他人の夢なんか、どうでもいいハナシじゃあるけど、見たものは見たままに……。
左右の本棚が湾曲した長い回廊めいた書店内。
どこまで歩いても左右本棚。
こちらが歩くに連れ、背後でシュシュシュって音がして、本が並び変わってる。
なんやしら『ゴーストバスターズ』っぽい妙な気配。
振り返って眺めるに、ボク好みの本がボクを追ってると判る。
それが次第にこちらを追い越しシュシュシュ。
左右本棚は上から下まで全部、欲しいけど手に入らなかった本に変わってる。
で、さ~、こまった。
いずれも欲しい。が、ポッケに見合うお金がない。
買えない。
悶々としちゃってると、書棚の一画がくり貫かれているところがあって、そこに女性がいる。
彼女はこちらを見てる。
途端、つげ義春の「古本と少女」が想起され、この女性はボクのために本の中に1万円を挟み込んでくれている……、と判って、妙な羞恥をおぼえる。
しかも「古本と少女」の場合と違い、彼女はこっちをジ~~~ッと見てる。
どの本にも1万円挟まれているなら、左右の棚でボクが欲しいのが200冊はあるだろうから、そっか~、200万円かぁ~。つげの漫画は1000円だったけど、時代が違うもんなぁ、夢見つつそう思ってる。
けども、貴男に気があります……、という視線がやたら痛い。
くわえて、こちらの移動と共に彼女のいるスペースも移動し、離れない。
めざめて、その女性と交際する自分を空想し、なんだか惜しいことしたなぁ、と思ったりもした。
延々続くカーブ状の書棚にも妙に感心した。
リアルに考えると、書店の建物としてのカタチに整合性がなく、
「いったい、どんな構造なんじゃろ?」
しばらく余韻の中をフラフラほっつき歩くんだった。
なんで、そんな本だらけの夢を見たのか?
1つには、下記のようなことがあったからか?
2週間ほど前、亜公園建造者の直系の御親族S氏より、本を贈られた。
昭和39年に刊行され、関係者にのみ配布された木材業に関する地域書。800ページに近い驚きの大部。
岡山中央図書館に1冊あるけど、そんな非売品という次第もあって貸し出し不可の超稀少本。
数年前、懇意の同館館長より「研究資料」ということで数日限定で館外持ち出しとコピーを認められ、おかげで亜公園関連の、明治時代の木材流通といった需要な諸々が、この本で判ったという宝みたいな本。
ごく稀に古書店に出るらしきだが、数万円する。
そんな本が入った小包が届いたんだから、驚くやら嬉しいやらやら、だった。
すでに図書館蔵書の閲覧で要点となる箇所はメモし、おおきな参考としていたけど、いざや本物、じっくりとページをめくるに、いくつも新たな発見があって、
「いや~、本当にありがたい」
感謝の念が油田みたいにわくのだった。
いや、油田はこの本そのもの。
贈ってくださったS氏にひたすら感謝あるのみなのだが、御支援下さっていると思うと余計、
「ぐぁんばらなきゃ」
いささかの緊張をからませ、自分を鼓舞したりもするのだった。
そういうことが、夢の背景にあるのか?
たぶん、そうだろう。『座右の書』の重み。
しかし、夢の中の女性は誰だろう?
S氏は男性だし、関連なし。
彼女がどういう顔で、どんな衣装だったか……、さっぱり覚えていない。でも目元が、反対意見を述べそうな学者排除の、暗鬱感漂う某国新首相に似ていたような気がしないでもない。が、そういう感触は目覚めたあとの「あとづけ」の可能性が高い。都合よく解釈しちゃうねじ曲げ。
夢は、映画みたいに繰り返し鑑賞し確認できないのが、ペケ。
ちなみにこの夢の中、別シーンで、山頂めいた場所にいて、周辺にムラサキシキブが実をつけていて、眼前の屹立した岩場を雲が見事に登り、反対方向へ今度は下り降りるという、なかなかヴィジュアルとして結構なのを見たけど、なんだろね?
ムラサキシキブは小庭で今かなり、実をつけている。こういう鮮烈がアタマの中に残っていて、それで夢に出てくるんかな。
いや、ならばこの前駅前ですれ違った超美人とかが出て来てもヨサゲだけど、そういうのは一向に出演してくれない。花でなくニンゲン紫式部に出てもらいたいとも思うけど、ま〜、それはそれでチョット面倒かもだ。
愛媛の石鎚山ではこの10月あたり、極端な温度差でもって朝方とかに雲が滝のように隆起する光景が現出するそうじゃ~あるけど、いかんせん登った事はない。直かにこの「滝雲」を見たことはない。
だいぶんと前。雨になった午後、Kosakaちゃんだかマ~ちゃんの車に乗っかって、近場を通過したよう記憶するが、思い返すと、霧に煙っていて、なんだか夢のようではあった、な。
この写真は四国森林管理局のHPより転載。イメージとしてこれに近い感じで国道だか県道を駆けつつ見上げたような……。