7月の映画よもやま ~インクハートとバンドワゴン~

 

 たとえば「人流」とか、あるいは「線状降雨帯」とか、馴染みなかった新語が出てくると、

「おっ、そう来たか……」

 と、小さな不意打ちをくらったような感触をおぼえ、あらためて『ことば』というモノを意識させられる。

 一見、「人流」はありそうだけど、昭和48年(1973)刊の広辞苑に記載がない。

 同辞書をめくってみるに、「降雨」はあるけど、「降雨帯」はない。「線状降雨帯」もない。

 1973年頃は、誰もがそんな単語は知らず、それを発する必要もなかったワケだ。

(線状降雨帯の最初の使用は2016年)

 けれど、そうやって新たな単語が出てくると、途端にそれは活用され、定着する。文字(言葉)に命がふきこまれる。

 近頃は「発出」というのも耳にする。この単語は古くからあるけど、日本国語大辞典によれば、発疹がでること、出発すること、ある物事が生じて外部に出ること……、などが意味され、現在の政府が多用ぎみに使っているのとは、違う。

「発出」ではなく「発令」がおそらく正当で理解もしやすいと思うけど、国家を運営する者は時に妙に言葉を曲げてヘンテコなすり替えをする……。

 

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 ま~、そのあたりの文字の消息をモチーフにしたのが、コルネーリア・フンケ女史の『魔法の声』だった。

 とある極く特殊な人は、本を声に出して読むと、その登場人物が現実のニンゲンとして出現するという童話だ。

 けど一方、そのことで“交換作用”がはたらいて、読んでいるそばにいる現実のニンゲンが逆に本の中に吸収されてしまう……。

 この特殊能力を持っている主人公は、迂闊に声を出して読んだために、ワイフを本の中におくってしまう。

 そのワイフを取り戻すために1人娘と一緒に旅にでる。

 ま~、そういう話でけっこう奥行きがあって面白い。

 日本にだって昔から、信仰と迷信の端境でユラユラしている「言霊(コトダマ)」という考えがある。原作者のコルネーリア女史はドイツの人だけど、やはり言葉(文字)に関していえば似たような考えなり感触があるんだろう……。

 

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 それが映画になったのが、『インクハート』

 名のある役者たちが揃い、ロケされた場所もなかなかのもんだ。クレジットなしでジェニファー・コネリーも出てる。(たぶん、ほこり指という重要な役を担った亭主のポール・ペタニーと共にロケに動向してたんだろな)

 原作の芳醇な醍醐味や深みからエッセンスのみを抜き出し、冒険アドベンチャーっぽくまとめてしまってるのがイケナイけど、ま~、映画として、本・文字・言葉の三位を2時間ばかり愉しめるのはいい。

 言葉のチカラを主題に、それをファンタジーとして眺めていられるんだから、それなり、面白い。

 ヘレン・ミレン演じる主人公の叔母は湖畔の豪奢な屋敷に1人で住まい、膨大な本に囲まれ、本を愛してやまない人物ながら、本の登場人物らを召喚する能力はない……。

 原作での、彼女のその辺りの哀しみに似た消息の深みが本映画では希薄というか描かれず、そこが最大限に物足りないけども、画面に大量の本が出てくるのは、イイ。

 一見で、本棚の棚板が薄すぎると見て取ったけど、これは次の展開での本から出てきた登場人物達の破壊工作がための、撮影のための、やむをえない小道具作りなのだろうと察した。本棚をひっくり返してメチャメチャにするシーン撮影がために、あえて棚板は薄くし、倒壊しやすく、また倒れたさいの拡散具合までも考慮したワケだろう。

 そういう所も含めて眺め、良い点とペケな点を羅列できるというのも、ま~、お・も・し・ろ・い。

 だいぶんと前にamazon primeで観て、手元にあった方がいいかなとBlu-rayを買った次第。メチャに良いからでなく、良いところもあるけどペケな部分も多々で、そのあたりを含めてブラボーとブーイングの両者を飛ばせてやろうと。

 

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 ちなみに原作は「インクハート」という架空の本がタイトルだけど、これを「闇の心」と訳したのは、どうかしら? 和訳として平坦で、造語としての「inkheart」の語感(意味するトコロも含め)が薄まってるような気がしないではなく、いささか……。

 

『バンドワゴン』

 1953年のこのミュージカルは言葉のチカラではなく、身体の動きのチカラを見せた映画。

 70年代、学生の時、アンソロジー『ザッツ・エンターテイメント』でこの映画の存在を知ったのだけど、いやはや驚愕、優美極まるフレッド・アステアのダンスに脳天ク~ラクラ、しばし、まさしく言葉を失い、ただもう陶酔させられた。この反応は何度観ても同じ。

 

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 アステア扮するやや落ち目のダンサーと、舞台で共演することになった新進気鋭の若いバレリーナが、互いに反撥し疑心暗鬼だったけど、試しにと街中でペアとして踊りだす。それをほぼ1ショットでカメラが追っかけ、ダンスを終えて馬車に乗り込むまでの5分ほどの華麗な動きは何度観ても、圧倒される……。

 

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 むろん、この映画でも言葉は縦横に駆けるけど、頂点にあるのはダンスでの身体の動き。

 アステアは決して自己中心で踊らない。徹底してパートナーの“レディ”を引き立たせるべく踊る。そのスタンスが優雅極まりなく、逆にこの男性のデカさが滲む。

 言葉が研がれるように、身体も研がれる。その頂点にいたであろうフレッド・アステアを眺めるのは至福というもんだ。

 言葉も身体もうまくは使えないコチラは、こういう映画を観て、羨望するやら、“その気に”なったりやら、な~かなか良い刺激をもらうわけ。

 巻頭で銀色の列車が登場し、アステアが降りて駅舎に向かうシーンがあるけど、これが何とま~全部セットで作られている所も好感。というか驚き。

 

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 70年代に『ザッツ・エンターテインメント』が作品としてまとめられたさい、この巨大セットがまだMGMスタジオにそのまま残っていて、野外セットゆえに雨ざらし、かなり傷んでいるのがアリアリ判るシーンがあるのだけど、その傷みがゆえに時間の経過と共に刻まれたMGMの栄枯盛衰が知れて、感慨深かった。

 でもって今や、Blu-ray画質で1953年のこの『バンドワゴン』を眺められる幸せ。セットは古びようと撮られた作品は光輝な鮮烈をまとって、目映い。

 

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『足ながおじさん』

 フレッド・アステアが実に優雅にイヤミなく中年で独身の超大金持ちを演じる。

 劇中、彼がフランス旅行中、偶然に見た孤児院にいた女の子を、ちょっとした気まぐれで、アメリカの大学に行かせるべく、名を伏せたまま“後見人”となる。学費に生活費と金銭面の面倒をみる。

 で、4年後、彼女の卒業時に……、というメルヘンなストーリー。

 巻頭でのドラム演奏シーンは、後年にクレージー・キャッツのハナ肇が真似て持ちネタにしていたけど、アステアの完璧としか云いようのないドラム演技には眼が点になる。宙に浮き、床に叩きつけられるもまた手に戻る、2本のスティックが魔法の杖がごとく自在に動くんだから、たまげる。

 大勢の学生らの前で踊るアステアのダンスの圧巻は、これまた後にマイケル・ジャクソンが見事に模倣することになるけど、それら原点となるダンスがちりばめられた秀作が、これ。

 巨大なシネマスコープ・サイズで撮影され、その特性をほぼ活かしきった左右幅と奥行きのある映像作りにも大感心。

 50~60年代はシネマスコープ・サイズの映画が数多作られているけど、本作の奥行き作りは絶品かとも、思う。

 Blu-ray画質で観たいけど残念、出てないみたい。

 でもま~、ともあれ、こうしてDVD画質とはいえ何時でも観られるのは、2重マル。

 

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 フレッド・アステアの伝記本。1899年に生まれ1987年に没するまでの彼の軌跡を学ぶに最適。これを読んで、『足ながおじさん』撮影中にアステアは最愛の奥さんを亡くしており、けども悲しみのどん底ながら必死に劇中の人物を演じていたことを知る。

 常にストイック、常に自分と闘い続けた88年は、まさにアスリートのそれ。

 彼を初めて知ったのは1968年からスタートしたロバート・ワグナー主演のTVドラマ『スパイのライセンス』(プロ・スパイ)。泥棒ながら米国諜報部の一員として活躍のアレックス・マンディ(ワグナー)の父親として第2シーズンより登場し、出てくるたび、飄々とした身ごなしと品の良さにコッソリ固唾を呑んでた……。ワグナーもカッコ良かったけど、アステア老のカッコ良さったら違う次元のものだったような。

 本国じゃ全話がDVDになって販売されてるけど、字幕なり広川太一郎がワグナーの声をあてたTV放映版なりの日本版は出てない。大いに不満。

 

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