けど一人、彼のみがおぞましい存在という次第ではなく、たぶん、私をも含め、日本人男性の体内にある「閉じきった感覚」がもたらす弊害のような気がしないではない。
未だ、女性に慟哭させて物語りの情感極まったりだと思い込んでる日本のTVドラマなんぞのクライマックス作りと、表裏なような……。
ぁあ、それにしても滑稽。翁の周辺含め、痛々しさ増量のオリンピック狂騒。
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ゲラが届いて、ただいま赤ペン入れの作業中。
8月の山陽放送新社屋での講演録。その詰め作業、2度目の校正という次第で、手が抜けない。
1時間、絶え間なく山のように喋ったはずだけど、テキストに起こしてもらうと、意外や、分量としては少なく、
「おや、おやっ」
トーキングとライティングの違いに唖然とさせられる。
講演後に新たに判明した事実もあって、それらをどこまで混ぜてくか悩みもする。
ともあれ一言一句を追いかけつつ赤鉛筆……。
我が鉛筆削り。
これ、小学生の時より使ってる。
入学したさいに買ってもらったのだと思う。
ハンドルグリップと削りかす箱以外はオール金属。
だからずっしり重い。
この重さ感は、今も、子供の頃に感じたそれと何ら変わらない。
1度たりとも手入れせず、手垢にまみれちゃいるけど、常にそばにある。
なんと60年……、使ってるワケだ。
子供のボクはこれを輸入品と思い決め、自分の所有物の中、唯一の外国製と北叟笑んでもいた。
ボディ横のロゴがすべてローマ字だ。
横文字がイコール、ボクには外国への通路だった。
そんなのを自分が持ってるのが、嬉しかったワケなんだけど……、実はまったくそうでない。
これは、国産品。
東京は板橋のエルムという会社のものだ。
エルムは1935年(昭和10)に金属文具の工場として起業した。
戦後は鉛筆削り機といえばエルムという時代もあったようだし、国内ではじめて電動の鉛筆削りを創ったのもこの会社。
すべて英語表記なのは、これが盛大に輸出もされていたコトを示す。
ま~、そこを子供のボクは舶来と取り違えたワケだけど、半世紀経っても使えるのは有り難い。
だから、ボクは電動式鉛筆削り機が出たさいも、欲しくもカユクもなかった。
ハンドルをクルクル廻せば、これ1つで鉛筆のいっさいが賄われ、しかも、その手加減1つで芯を尖らせも出来れば、やや甘く……、も出来るんだから買い換えの必要がないんだった。
今の眼でみると、質実の剛健っぷりが際立つ。
鉛筆をセットすると、ガッツリ、歯形をつけるんだ。
ゼッタイに放さないぞ……、の意志がこの歯形だ。
なので、鉛筆にはそれを使い切るまで無数の歯形がつくコトになる。
かつて誰かが唄ってた、
「あなたが〜噛んだ小指がぁ痛い~♪」
をもじれば、
「あなたがたが〜噛んだぁ~♪」
って~な感じの傷を鉛筆は、ボディにうける。
けど、それがイイのだ。
鉛筆は何事かを紙に刻みしるすものだけど、その鉛筆自体がそうやって毎度刻印めく傷をつけられヒストリーを更新してく様子を、ボクは好きなんだ。
しかしエルムは平成時代になって、売り上げ低迷。
ボールペン全盛。シャープペンシルとかの躍進も斜陽に拍車をかけていた。
収入より出費が大きくなってった。
それで2015年、負債が10億円を超えた時点で、延命策はあえて取らず、会社を閉じた。
事業継続は困難と、撤退していった。
残念な話じゃあるけど、そのいさぎよさは良かった。
こちら、そんな会社の良品をいまだ使い、赤鉛筆を研いでもらってる。
本来、モノというのは容易に壊れるようなモンじゃ~駄目なんだ。
エルムという会社はもうないけれど、その良き製品はこうして卓上で活き続け、当方を助けてくれる。
あ・り・が・た・や・あ・り・が・た・や
子供の頃からのヘキだけど……、削りかすを捨てる時、いつも躊躇する。
このフンワリ柔らかな感触と微かな木の匂いを好く方で、なんかもったいない気がしていけない。
といって何かに使えるかというと、アイデアはない。自分が極く極く小さきヒトであるなら、この中に入り込んでスヤスヤあったかく眠れるかも……、みたいな空想しか沸いてこないのだけど、まっ、はやい話、貧乏性なんだろう。