慣習上ほぼ毎日、早朝3時半頃に屋外に出る。
冷気の中、夜空をチラリと見上げる。
数分後にはもう部屋に戻ってるけど、あんがいと雲が多く、星はあんまりみえない。
けどこの前の夜中は雲がなく、星がよくみえた。
よくみえたといっても、昔々の中学生の頃に眺めたようないっぱいの星じゃない。地表が明るいから、名だたる星座が確認できるという程度。1960年代と2020年の今とじゃ星具合が違う。
早朝3時の夜空は冬の星座じゃない。
急速に明るさを失せさせ、まもなく大爆発するのではないかと話題になってるベテルギウスのオリオン座もいなく、こいぬ座もいなければ、おおいぬ座のシリウスもいない。
頂点付近に北斗七星が出て、南のやや低いところには乙女座が出張ってる。
冷え冷えして実にまったく真冬なのに、もうしっかり春の星座というか夏のそれに近い。
天体の運行はニンゲンの感覚よりひと足早いわけなのだ。
なのでちょっと不思議をおぼえ、
「季節っぽくね~なぁ」
小さくブ~イングする。20時から22時頃にかけて南天にいるオリオン座がそのまま早朝までいて欲しいなぁ〜とコッソリ思ったりする。
とかいって、熱心に観察しているわけもない。慣習上そうやって見上げてるだけのハナシじゃあるけど、夜中の暗い空と星はヘンな欲望も野望もない無垢だから、魅かれ続ける。
天体には悪もなければ善もない。けどもその姿にニンゲンは感じちゃい、諸々な情というフィルターを通して見る。
そこで『星に願いを』やらやらな、「物語」が出てくる。怖がったり、神さんと連座させたり、託したり、侵略したりされたり、地表との同化を図ってアレコレな想像の泡をソーダ水みたいに浮き上がらせる。
凛とした星……、と書くことで星に感覚をもたらせる。
そこがま~、お・も・し・ろ・い。
K殿下撮影のM78星雲が載ってる本年12月のカレンダー。
久々、『メイフィールドの怪人たち』を観る。
なんど観ても愉しい映画の1本。
巻頭、星からの視線で地球にカメラが接近し、見事なズームインで小さな町の郊外のさらに小さな”町内”へと寄ってくジョー・ダンテ監督の、
「これは地球の物語だよ~ん」
っぽい導入がいい。
トム・ハンクスとリック・ダコマン
マジメだけどヤヤ臆病なトム・ハンクス。
今となってはトランプ大統領を彷彿させられるもする自意識と村意識の高いリック・ダコマン(5年前に亡くなってしまい残念)。
元軍人で年金生活ながら超エロでベッピンのワイフのいるブルース・ダーン。
この3人のスットボケ、排他的村社会の呼吸が、とにかく可笑しい。
キャリー・フィッシャーがトム・ハンクスのワイフ役で、ごくごくアメリカンな平凡な女性を演じてるのもチャ~ミングだし、劇中登場の3匹のワンちゃんも個性あって見栄え良し。
ブルース・ダーン(もう最高!)とウェンディ・シャール扮するエロいワイフ
堤幸彦監督は『トリック』の第1シーズンあたりで、かなりこの『メイフィールドの怪人たち』のパロディというか、人物の顔に向けてズームを繰り返す撮影と編集部分での物真似コピーをやってたけど、ま~、真似たくなる程にジョー・ダンテはこの手の冗談がジョ~段てにうまかった。
何度観ても飽きない面白みが維持されるべく創られてる。ドタバタの末にとんでもない事件が最後で飛び出す大展開もすばらしい。
鬱屈気分が蔓延してる時には、こういう映画がチョイとしたリポビタンD効果を発揮して、ふぁいと~イッパ~ツ! みたいに機能するんじゃなかろうか。『星に願いを』込めずとも、地表はそれなりに面白くもアリという次第も有りかな。この映画の締めくくりは巻頭とは逆に、また視線が宇宙空間にまでズームアウトし、ポッカリ浮いた地球の姿で終わる。
この映画、星のみえない早朝4時から観るも良し。
ジョー・ダンテはケタケタ笑える映画を造りつつも、内に社会批判を込めているのか、あるいは、この映画の通りに村社会的封鎖性を容認してるのか……、そのあたりを考察するのも一興。