強烈な湿気にくるまれた極暑。
日々刻々、アレありコレあり。
市内飲食店の時間短縮要請が出る直前、ライブあり、小さな食事会あり、zoomでのミーティングと呑み会があり、某宅急便の荷の扱いに怒ったり笑ったり、イチゴ味のアイスキャンディを2本食べて舌が冷えるのを楽しんだり……、諸々、オモチロイといえばオモチロイ。むろん、コロナ禍が面白いわけはないけど。
1年ぶりのライブ。リハーサル中のメンバー。この数日後に時短要請。ぎりぎりセーフ……。
過日。粗大ゴミと化した諸々をまたぞろ、回収してもらう。
こたび知ったけど、市に依頼すると1度の回収は10点のみなのだった。従って次に申し込むまでゴミはゴミのまま自宅に残る……。(前回に願ったさいはたまたま10点だったので数量制限を知らないままだった)
タンスや布団ではなく、今回は比較的サイズの小さなモノ達30点弱を出そうとしたのだけど、一度では取ってもらえない。
「何で数量限定なの?」
大いに訝しんだ。申し込み時に事細かく物品を申し出るワケなのだから、サイズを含め、そこは臨機応変に願いたいけど、一律、10品のみ。
岡山市の場合、パソコンとその関連機器の分別が判りにくい。
下の記述をどう読み取る?
本体・ディスプレー・キーボードを一式として500円で受け付けてくれるのか、それともその3つが一体型になってるモノのみを指しているのか? 解釈が難しい。
けど一方で市のパンフレットを仔細にみると、次のような表記がある。
これは混乱させられる。
おまけに、こたび依頼がため市のゴミ・センターに電話したさいの、窓口女性の対応が実に官僚的というか、木でハナをくくったようなマニュアル対応で、こちらが廃棄を願った1品に関して頑なに、
「それは家庭ゴミじゃないので引き取れない」
の繰り返し。
これに煮やされ、ついつい、
「あんたね~、家庭内で使ってたと正直に言ってるのに何で業務品と断言するんだ、えっ?!」
悪態をつきたくなるのを懸命に堪えたりで、それなりのストレスを味わわさせてくれたりしたけど、それもまた、通過してしまうと、オモチロイといえばオモチロイ。
「はらだって血圧あがっちゃったわい」
という意味でオモチロイ。
で、その1品に関しては取りあえず断念したものの、パソコンとディスプレーとキーボードの3点は、1つのモノとして500円で引き取ってもらうことになった。
パソコン3台にモニター3台とキーボード3つ → 1500円
プリンター3台 → 600円
その他合計で10品。回収してもらうことに。
けども、どうも女史の対応が最後までアヤフヤっぽい。引き受け業者にチャンと通達されるのか不明……。
後日、回収日。ちょいっと心配していたけど無事に全部粗大ゴミとして回収してくれた。やれやれ……。
とはいえ廃棄したい外付けハードディスクなど、まだ30数点ある。小型家電として、それは別途で出さなきゃいけない。回収はしてくれない。
しゃ〜ない。翌日にそれらを回収してくれる近場のホームセンターのカウンターへ、大きめ手提げ袋4つにハードディスクやらキーボードなど詰め込み、重いのを我慢で大汗かきつつ持ち込んだ。
重さに耐えかね破けた手提げ袋は抱えるっきゃ〜ない……
以上で、少し片付いた……、というアンバイ。むろんにまだ廃棄すべきな諸々が残ってる。もう2回ほど、市に依頼して引き取りに来てもらわなきゃイケナイ。
粗大ゴミ1つでナンギする今の世の中と、かつての先史時代(石器時代~弥生時代頃まで)の貝塚に見られるゴミ処理を比較というのも何だけど、文字すらない時代、喰らった後の貝殻をチャンとゴミとして1カ所に捨てていた生活サイクルがあったのを思うと、これまた、オモチロイといえばオモチロイ。
はるか大昔に、ゴミという概念があり、それを1カ所で処理するという方策があったことに、いまさらチョット新鮮をおぼえる。
ゴミというコトバの発生時期は不明だけど、漢字として『塵』と綴り、それを別読みで「チリ」とも読める仕組みを作った漢字文化の醍醐味にも、チョット驚く。
日本国語大辞典の第8巻によれば、塵とは、散らばって入り込んでいるものを云い、当初は「ちりこみ」と口にしていたらしい。
そういう表現がいつに出てきて定着してったかは、さすがの大辞典にも記述はないけど、ともあれ、捨てるべくして捨てた諸々を「ちりこみ」の一語に集約したニンゲンの営みは、それはそれでまたぞろ、オモチロイ。
日々刻々の生活の中に、ゴミという分別をしちゃってるトコロがえらいというか、獣としてのサルと一線をかすという点で、いまさら、いささか、誇らしい。
ただま~、この頃はサル以下の感性らしきヒトが増えてるような感じ悪さもあって、サルに対する優位がぐらついてるような気がしないでもない。
上:『馬込と大田区の歴史を保存する会』ホームページより
ところでサルで連想したけど、チューバッカは何故に全裸なのだろ? 不思議に思う。
ヒトと対等の知性と文化を持っている族の一人であろうに、馬や猫と同様、服をまとうコトをしないのは、それはそれで1つの文化としての歩みなのかしら? 民族的信条として衣装を拒んでるんだろうか? せめてミレニアム・ファルコンに乗るさいはパンツぐらい履いていてもよさそうなもんだけど……、いま1つ、スッポンポンの理由が判らない。
その『スターウォーズ』の最初の3部作にゃ、ゴミのシーンが2つほどあったな。
1作目の『新たな希望』ではデススター内部のゴミ圧縮装置が主人公達に苦労を強いたし、次作『帝國の逆襲』ではスターデストロイヤーから大量の金属ゴミが宇宙空間に放り出されるシーンがござんしたなぁ。回収依頼の電話をするでなく、ドシャ~っと捨ててるのが、あるイミで小気味いいわっ。
スターデストロイヤーという巨大宇宙戦艦から排泄物が投棄されてるみたいでもあり、けどもその世界観の中じゃ不法投棄にあたらない、みたいなトコロが、チョイっとオモチロく眼に映えたがや。だって、ビルディングよりでっかいようなのを幾つも幾つもドド~ンと捨てているんだもん。
ニンゲンが描いた粗大ゴミ投棄シーンとしては、これ最大級かしら。
ま~、映画の中なんでべつだん構わないけど、さて一転して江戸時代、夏になると、神田川やら隅田川に、食べかすとして投げ捨てられたスイカの皮を拾い集めて、それを加工して漬物にして販売してたっていう事実があって、衛生的に如何なもんかと思いつつも、商魂というか、リサイクルというか、妙に呆気からんとした営みのリアルをおぼえさせられて感心するのだったけど、でもやっぱりね、
「そんなヤバイの喰いたくね~や」
真顔で拒絶するんだった。実際、その江戸時代とて、赤痢や疫痢の元凶となるから、さすがに取り締まりされていたようじゃあるけど、法の眼かいくぐって、不法投棄に不法密造がたえなかったようで……。
たくましや 夏の川辺の 皮拾い