梅のさく 門は茶屋なり

 地震はホントに怖いね……。

 

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     なんか妙な、よこしまな視線っぽいのを感じたのだけど……

 

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               ペコちゃんだった

 

 ペコちゃんといえば不二家。1973年にバレンタインデーの仕返しじゃ~なくって、お返しとして「リターン・バレンタイン」というキャンペーンをやって、これが今のホワイトデーになったという説があるらしい……、などとウィキペディアに書いてあるのを読みつつ、ご近所のタケちゃんより頂戴のチョコをばかじる。

 

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 なぜか、外付けHDD(ハードディスク)2つからデータ完全消失。そのくせハード的にはちゃんと活きているっぽい。

 

 一つ家に 遊女もねたり 萩と月

 

 ではないけれど、1ケースに2つ入ったHDD。

 熱暴走? 急電圧? フリースなどのポリエステル素材の服を近場で脱ぐコトありだけど、そのさいの静電気? まさかね? 

 我が輩の不始末? 

 原因不明。

 ともあれ中身が全てゼロ。別の外付けHDDにそのバックアップがあるきり。

 遭難直前の心細さは芭蕉の描く遊女に等しい。(この遊女は友達と2人旅の途中で別れてしまい、1人旅でメチャに心もとないというコトが『奥の細道』で紹介され、そう書いた後にこの有名な句が添えられる)

 こちらとて心もとない。容量のでっかいHDDを買いたし、月のような坊主アタマになったChikaちゃんに来てもらい、おはぎ食べつつ取り付けとデータの移動作業。

 

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 あれこれ眺めるに、近頃やたらにこの国、タソガレて悲哀色、「後進」という感じが明滅していけない……、というような話を交えつつの作業。

 MacのTime Machine機能で遭難回避。バックアップ1つじゃ~イカンという次第明白で、こたびの復旧を機会にバックアップは2つ取ることに。

 

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 ついこの前、お雑煮食べていたような感じがあるけど、もう2月も半ば。

 

 梅のさく 門は茶屋なり よきやすみ

 

 正岡子規の句。

 18~19歳の時の作品という。

 梅が咲いた角っこの茶店で休んだらいい気分になった……、と、それだけのコトなんだけど、それだけのコトの中に大きな安泰が横たわっていて、若い子規の才能に驚く。

 19歳なら、1886年(明治19)頃だ。松山から東京に出て既に3年、東大予備門に通っていた頃だろう。この学校で漱石と出会っているから、ひょっとして2月の梅が咲く、あるいは梅が咲いた頃の角っこの茶店に同席していたのは漱石かも……、というような想像も許される。

 メチャに友達が多い人だったから別に漱石でなくともよいけど、ともあれ梅が背景にあって春の句だ。冬ではない日差しの心地よさが「よきやすみ」の5語に集約されてるわけだ。

 

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 一方その頃、岡山では……、船着町に片山木材店が登場。店主は30歳の片山儀太郎。

 奈良から吉野杉を仕入れ、樽材として売り出している。

 (樽そのものを仕入れたとも思えるが)

 この頃は、雄町米を使った酒が全国に知られ出し、岡山市内や近隣の酒蔵家は大忙し。

 高級の代名詞たる吉野杉を使った樽は、雄町米の酒の品格をいっそう引き上げる役を担う。

 吉野からの杉では足りず、片山木材では、土州(高知方面)の杉も仕入れていく。

 

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 儀太郎さんが酒を好むヒトだったかどうかは、わからない。

 わからないけど、嗜むヒトではあったろうとは思う。晩酌に1合徳利を2つばかり。

 

 

 子規には『酒』という作品がある。

 原稿用紙1枚に満たない小品だから、全文を載せる。

 

 一つ橋外の学校の寄宿舎に居る時に、明日は三角術の試験だというので、ノートを広げてサイン、アルファ、タン、スィータスィータと読んで居るけれど少しも分らぬ。困って居ると友達が酒飲みに行かんかというから、直に一処いっしょ)に飛び出した。いつも行く神保町の洋酒屋へ往って、ラッキョを肴で正宗を飲んだ。自分は五勺しゃく)飲むのがきまりであるが、この日は一合傾けた。この勢いで帰って三角を勉強しようという意気込であった。

 ところが学校の門を這入る頃から、足が土地へつかぬようになって、自分の室に帰って来た時は最早酔がまわって苦しくてたまらぬ。試験の用意などは思いもつかぬので、その晩はそれきり寐てしまった。すると翌日の試験には満点百のものをようよう十四点だけもらった。十四点とは余り例のない事だ。酒も悪いが先生もひどいや。

                     明治32年『ホトトギス』第2巻第9号 所載

 

 子規は1合でダウンした。酒を嫌いじゃなかったろうけど、体質的に呑めないタチだったんだろう。

 そこを本人が苦(?)にしているらしきは、後年の作品の中、けっこう酒のことを書いていることで概ね察しがつく。

 彼の父・常尚は酒豪中の酒豪で、ほぼ毎日1升呑んでいたというし、明治の2年には酔って寝入ったか、正岡家を全焼させた不始末もある……。その時に一緒に呑んでたのが常尚の父すなわち子規のお爺さん。この人も一升クラスのようで、そんな呑めるはずの家系ながら自分が下戸であるのを、子規が気にしないワケがない。

 

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 上記の『酒』に出てくる正宗はどこの酒蔵か知れないし、使われた米のブランドとても判んないけど、かまや~しない。正岡式の子規失敗談を愉しめるというもんだ。

 この頃はまだ一升瓶は存在しない。子規が入った店の奥にはサイズは判らないけど幾つか樽が並んでいたはずで、店員がその栓を抜いて冷ややら燗の用意をしたのだろう。

 子規はどっちを呑んだろう? 部屋に戻った頃に酔いの頂点があるようだから、遅延気味に酔いがやって来る冷やだったような感もある。

 ラッキョウが肴か……。1合あけるために、5つも6つも口に運んだか?

 そこを考えると、おもしろいや。