つメルパ岡山を、ボクは好き。館にとって客足少なしはイイことじゃないけど、馴染んだTシャツみたいな他所行きでない雰囲気や良し。その日の気分に応じて前の方でも後ろの方でも真ん中あたりでも左右あたりでも、どこにでも座れるこの自由が何より。

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        実にローカルっぽい映画館の壁面掲示。これもイイね。


 という次第でスクリーンに向けて真ん中の中ぐらいに座して眺めた9部作の最終章。亡きキャリー・フィッシャーを見るファイナルでもあるね。

 観終えた直後の評価は、50

 エレベーターで階下へと降り、外に出て気分が変わって54

 ちょっと、ブレる。

 

 しかしま~、1977年スタートから本作までの年数を思うと、『スターウォーズ』という存在が自分の半生とも重なりあう。なんせ42……

 少なくとも『スターウォーズ』には物語を編もうとするチカラが濃く働いていて、この1点では、『男はつらいよフーテンの寅さん』やTVシリーズとしての『水戸黄門』や『相棒』などの経年しないワンパターン造りとは一線をかし安定したぬるい湯はなく、だからそこに自分の時間を重ねやすい。

 

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               スケール違い……

 

 例えばいま、『帝国の逆襲』の頃の自分を思い出せるけど、『男はつらいよ・虎次郎と殿様』はいつ造られいつ観たのか定かでない。実は同じ年に公開だ……

 そういう比較はさほど意味はないけども、少なくとも自分が通過した年数の中に、『スターウォーズ』シリーズの物語が組み込まれ、それが連動して自分を省みる時間のバロメーターであったのは、感慨深い。というより喜ばしい。我が身に生じたアレコレの出来事や思いとがこのシリーズに連動し、過去が輪郭として浮いてトレースしやすい。

 すでに長い歳月が流れていても気心知れた連中と、かつて観るたびに一喜一憂した気分の上澄みとして、あ~だ~コ~ダ~と語れるのも喜ばしい。

 至極当然のように、ボクは旧3部作を褒め、新3部作をケチョンケチョンにけなしてDVDすら買ってないのを誇り、こたびの続3部作にもヤヤ辛くあたり、スピンオフ作品の『ハン・ソロ』に至っては2度と観る気がないけども、それもフアンがゆえにの心理。ただブ~イングしてるワケもない。

 といって極度のフアンでもない。かといって登場メカの模型の1つも造らないというワケもない。

 

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 手前80年代に工作したMPCモデル。後方一昨年に工作したDeAGOSTINI モデル。プラスチックの金型精度の向上や、どちらも電飾を施して改造してるが、かたや豆球、かたやLEDと発光素材の進捗も感慨深い。共通なのはどちらも壊れやすいコトか。放置してる隙にいずれも電飾の1部が点灯しなくなっている。ま~、それはたぶんに我が方の配線のエエ加減さに起因してるんでしょうけど……

 

 気づくと幾つも模型やTOYSが周辺にありもして、20代後半から今に至るまでの自分時間の中に濃く密接した存在が『スターウォーズ』シリーズという次第で、このタイトルとて、章題というかエピソード・タイトルには常々にワクワクさせられはしても、さほど好きというワケでもないし、いまだに『スターウォーズ』と口に出すさい、一種の羞恥をおぼえるのは……、これもまたフアン心理の裏返しなのだろう。

 

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        DeAGOSTINI モデルのコクピットは大改装した……

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                 本作のコクピット・シーン 

 

 ま~、理屈はいいや。

 ともあれ観終えた。感じた。

 ディジー・リドリー扮するレイは、やはりいいね、このコの険しい顔と愛らしい微笑のギャップが最高だ。

 フアン心理というものの極みは、無量大数のフアンの1人でなく、ただ1人の存在になりたいというヤッカイがあるんで、本作も観たヒトによっては高評価だったりサイテ~というように感想は二分すると思うけども、諸々感じて54点をつけ、ひとまず自身の中にマル1つ、句読点をうった。

 

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 観賞後、メルパ岡山の近くの回転寿司でビール呑みつつ寿司をつまみ、しばし映画を追想

 ディジー・リドリーのレイはもう新たには見ることは出来ないのだろうけど、それもまた良し。我が老春のヒトコマと覚悟し、ハンフリー・ボガードが『カサブランカ』でいみじくも呟いた名セリフをもじっていえば、

「ボクらには砂漠の惑星ジャクーがある」

 みたいな……、いや本作のラスト・シーンを思えば、

「ボクらには砂漠の惑星タトゥイーンがある」

 と、言い換えた方が良いか。哀切に裏打たれた記憶の永劫をば、思うかぎり。

 そう思うと、大甘になり、もう10点加算し、64点としようか。

 なんだか不思議と得点づけがブレ続ける。

 たぶんこれは、スカイウォーカーの物語が本作で終わったという、その動揺ゆえにだろう。はからずもこたび、42年前に見た懐かしい2重太陽のある景観の中、レイが名乗るラストシーンで落涙した。

 

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 ともあれ、あとは行替えての新たな物語がどう編まれ、どう見せてくれるんだか……、まだ付きあいが続くなぁ。

 

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         DeAGOSTINIのミレニアム・ファルコンのハッチ部分

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