ウィルス騒動のさなかで植樹したリスボン・レモンは、葉が萎れるような兆候もなく、根下ろし初期段階としてホボ順調のように、見える。
すぐそばに、抜き取ったユスラウメの木の根っこ部分をあえて置き、日々、両者をチラリと眺めてる。
ユスラウメのその太さにまでレモンが成長するには、モモクリ3年以上の歳月がかかるはずだから10年先の夢物語じゃあるけれど、ドリームでないリアルをまのあたりに出来るのは小さな幸であるには、違いない。
植樹して2週間ほどだけど、打算、忖度、遠慮……、そういったチマチマな世情と関係ない1ケの生命力の育ちに、ただもう眼を細めるようにして接していられるのは、喜びだ。
温かくなるに連れて香りが立って、クロアゲハとかの蝶なんぞが葉を齧りに詰めよってくるらしいから、そこの回避策など難儀も含めてのお愉しみって~ワケだわさ。
左がレモン。ミニ垣根の右が抜き取ったユスラウメ
70年代から80年代にかけての洋楽を聴くに、
「Dream Come True」
歌詞の中にけっこう頻繁に「夢はかなう」な一語が出てきて感慨深い。
近年はそう単純にこの一語を出せない切羽な詰まりがあって、未来のバラ色めく展望が開けない気分がこの使用を抑制しているとも思え、「歌は世に連れ……」を思い起こされる次第ながら、弘田三枝子だかザ・ピーナッツに『レモンのキッス』という曲があるのを思い出した。
たしか弘田には、
月の光よ 今宵レモンの海に
恋しい面影 浮かべて見せとくれ
という出だしではじまる曲があったハズなんだけど、今、曲名がアタマに浮かない。
レモンというのは歌にしやすいのかな?
同じスっぱ系なのに、ハッサクやブンタンは歌われないなぁ。
船のデッキであのコにキッスしたら
ぁぁ ぁは~ん
ハッサク香って ク~ラクラ
センチュウハッサク ク~ラクラ
てな歌、……聴きたくないか?
な・い・ね。
週末、呑みに出ようかどうしようかと躊躇のあげく、部屋にたれこめる。
きっとそういうヒトが多いだろう、今は。
でもって政府対応のトンチンカンなニュースにさらにゲンナリと。昨日のニュースでは、検査実施を増やさない日本政府にシビレをきらし、さすがの米国も在日の自国民にむけて、「日本を出なさい」との勧告を出したとか……。
ネットで拾った画像
グラスに氷とファイネスト。チェィサーに麦焼酎の野菜シューズ割り。交互に啜りながら、Blu-rayのメイキング映像集だけを眺める。
ふだんこの手の”付録”はあまり観ないから妙に新鮮。
『007スペクター』の巻頭、ダニエルがビルの端っこを歩き、ビルからビルをまたいでいく冷や冷やシーンは 大掛かりな合成だと思ってたら、ま~、ホントに演ってたのね。驚いた。
『キングスマン:ゴールデン・サークル』はウィルス感染とそれを消滅させる新薬製造をめぐる話ながら、エルトン・ジョンの奇っ怪な演技に加え、前作同様ブラックなコメディっぷりがたっぷりでお気に入りだったけど、メイキングを眺めるに監督の真摯っぷりが鮮烈。
70年代のモンティ・パイソンの頃から英国風ブラック・ジョークのグロテクスぎみな感触にはたえずコッソリ、
「?」
ボクちゃんにゃ判らんなぁ~、の「それってやり過ぎなんじゃ~ない」感が拭えないのだったけど、少なくともメイキングを観るかぎり、そのやり過ぎに向けて実に大まじめに取り組んでいるらしきがクッキリで……、さ~さ~、いよいよ英国仕込みの黒味ジョークが判らない。
常々に、靴を脱がない土足文化というコトを考えてたけど、ブラックなジョークも、なんか、そんな所から……、笑いの毛細根そのものの育ち環境が違ってるような、気がしていけない。
芥川龍之介は『かちかち山』の文末を、
童話時代の明け方に、−−−− 獣性の獣性を亡ぼす争ひに、歓喜する人間を象徴しようとするのであらう、日輪は、さうして、その下にさく象嵌(ざうがん)のやうな桜の花は。
と、結んで同作を実にエレガントにまとめあげてたけど、その「獣性」の中のユーモアというものにもう少し接近したいと思うものの、これがなかなか難しい。
靴を履いたままで己れのベッドに寝っ転がるコトが出来ない以上、日本的獣性にとどまることしか出来ないワケで、シューズ履いたままベッドインは野蛮にしか見えず、そのあたりの感性から来るであろうユーモアもまたうまく解せない。
ま~、その解せないところが面白くもありで、前作『キングマン:シークレットサービス』での末尾、悪人どものアタマが続々に吹っ飛んでカラフルなキノコ雲がこれまた次々に沸きあがるシーンの妙味は……、強硬に婉曲するなら芥川の云う「象嵌のやうな桜の花」のようでもあるが、決定的なところで何かが違う。
ってな事いってるうちに夜が更ける。
「ふける」って語は、耽る、酖る、蒸ける、老ける……、けっこう用法有りだけど、意味するところ、いずれも”進行形”なのが、お・も・し・ろ・い。