ちぐはぐ、バラバラ、ぐっちゃぐちゃ。
そんな、どしたらイイんだぁ、みたいな生煮えな感想しか出てこない今日この頃。水たまりに浮いた油沁みみたいに、Go Toやら強盗やら誤答やらが、プクプク浮き沈む。
メリもハリもないんだね。
なんだか今時のトマトの、つまらなさに似てる。
ただもう甘くって、フニャけきってくだらない。
我がミニミニ・ガーデンのトマト。この先赤くなるに連れて虫もやってきて、かじり、穴をあける。
その昔に食べていたトマトを思い出す。
赤く染まりきってなくて、ヘタ部分が緑っぽいやつ。
硬くて形が崩れず、シャキっとした歯ごたえ。けど、とてもスっぱい。
子供の頃はこのスィィ〜のが嫌いで、食卓にこやつが出ると、ガックリしてた。
けども、塩をふると酸味があいまいになり、種部分のわずかな甘みが逆に引き立ってもきて、
「なんだ? うまいじゃないか」
とは思わないまでも、食べるには食べた。
なにぶん子供だから、ご飯にあわないと決めつけて、好きになる野菜じゃなかったけど……、こんな年齢になって顧みると、今の甘くて真っ赤なのは性分にあわない。
いわば昔のトマトは、子供のために存在しない大人の食べ物なのだった。
そんなんだから、昔のそれを懐かしむ。
トマトについては以前にも書いたけど、そういう昔のスっぱくて硬いのは、今は食べられない。
品種改良が進んでしまって、すっぱいのを作ろうにも作れないのかな?
手に入らない。
うちの小庭のトマトとて苗はホームセンターで買ったもの。実っても、昔のそれじゃ〜ない。
いっさい総じて、お子ちゃま向けのトマトへと堕してしまった……。
昭和30年代後期あたりの子供。シャボン玉遊びだね。衣類はたいがい母親だかのミシン縫いや手編み。
ワカメちゃんカットの後頭部が懐かしいというか、丈の短いアッパッパーが99パーセント確率でパンツ丸見えで遊ぶわけで痛々しいというか、でも本人も他者もまるで気にしない時代でもあって……。
ちなみにシャボンを膨らませてる子は女の子。赤い鼻緒の自分用雪駄がお気に入り。ほぼ100パーセント、この写真の4名も、トマトのスッぱさに難儀したクチであったろう……。
一昨日の土曜、Kosakaちゃんが、
「この前の小夏、うまくなかったでしょ」
ニッカリ笑いつつ、今度はトウモロコシをば持ってきてくれた。
「うんうん。この前の小夏、幾つかはスカスカだったね~。けど幾つかはダイジョ~ヴィ~」
こちらもニッカリ笑いつつ、トウモロコシに目ん玉を細める。
蒜山高原のそれは、およそ20年前ほど、某BARで初めてナマで味わって、背筋のシャキ~ンとした甘味にずいぶん驚かされ、
「これって、生のままで食べられるんだ……」
EAT初心者の域を出ない感想を漏らして、K ママに、
「あらま〜、知らんかっとってんチントンシャン」
笑われたけど、以後は蒜山のトウモロコシと言われたら、自然と「良品」の一語が点灯するような癖になって久しい。
良品、というのはたいがいに、メリもハリもがシャキ~ンとしてる。
さっそくに、レンジで7分間チ~ンして頬張るに、
「うんうん、これこれ」
粒々の1つ1つが硬すぎず柔らか過ぎず、旨味が凝縮して豊穣、顔がとろけた。
最近のトマトがいずれも甘~いフォーカスでピントがあっていないアンバイなのに較べ、このトウモロコシの甘味は明確な意思で裏打ちされてるようなところがあって、
「ぁあ~、なるほど、こんなところにも!」
メリとハリの凜々しさのようなものを感じたりもするのだった。