レモンと雄町米の酒の樽

 やられた。

 レモンの新しい葉を虫に囓られた。

 朝は無事であったのに、夕刻の水やりで、

「あちゃ~」

 異変に気づいた。

 ガックリやら腹立たしいやらやらやら……。

 水やり後に防虫剤を散布。

 さて、どうなりますやらの小庭のレモン。

 

f:id:yoshibey0219:20200831115747j:plain
      このショウリョウバッタが犯人かどうかは、わからん……。けど、怪しい。

 

 近頃は、日本酒にレモンを添えるという飲み方も、一部じゃ流行っているらしい。

 純米、吟醸本醸造とかの蔵元滋味をそのままでなく、ハイボール的変化球でもって味わってみるという趣向なんだろう、か?

 であるなら、ほぼ当然にソーダで日本酒を割るのだろう。

 そこにレモンをば添加するわけだ。

 試そうとは思わないけど、あんがい、それはそれで美味いのかもしれない。

 ただ、舌と味覚は保守的なもんだ。なので、ボクの頭には、邪道、という単語が明滅するけど、一方で、ワインに氷をたっぷり入れて呑んだりも、する。

 いけないか?

 いけなくはないだろう。

 時には……、という括りの中で、イレギュラーもいいもんだ。利休が愛でた黒茶碗でアイス珈琲飲んだって、べつだん、いけないわけじゃ~ないんだし。

 が、だからといって利休が茶道具の至宝と自ら位置づけたものを、わざわざアイス珈琲に使うヒネクレも、如何なものか。

 黒茶碗という存在は茶室という極小宇宙の中心核としてのブラックホールなんだから、理屈はともあれアイス珈琲の出番なし、ね。

 

f:id:yoshibey0219:20200902173603j:plain


 明治になる11年前。安政6年(1859)に岸本甚造さんという人が、鳥取の大山だいせんに旅したさい、穂先が重くって首を垂れてる稲を採取して持ち帰り、新たな品質の米栽培に成功した。

 粒も大きく、むっちりとして滋味が濃い。

 これが良い酒米となる。

 雄町米、と名付けられて、市内の蔵元はこぞってこれを使った。

 噂は野火のように拡がり、雄町米の栽培と雄町米を使った酒が全国を席巻した。

(いまだ雄町をオスマチと読む人があるけど、オマチと読む。お間違いなきよう願いたい)

 今は山田錦が1番ということらしいが、その安政から明治・大正にかけてのダントツ1番は雄町米の酒だったし、昭和初期頃の東京での寿司米といえば雄町米が最上等ともいわれた。(『寿司ものがたり』による)

 

      f:id:yoshibey0219:20200902113843j:plain 
            岸本甚造さんを顕彰する大きな石碑。岡山市中区雄町

 

 8月20日RSK山陽放送での講演で、この雄町米の酒と片山儀太郎の関係について、初めて触れた。

 まだ検証出来ていない部分もあって、仮説の域を出ない点もあるけど、ともあれ、明治時代の雄町米の酒の勢いは大きかった。

 後押ししたのが、明治8年(1875)の酒造税と営業税だ。

 それまで酒はややこしい規制があって誰でもが醸造家になれなかった。それが醸造技術とある程度の資本があって、キチリと税金を納めりゃ、酒造りが出来るようになった。

 なので翌年には全国で3万軒を超える酒造場が出来るという盛況で、当然に、良い酒をどこも造りたいわけゆえ、必然のように雄町米が用いられた(もちろん別品種も多々あるけど)……。

 明治半ばでの、岡山市とその近辺での醸造家の数がいまだ判らない。が、多くが雄町米のそれであったことは自明だろう。

 当然に酒販売のための、がいる。

 樽はなくてはならないアイテム、瓶はまだない。(瓶は明治30年代後半に登場)

 木材問屋である片山儀太郎は、この雄町米の酒ブームにのった。

 

f:id:yoshibey0219:20200902173213j:plain

 

 当時、酒はどれくらい売れていたか?

 なんと――、明治半ばの国家の歳入費の、実に30%が酒税収入だ。

 自動車業界とか鉄鋼業の興隆はまだ先の時代とはいえ、当時の日本人がえらく酒を消費していたのは間違いない。

 というか、そこまで呑むか~ぁ、という程の勢い。

 明治中期というのは、酒をエネルギーにして人が闊達に動いてた時代だった、といってもイイ。

 

 だから当然に樽材も飛ぶように、売れたろう。

 片山儀太郎は奈良の吉野から、当時も今も最高と評価される吉野杉を取り寄せた。

 この証拠となる当時の広告が、ある。

 

                   f:id:yoshibey0219:20200904082238j:plain

             井土州酒樽とあるのは、土佐の杉で造る樽のこと

 樽そのものの等級もある。当然に、吉野杉を使った樽は最高級品。

 片山木材が扱った吉野杉や土佐杉の販売実数が判ればいいけど、いかんせん、そのあたりの数値を探すのは至難かな。

 片山木材店で樽を造っていたわけじゃない。樽屋や桶職人やら蔵元が片山木材を訪ね、吉野杉の樽材を買っていたわけだ。

 樽は、四斗樽(底部分がおよそ60センチ径・1升瓶40本分)、二斗樽(およそ50センチ径・1升瓶20本分)、一斗樽(40センチ径)、五升樽(30センチ)など、各種サイズが造られたろう。

 それで、片山儀太郎が大きな収入を得た要因の1つとして(あくまで1つとして)、雄町米の酒ブームがあったろう……、というような事を、この前の講演ではちょっとだけ触れたわけなのだ。

 

 昭和11年兵庫県に登場した山田錦のそれへと次第に変わって、雄町米はシェアを落としていく。

 いっときは壊滅的なほど減少し、水田が拡がっていた雄町(地名です)は昭和50年頃より農家が田を売って宅地化が進み、もう昔のイメージは薄い。

 でも酒という嗜好品には特定銘柄に特定の顧客もついている。

 なので雄町米も復活(雄町以外のあちゃこちゃで作ってるんだろね)で、現在は4位らしい。

 

 ま~、以上はレモンに直接は関係ないけどね。酒がらみでアレコレ調べていくと、あんがい面白い事実にぶつかって、ちょいと酔い心地。ポ~ッとさせられるようなところもあるんだっぽ~~っ。