終日部屋にたれ込めて書棚のあちゃこちゃから資料本を引っ張りだし、目的な箇所を探してチェックするというような作業を繰り返すだけであっても、お腹はへってくる。
午後。このごろ、しじみ汁を飲むこと多し。
焼きそばなんぞと一緒に、インスタントなやつを。
味噌の塩分か、しじみのそれによるのか、しょっぱい感濃厚。
ホンマに身体にいいのか?
ま~、そこはどうでもイイ。
本日はピザとしじみ汁。どちらも手軽なインスタント。湯とオーブンのみで気軽。
いささか面白みに欠けるのは、「しじみ汁」という名。
いかにもストレート。語感良いとは、思えない。
感じ方ゆえ個人差濃厚だから、 きっと、しじみ汁と聞いたり発音のたび、
「ぁあ、いいなぁ」
と思う人もあろうけど。
いわゆる汁物というのは、多くが名が単調。
青汁とか……、いいのか、そんな名で。
(ま〜、これは狭義では汁じゃなくジュースの類いだろうけど)
しかし一方で、「すまし汁」なんて~のはちょっとヒネりがあって気がきいているような気がなくはない。
が、子供の頃は食卓にすまし汁があがると、たいそうガッカリしたもんだ。
透明なのがつまらない。何が入ってるか即座にわかり、味噌汁みたいに箸で探り当てる「愉しみ」がないのがいかん。
ま~、子供はそんなもんだ。
それがちょっと大きくなって、すまし汁は、かつてその昔は「羹(あつもの)」と総称され、酒の肴だったというような事を知ると、
「ほ~っ」
すまし顔になって感心したりした。
まだ日本酒が透明でなくって白濁色だった、いわゆる濁り酒の頃のハナシながら、酒が透明でないぶん、その肴としての透明はなかなか気がきいた対比的アクセントだったようには、思える。
信長が勇躍していた頃の最高の日本酒は、紹興酒みたいな茶色がかったものだった。
室町時代前後のセレブ階級は舌と共に、その対比を眼でも味わい、やがて懐石やら会席というカテゴリーを産んで、汁物と吸い物、茶席における茶をひきたてる食事と、酒を愉しむためのそれへと、同じ発音ながら2つに区分けしたルール化にも、感心した。
島根の宍道湖界隈のしじみ汁は、かつおのだし汁に醤油が少量というから……、だいぶんと透明かな?
味わったことがないんでよくは判らないけど、室町の時代にその調理法があるなら、やはりそれも酒の肴だったわけだろう、ご飯と一緒に食べてたんじゃないのね。
面倒といえば面倒だけど、即席ではない面倒をチョイスしていた時代っていうのは、まずは自分を律してルールの中に身を置くみたいな所が前面にあって、そこ、おもしろい。自ら鋳型の中に入ってくわけだから。
早朝4時の小庭の金木犀。花が咲きかけ、辺りに良い匂いをまいている。ちょいと風雅な気分。
しばし木の下に佇んで、息を吸ったりはいたりで芳香を愉しむ。
ぁ、関係ないけど、「恋のフーガ」って曲、あったな。筒美京平だっけ。
ぉ、違う。すぎやまこうへいだ。