頭島でお好み焼を食べる

 

 雨のさなか、まだ警報が出ていない木曜。

 柔道家と頭島(かしらじま)へ行く。

 日生諸島の1つながら車で渡れる。

 ほんの5年ほど前に出来たばかりの橋。日生と鹿久居島を結んだ長い橋を渡り、同島の湾岸を駆け、そのまま次の橋を渡れば頭島。

 

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 雨の海も、いいな。

 数年前、福山の松永湾貯木場を見学したさいも雨で、湾岸に置かれた大量の材木が濡れ、木の香りが周囲にたっていた。雨でなけりゃ、さほど匂い立つものじゃない。

 だから同様、雨で良かった。

 

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                  頭島の漁港

 

 ささやかな漁港に小さな漁船が1隻戻ってくるたび、小さな市が開かれる。

 船のハズバンドからワイフが受け取り、それをそのままにワイフが値をきめ、売るというカタチ。

 サンダル履きの、近場の方々がそれを買う。

 ガラエビを買った中年女性がすぐそばのお好み焼店に入ってく。

 

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 それで後を追うように、漁港すぐそばのお好み焼き屋に入る。

 買ったばかりの大量のガラエビの皮を、先の女性と別の女性とが、早や、店内にしゃがんで剥いてらっしゃる。

 

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 その作業を横目にしつつメニューを眺める。

 牡蠣のシーズンじゃないので、豚玉だ。

 ぁ、いや、イカものっけてもらってデラックスで行こう。

 どうやら、そのガラエビも入るらしい。豚、イカ、エビ。豪華じゃ~ん。

 ビール必需、ね。

 

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 焼いてもらってる合間、店のヒトと近場に住んでる常連らしき中年カップルと会話してる内に、生のガラエビを頂戴する。

 これは嬉しい不意打ち。

 遠慮なく、自分で皮むきむきして、醤油で口に運ぶ。

 

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 採れトレ。船から降ろされ、即売られ、即買われ、ほんの20メートルほどの場所のお好み焼き屋さんでそれをギフトされる……、という至福。

 海と我が口が一直線。旨くないワケがない。

 ビールもう1本、欲しい……。

 てなところでお好み焼

 

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 食べつつ、店の方達に、鹿の害を聞く。

 橋が出来たがゆえ、鹿久居島の鹿が橋を通ってやって来る。

 鹿久居島はその名が示す通り、昔から「鹿が久しく居る島」だそうで、その鹿が真夜中、夜な夜なに、本島側や頭島に渡って来ては農家の作物をくすねるらしい。

 多い時は30頭ほどの軍団でやって来る。

 頭島はみかんの産地。鹿は好んでその木の皮を喰らうので樹木そのものがダメになる。

 橋はヒトにベンリをもたらしたけど、甘受したのはヒトだけじゃ~ないのね。

 オマケにこの頃はイノシシもやって来る。同じく夜の橋をやって来て、ガツガツほじくるそうな。

 そんな話を聞きつつ、ミックスをばたいらげる。

 思ったよりたくさんイカの足とガラエビが入って、主役の豚肉に拮抗。ブタ・イカ・エビの三位一体。

 柔道家と行動をともにすると大食らいになるけど、それも一興。

 

 礼して、店を出たら店の女主人が追っかけ、「指を綺麗に」と洗浄剤を差し出してくれる。

 皮ムキムキしたので、指先が生臭いだろうからとの配慮。

 気が利いてる。ありがたい。実にこの配慮が嬉しい

 テレビのナレーション的にチープに云えば、

「小さな漁港そばのお好み焼屋さんの、大きな親切」

 といった感じだけど、すこぶる気持ちが良かった。

 ぁっと、店名は「お好み焼ふみ」だ。

 

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 食後の散策。

 濡れた漁港が風情よし。

 

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 ふと、つげ義春の漫画の一コマが念頭に浮く。

 見開き2ページを使い、つげは雨の海を描いてる。

 情景と人の心の揺らぎがそこに集約されて、かつてはじめてこの一連のコマをみたさいは恍惚させられた。

 

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            つげ義春全集 第4巻 「海辺の叙景」(1967年作品)より

 

 ゆるやかに車を走らせ(むろん私は助手席で楽勝だ)、島を一周。

 車窓から灰色の海をば眺めつつ、海辺で育つ人と、海には遠い山間地で育つ人というのは、違いがあるんだろうか?

 またぞろ、思う。

 どうでもいいようなコトだけど、どうでもよくはないような、大きな命題めいたモノがあるような気がしていけない。

 

 豊島の甲生はささやかで波おだやかな湾だけど、湾から僅か300メートル程の場所で、かの片山儀太郎(明治時代・亜公園の建造者)は少年時代を過ごしてる。

 日々、海を眺めるというか眼に入る場所。常に拡がっている空間。海水と空。永遠めく繰り返される波の音。夜の星々。水面のはるか剥こうでの煌めきや光点……。

 

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           豊島・甲生 2013年9月撮影。台風一過で波がやや高い

 

 茫漠としたその視界と波音のリズムが、14歳まで甲生にいた儀太郎少年の骨格を作った筈なのだ。

 茫漠とは、「広くて、とりとめなく、ボ~っとしている様相」をいうけど、それが逆に、海の向こうへの興味を湧かせ、探求を促すことにもなったろう……。

 密教僧が峻険な山に入っていく例の通り、山が求心力を促す存在なら、海は遠心力を促す触媒、だ。

 片山儀太郎の事を考えるたび、海と山を思うのがこの頃の癖になっている。その違いを掌握したがっている。

 こたびの頭島行きは、ま~ベツダンに片山儀太郎を意識したわけじゃ~なく、柔道家が長い会社の夏休みに退屈し、

「どっか、行こうよ~」

 というのが発端。

 いささか「お出かけ我慢」のコロナれど、いや、頃なれど、ほぼ未知な第三者接近遭遇のないドライブならイイだろ〜という次第。

 雨に煙った瀬戸内をば、「お好み焼ふみ」のミックスと共、つかのまの御馳走として味わう。

 景色が見えにくいがゆえ、逆に良性な刺激を受けた。

 

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           自分宛のお土産。予想したより美味しかった1パック600円。