1月は、年があらたまってのアレコレな小さな行事が身辺にあって、ゆるく時間が流れているようでいて、実態は少し慌ただしい。青い空の広がりの中を悠々や急々にと淡い雲が動いているという感じ。
新春恒例の同窓会。かつての小学生がジジババになって集う可笑しみ……。高校まで一緒だったS君は一昨年まで老人ホームを経営していたけど自身がそのトシになったと事業から撤退、
「やっと旅行が出来るっ」
チョイとした自由を謳歌してる。
もはや子供の頃のことでは話に花が咲かない。耳に届くは孫のことやらアパートを建てただの、健康センターみたいな所に通ってるだの……。
自分もその年齢であることの事実にガックシさせられもするけども、束の間どうかしたはずみ、そんなジジババに、灰の中の炭みたいに炯々と燃えてる少年少女があったりもして、なので不思議な味わいがある。インフルエンザで来れなくなったMちゃんに会えなかったのが残念だけど、こういう味わいは、バロメーターとして通過させ自分を”測量”するに最適な滋養。
同じく新春恒例、殿下と妃殿下K夫妻との茶話会。
ボクよりチョイっと若い夫妻は決してジジババに成り下がろうとせず、向かい風への抵抗勢力としての元気な姿勢も良し。歓談のたび新鮮な知見を披露してくれ、頼もしい。
正月に秋山好古・真之兄弟が育った愛媛は松山に出向いたというので、明治のハナシで盛り上がる。
しかし秋山兄弟って、今に残る写真を眺めるに、ほとんど西洋人の顔立ち。特に兄ちゃんの方が。
実際、当時接した西洋人も、
「あれまっ?」
と思ったらしいし、そんなんだから女性にもメチャンコもてたらしい。
(ただ、もてたのは好古が留学したフランスでの話で、当時の日本国内では、いっそ異国人めいた異相ということで話題にはなるが、好まれなかったとも思える。昨今のイケメン事情と明治の事情は異る)
けど一方、この兄弟、風呂嫌い。とくに兄の好古にいたっては日露戦争中は2度しか入浴しなかったという嘘のようなエピソードもあってイットキは異臭漂うヒトでもあったというから、ま~、バランスとれてるなぁ。ボクなんか顔はお芋さんだけどお風呂はしょっちゅう入りますよ~、って妙なところで優越したりして、でも晩年の好古は軍にも政界にもシャシャリ出ず、松山に戻って自由思想を育むべく1教育者として過ごしたという辺りに人物のでかさが窺え、尊敬に値するとも思ったり……。
とにかくも歓談に花が咲く。
岡山の亜公園は開業の数年後に日清戦争があり、やがて日露戦争の頃には黄昏の時期を迎えているけど、眼を岡山駅や線路に注ぐと、日露の頃には石炭満載の貨車や兵を乗せた列車が常に下関方面に駆けてたはずで、そこを想像してかつての時代に思いを飛ばすのも一興。
幕末頃に誕生した「きびだんご」の廣榮堂は大本営が置かれていた広島に店主自ら出張し、戦地から戻る兵でいっぱいの宇品港で、錦糸をふんだんに使った派手な羽織をまとい、桃太郎の装束になって、
「鬼の成敗モモタロウ~、お国の土産は吉備団子~、岡山駅で売ってるぞ~」
事前宣伝につとめ、帰郷兵満載の列車が岡山駅に到着するや売り子が箱入りの吉備団子(1箱5銭-1000円くらいね)を売って大繁盛したという話もあるし……、これを契機に吉備団子製造販売の店が幾つも出き、それで「商標権」というような新たなモンダイなんぞも生じたりで、『桃太郎→吉備団子→岡山』という図式が全国拡散というワケで、奇っ怪なほどに明治はお・も・し・ろ・い。
といって明治時代が全面的に素晴らしいワケでもなく、ま~ま~、そんな話をよたよたと交じらわせる機会がこの茶話会。
もちろん話は光速で飛び、彼方ベテルギウスやら此方山本周五郎原作の映画やらやら、賑やか。
だから、愉しい。かつ、この1年でまた新たな自分たちのエピソードを創っていこうという蛮勇もおきる。いわばこの茶話会は、1年の核となる日、「蛮勇引力」の基点の日。
おまけにこたびは夫妻から激烈に嬉しいプレゼントもあって、なぁ~んと5.1chのAVアンプ。
「少し古いけど、次までのつなぎに」
とのこと。マッコトありがたい。YAMAHA製というのがいい。
DENONとYAMAHAのAVレシーバーは、常々に、聴き比べて音がどう違うかを知りたいと思ってたもんだから渡りに舟……、突然にでっかいチャンスを頂戴で二重に感謝。最高のお年玉でござる。
ちなみに、私の世代はDENONはデンオンであって、その「電音-電気音響」な語感を愛しちゃったもんだけど、今はデノンだ。ちょっとつまんない。
岡山弁では「これ、誰の?」と問うさい、
「でェのん?」
と云う。活用として、
「でぇのデノン?」
と、云いやすいけどね。