みなもと太郎が亡くなった。
71歳。いささか早過ぎ。
すこぶる残念……。
壁にかけている御本人から頂戴したサインと僕宛メッセージをチラッと眺め、黙祷。
また1本、我が体内の柱がなくなった。
でも彼の残した漫画はいつまでも活き続ける。
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さて。
模型やらやらがドッチャリ詰まった2Fの足の踏み場をなくした1室(倉庫)を、なんとか足が入るよう……、整理していたら、未開封のワインが10数本、出てきた。
何本かはコルクがダメになって液漏れし、ボトル中身が1/3ほどなくなっている。寝かし置いた場所の床は赤黒く沁み、進行形でベチャっと濡れている。
液漏れしていない気配の、1本の栓を抜いてみる。
栓抜きを廻すと、コルクが割れ、上半分はすぐに取れたものの、下半分が瓶の底に沈んでった。
1996年製造のシェラー・シュワルツ・カッツ。シェル村の黒猫。
その白。
グラスに注いでみると、ロゼのような、麦茶のような、色になっている。
25年間ズ〜っと横たわっていたから、ワインそのものの劣化と一緒に、コルクの色が沁みちゃってるわけだろう。
飲めるのか?
むろん飲めるさ。
ワインは腐らない。
けど、劣化。風味落ち、本来のものにはるかに遠い。3文字であらわせる。
ま・ず・い。
あえて氷で冷やし、飲んだ。
舌の上に転がしつつ、かつて開高健が『ロマネ・コンティ一九三五年』で描いたのと同様な悲哀をば、味わう。
深沈たる一滴、また一滴……、が、あろうはずがない。
高額なロマネ・コンティと違い、この黒猫瓶は安い部類のワイン。
90年代頃、マイブームとして、黒猫ラベルのシェル村ワインばかりを買っていて、2Fに放置されていた1ダースばかりが全て、それ。
もう1本。やはりシェル村の黒猫。
クロックボトルというドイツ古来の陶器を模したボトル。やや珍しいカタチゆえ買ったと記憶するが、こちらは1998年産。
別の日にこれも開封。
やはり、劣化し、透明な淡い茶色に変じてる。
味わうというような愉しみにゃ遠い。
そもそもが長期保存するシロモノじゃない。
モソモソしている内、模型なんぞの箱で埋まり、見えなくなり、存在を忘れていたワイン達。
劣化にガックリしたものの、25年前頃にそれらを買っていた自分と対座したような気分には、なる。
懐かしいわけでもなく、回顧するほどでもないけれど、束の間、タイムマシンの窓際に座って過去が立ち現れた。
ま~、それだけのことだ。
いずれも、小さなグラスでボトル半分ほどを飲み、残りは、す・て・た。
惜しむなかれ古い酒。
ところで、うちの近く、北に抜ける道沿いにゃ、猫のカカシ有り。
明かりがない道端ゆえ、夜はケッコ~怖いのじゃなかろうか、この佇まい。